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簡単にわかる!朝木明代市議転落死事件の真相

※この記事は大部分が『統一教会問題で機能不全を露呈した国会』で触れた部分と被っています。よって、そちらの記事をお読みになられた方には、この記事に目を通してもあまり意味がないと思います。

はじめに

 朝木明代市議転落死事件は、様々な事が言われていますが、実は左程複雑な事件ではありません。犯人がわかっていないだけで、全体像を見れば、簡単に答えが出る事件です。
 また、何冊も書籍が出ている話ですので、細部は専門家であるジャーナリストが書いた書籍類にまかせる事として、当記事では、この事件の考え方について触れて行く事とします。

当時の警視庁は上層部が創価学会と癒着していた

 まずはこれらの記事をお読み下さい。

■公明党の政治力用い“癒着”を構築■
 こうした警察や検察と創価学会の特殊な関係は、いまに始まったことではない。竹入義勝元公明党委員長は、平成10年夏に「朝日新聞」に掲載した「政界回顧録」の中で、創価学会の組織的な選挙違反事件をもみ消してもらうため警視庁や検察庁に“陳情”した事実を明らかにしているし、東京都議会副議長や都議会公明党幹事長などを歴任した龍年光元公明党都議は、築地の料亭「河庄」を根城にして、公明党都議が警視庁幹部を恒常的に接待し、両者の「癒着の構図」を作り上げることに腐心した事実を次のように語っている。
 「『大阪事件』で警察・検察の厳しい取り調べを受けて、池田は警察と検察を恐れるようになりました。本来ならば、池田は自らの不明を反省すべきだったんですが、池田の意識は反省に向かうのではなく警察を抱き込むことに向かいました。そこで公明党が都議会でキャスティングボートを握るや否や、池田の指示のもと竹入や藤井がまっさきに警視庁の抱き込みに動いたのです。
 左右の対立の激しい中で公明党は警視庁予算、人事を無傷で通してやることで恩を売りました。当時は社・共が警察に厳しい態度をとっていましたので、警視庁も公明党にすぐさますり寄ってきました。
 そうした公明党と警視庁の談合の場になったのが築地の料亭・河庄です。ここに入り浸って今泉太郎(元都議)などが警視庁の幹部を接待・懐柔したのです。後に公明党の推薦で兵庫県知事となった警視庁のY総務部長をはじめ、以後、歴代の警視庁幹部が入り浸っていました。
 その結果、創価学会・公明党の選挙違反は不問に付され、交通違反などももみ消されるばかりか、池田の女性問題を取り上げた月刊ペン事件の隈部大蔵編集長を警視庁の暴力団担当の四課がいきなり逮捕するというような、癒着の構造ができあがっていったのです。
池田にとって『大阪事件』は、警察を抱き込むという学習効果を与えるという、国民一般にとっては極めて不幸な結果を生むことにもつながったのです」(「フォーラム21」平成14年7月1日号特集「“無実”ではなかった『大阪事件』」)

特集/警察の創価学会汚染 創価学会との癒着は警察の汚点 ―学会員警察官の問題行動も多発
乙骨正生(ジャーナリスト) forum21

■法務委員長の権限を利用■
 ここで龍氏が俎上に上げている月刊ペン事件において創価学会は、隈部氏の逮捕と池田氏の証人出廷を阻止するためにさまざまな工作を行ったことが分かっているが、そうした裏工作の実態を、当時、創価学会の顧問弁護士だった山崎正友氏は最高裁への上申書の中で次のように陳述している。
 「隈部氏を告訴するに当たっては矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷野三郎弁護士、龍年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが、法務省幹部、検察幹部、警視庁幹部と、綿密な打合わせをしました。衆、参両議院法務委員長の権限を背景に、法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスティングボートをにぎる与党としての力即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。
 ことに、当時の警視庁捜査四課の幹部とは、学会側も小谷野弁護士も特別懇意な関係にあり、従って告訴は、四課で処理されることになりました」

 創価学会の外郭企業の社長を集めた社長会の席上、池田氏は「警察だって動かしているのは竹入、井上だよ。龍なんかおどすだけで味方にならない。竹入の一声だよ」(昭和43年7月8日)と発言しているが、創価学会・公明党の文字通り最高幹部だった竹入・龍・山崎3氏の発言、そして池田氏自身の社長会での発言は、創価学会が警察や検察を全力を挙げて取り込んできた事実を物語っている。
 NTTドコモ事件やヤフーBB事件で、明確な犯罪事実が立件されなかったり、検察の冒頭陳述でも事件を主導していたことが指摘されたT岡容疑者が処分保留になった背景には、こうした創価学会と警察・検察の“癒着の構造”があると見るのは筆者一人ではあるまい。
※一部アルファベットに差し替えた人名は原文では全て実名

上記同

そうした公明党と警視庁の談合の場になったのが築地の料亭・河庄です。ここに入り浸って今泉太郎(元都議)などが警視庁の幹部を接待・懐柔したのです。後に公明党の推薦で兵庫県知事となった警視庁のY総務部長をはじめ、以後、歴代の警視庁幹部が入り浸っていました。その結果、創価学会・公明党の選挙違反は不問に付され、交通違反などももみ消されるばかりか、池田の女性問題を取り上げた月刊ペン事件の隈部大蔵編集長を警視庁の暴力団担当の四課がいきなり逮捕するというような、癒着の構造ができあがっていったのです』

 これ、衝撃の事実ですよね。
 警視庁本部の部長が創価学会からの接待攻勢に遭い、癒着していた。
 しかも証言者は『東京都議会副議長や都議会公明党幹事長などを歴任した龍年光元公明党都議』だそうです。

当時の警視庁警察官の約1割は学会員だった

 次はこちらです。

 民社党の元委員長で、非自民連立政権で厚生大臣などを務めるなどした大内啓吾氏は、平成7年に開催された「創価学会による被害者の会」の集会の席上、厚生大臣時代、警察関係者から警視庁には4000人もの学会員の警察官がいると聞かされた旨、語った事実がある。いくら学会員とはいえ現職警察官が、今回、書類送検された千葉南署の巡査長のように、創価学会・公明党のために軽々に違法行為を犯すとは考えたくないが、「水滸会遺戒置文二十六箇条」などの存在もあるだけに、気になるところ。

特集/警察の創価学会汚染 創価学会との癒着は警察の汚点 ―学会員警察官の問題行動も多発
乙骨正生(ジャーナリスト) forum21

 平成7年ですので、1995年です。
 4000人という人数は、当時の警視庁警察官の定員の約1割です。
 つまり創価学会の意のままに動かせる警察官が1割もいたのです。

当時の警視庁の現場の幹部は、学会員か、創価学会の息のかかった者達だった

 次はこちらをご覧ください。

■警察への浸透を企図■
 創価学会には「水滸会遺戒置文二十六箇条」なる秘密文書がある。これは創価学会の原島嵩元教学部長によれば、昭和53年頃、池田紙が佐久間昇副教学部長に命じて、池田氏自身の「天下取り」構想を戸田城聖会長の言行録としてまとめたものだという。
 その中には、「総理大臣」の位置付けや「総理大臣」ポスト奪取の構想をはじめ、「官庁」への浸透の必要性、「政治家対策」など、若い時分から「天下を取ろう」をキャッチフレーズにしていた池田氏の「天下取り」のための構想、青写真が述べられているが、その中に「警察権力」への浸透方法として、警部や警部補などの現場の指揮者を学会員で占めていく構想が語られている。

特集/警察の創価学会汚染 創価学会との癒着は警察の汚点 ―学会員警察官の問題行動も多発
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ジャーナリスト内藤国夫は「創価学会・公明党は、学会と距離を置いたり、学会がらみの事件を調査しようとする警察幹部がいると、徹底して出世の妨害をする。絶対に捜査指揮権を持つ署長や副署長にさせないのです。逆に学会にとって都合のいい警察官は昇進の応援をする。そのため警察は創価学会がらみの事件には触らないという風潮が出来上がってしまった。それゆえ、警察は朝木事件の解明に及び腰なのだ」と指摘した。

朝木明代 現職警察官の内部告発と地検の対応
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 学会員の若者に警察官採用試験を受けさせて警察官にする、警察官を折伏によって学会員にする、警察官を獲得する方法はこの二種類が考えられますが、創価学会は現場の幹部である警部補や警部を学会員にする事によって、警察を創価学会の意のままに操る戦術を取っていたようです。
 また、ジャーナリストの内藤国夫氏によると、創価学会には、恐らく公明党の持つ政治力を経由して、という形なのでしょうが、警察の人事にまで強い影響力を及ぼす事が可能だったそうです。創価学会にとって好都合か、不都合かで、署長や副署長にさせる、させないという事が出来たのであれば、同様の事は警部補や警部の昇任に関しても可能だったと考えるのが妥当です。
 そもそも公明党の地方議会議員は、多くの地方自治体で警察委員になっており、更に、議会内での立場は圧力団体であった事から、警察に対して相当強い影響力を行使可能だった事は間違いありません。
 つまり、警視庁の警部補、警部、警視(署長や副署長)らは、学会員であるか、さもなくば、創価学会が好都合だと考えるような、創価学会寄りの人達で固められていたという事です。

学会員警察官は学会活動の為に職権濫用する

 次のケースをご覧ください。

■職権濫用しての嫌がらせ
 またこの平成5年には、学会員の現職警察官による阿部日顕日蓮正宗法主に対する職権を濫用しての嫌がらせ事件も生じている
 平成5年5月26日、日蓮正宗の末寺住職の葬儀を終えて中央自動車道を走行していた阿部日顕日蓮正宗法主一行の車列に、1台のパトカーが接近、強制的停車を求めて八ヶ岳サービスエリアへと誘導。その後、パトカーに1人で乗っていた警察官が「無謀な運転をしているため、他の車が走りづらいと通報があった」などと通告、職務質問を行ったのだが、その際、件の警察官は不可解なことに責任者の謝罪を求め、阿部日蓮正宗法主に車外に出て、謝罪するよう要求したのだった。
 しかし阿部日蓮正宗一行の車列は制限速度を守っており、問題はなかったことから事態は収束し、阿部日蓮正宗法主一行は現場を離れたが、その際、阿部日蓮正宗法主が車のウインドウを開け、件の警察官に「ご苦労様です」と声をかけた。
 すると事件から5日後の5月31日付「聖教新聞」の「寸鉄」に「日顕の車列、危険走行と高速道路で警察に御用。“暴走宗”盲従は地獄行き」との誹謗記事が掲載されたのを皮切りに、日蓮正宗を誹謗中傷することを目的に発行されている「地涌」なる怪文書などで、「警察の厳しい責任者追及の声に怯えたのか、日顕本人がガラス窓を開けて登場。『申し訳ありませんでした』と深々頭を下げ、ようやくけりがついたそうである」などと事実をねじ曲げての誹謗記事が相次いで掲載されたのだった。
 こうしたことから、日蓮正宗関係者や日蓮正宗法華講の機関紙「慧妙」紙が山梨県警に事実を照会するなど、取材と調査を重ねた結果、山梨県警には当日、「無謀な運転をしているため、他の車が走りづらい」などという通報はいっさいなかったこと。また、山梨県警高速道路交通隊小淵沢分駐隊に所属する警察官が、当日、阿部日蓮正宗法主らの一行を職務質問したと名乗り出ていたことなどが判明した。
 このため5月26日の現場にいた日蓮正宗関係者や「慧妙」紙のスタッフが、職務質問したことを名乗り出た警察官を訪ね、面通しをしたところ、その警察官は現役の創価学会活動家で、かつて山梨県警の中に「池田先生を守るために創価学会男子部によるインフォーマルな組織を作ろう」などと呼びかけていた人物であることが確認されたというのである。
 こうした事実が判明したことから「慧妙」紙は、この事件は、創価学会の熱心な活動家である現職警察官が、職権を濫用して阿部日蓮正宗法主の車を強制的に停車させ、不当な職務質問を行い、その事実を「聖教新聞」等で歪曲して報道し、日蓮正宗の名誉を毀損するという極めて謀略的な事件だったと報じている。

特集/警察の創価学会汚染 創価学会との癒着は警察の汚点 ―学会員警察官の問題行動も多発
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 この事件を簡単に説明すると、創価学会と敵対関係にある日蓮正宗を貶める記事を書く為、創価学会の活動家で、警察官でもある男が、職権を濫用して高僧道路を制限速度を守って走行中の日蓮正宗の高僧の車を停め、通報があったと虚偽の事実を伝えて職質を行ったという、とんでもない話です。
 他にも青森県警のケースが紹介されていますが、当時、学会員の警察官が学会活動の為に職権を濫用したり、警察官の身分を悪用するようなケースが全国各地で起きていたようです。表面化したケースは氷山の一角に過ぎないと考えるべきでしょう。

こうした事からわかる事件当時の警視庁の実態

 事実を箇条書きします。

  • 警視庁の部長ら上層部は創価学会からの接待攻めにあっており、完全に癒着していた

  • 警視庁警察官の約1割が学会員だった

  • 警視庁の警部補や警部、警視(警察署の署長や副署長)ら現場の幹部らは、学会員か、創価学会に都合のいい人物で固められていた

  • 学会員警察官は学会活動の為なら平気で職権濫用し、警察官の身分を悪用し、犯罪ですら平気で犯す有様だった

 だからこういう事が起きていたのです。

 いずれにせよ竹入元公明党委員長や龍元都議会公明党幹事長、そして山崎元創価学会顧問弁護士らが明らかにしているように、創価学会は公明党の政治力を背景に、警察や検察を自家薬籠中の存在とし、学会員らによる犯罪を隠蔽するとともに、その権力を対立する人物や団体を攻撃するための武器として利用している。
 北海道警や福岡県警などで発覚した捜査費裏金問題を追及することも重要だが、同時に警察が創価学会によって汚染されていないかどうか、偏向していないかどうか、こうした点についても厳しい監視が必要である。

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 『警察や検察を自家薬籠中の存在とし、学会員らによる犯罪を隠蔽するとともに、その権力を対立する人物や団体を攻撃するための武器として利用している』

 滅茶苦茶な話ですが、当時の警察はそうであり、創価学会は警察を嫌がらせの武器として活用していたのです。ちなみにこの点は現代でも変わっておらず、寧ろ、悪化していると言っていいでしょう。

当時の東村山署の副署長

 この人に関しては、記事の中では、親しい人という位置づけで書かれていますが、全く逆の情報がある為、保留とします。
 しかし、この副署長がこの問題のキーマンであるのは間違いありません。

 そして創価学会に批判的だった朝木明代東村山市議が西武新宿線東村山駅前の雑居ビルから転落して死亡した「怪死」事件では、警視庁東村山署は事件発生当初から朝木市議の死を「自殺」と吹聴。事件発生直後にはろくな捜査すらしなかった。この事件については本誌の今年1月15日号特集記事で詳報しているように、事件後4年を経過して明らかとなった司法解剖の鑑定書に、法医学上「争った痕」と推定される皮下出血痕が上腕の内側にあったことが記載されていたが、当初から事件を「自殺」だと強調し続けた東村山署の副署長は、その後、創価学会が「週刊新潮」の朝木市議の怪死事件に関する記事を名誉毀損だとして提訴した裁判での、筆者に対する証人尋問の法廷に姿を見せ、創価学会の代理人と親しく談笑する姿が目撃されている

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事件の担当検事と検察の支部長が学会員だった

 こちらをどうぞ。

 しかも創価学会を厳しく批判していた朝木市議の怪死事件や、朝木市議の生前に生じた暴行事件などを担当していたのは、なんと創価学園・創価大学出身のバリバリの創価学会員である信田昌男検事だった。そして担当検事を指揮する立場にある東京地検八王子支部の支部長もまた、学会員の大学生を法曹界や官界等に送り込むための特別プロジェクトである創価学会学生部法学委員会の参与で、創価学会の副会長の妹を妻に迎えているバリバリの学会員である吉村弘検事だったことが分かっている。すなわち朝木市議の怪死事件は、学会員の検察シフトで捜査されていたのである。

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 この件ですが、朝木直子さんがツイートで当時の記事をアップロードしてしらっしゃいます。

 この問題ですが、ウィキペディアの朝木市議の項目にも書かれていますが、『通常、警察・検察は担当事件や捜査に関係する人間や団体は捜査担当から外れるのが原則だが、今回はその原則から外れている』わけです。
 はっきり言って、異様です。

当時の創価学会は、公然と嫌がらせ行為を働いていた

 全てを列挙する事は不可能ですが、可能な限り、紹介していきます。

「われわれも学会批判をめちゃくちゃにやったし、向こうも真剣勝負でした。たとえば、とつぜん宣伝カーの前に、二~三人が立ちはだかって道をふさいだり。ひどいときは道路に寝転んだり。ある夜、事務所の玄関にバーンと大きな音がするので行って見ると、大きな石が投げ込まれ、車が走り去っていった。僕の家に夜中じゅうファックスを送りつけてきたこともありました」
※菅義偉前総理が1996年衆議院選挙で神奈川2区から出馬して新進党(現公明党)公認の上田晃弘氏と戦った際に創価学会から受けた嫌がらせ

 菅義偉前総理の秘書を長く務めた渋谷健氏の証言

平沢が公明党の仕業と思っている嫌がらせはすさまじいものがあった。
 車を尾行されたり、ボス夕ーを焼かれたり……。街頭で聴衆と握手をしているとき、いきなり胸ぐらをつかまれる暴行も受けた。以来、警察は平沢にボディガードをつける。平沢の選挙区の家庭すベてに怪文書もバラまかれた。深夜一~二時間の間である。この違法行為を誰かの指示で一斉にやれる組織が行ったのだろう、と平沢は思った。
 報道番組『ニュースステーション』が、ある時、平沢の立っている東京一七区を取り上げた。対立候補の山口が、「平沢候補者は、金をばらまいて、それで票を買っている」と演説する。悪質な選挙妨害と激怒した平沢は弁護士を通じてテレビ朝日に抗議し、『二ュースステーション』は後日、それを紹介した。山口にも内容証明を送る。
「金をばらまいて票を買っているとは、どういう意味か」
「週刊誌に、その種の記事が出ていた。また町内会行事のときに、金を包んだことが新聞に書かれてあった」
 こんなアヤフヤな答えに、平沢はまた内容証明を送った。
「あなた方の考えはわかった。週刊誌などに書かれたことが事実だというのなら、週刊誌には、創価学会の池田大作さんのことも書かれている。これも、すべて事実だということでいっていいのか。また、町内会行事に金を包んだことが問題だというが、秘書とともに行き、ごちそうになったのに、ただで帰るわけにはいかない。対価としておかしいとはおもわない。さらに、わたしよりも、山口候補のほうが数多くの場所で出している。町会の出納簿に記録が残っている。これについては、どう答えるのか」
 まもなく回答が届いたが、「あなたが、金権であることは間違いない」というムチャクチャなものだった。
※2000年の衆院選で平澤勝栄元大臣が創価学会から受けた嫌がらせ

『自民党と創価学会』 佐高信 集英社新書

 私が前田議員に聞きたかったのは、「どうして、わざわざ創価学会・公明党の問題に首を突っ込むのか。そんなキケンを冒さなくても、民主党内でラクをして出世していく方法など、いくらでもあるだろうに」ということでした。
 曰く、彼も私と同様、身内に学会員がいるというわけではなく、衆院に立候補するまでは、ほとんど創価学会とは関わりがなかったということです。

 ところが、草川昭三の地盤である愛知6区から出馬を表明した途端、突如として、創価学会からのイヤガラセが始まったそうです。
 「イヤガラセはそれは凄かったですよ。猫の死骸が玄関先に投げ込まれたのはもちろんですが、いちばん許せなかったのは、私には小学生の娘がいるんですが、その娘を学会の青年部が取り囲んで、『オマエのオヤジは……』というふうに威圧を加えたんです。じつは私の娘はダウン症という障害を抱えているんです。小さな女の子であるのはもちろんですが、障害を持った人間に対して大の男がそんなことをしますか。これがあったとき、私は絶対に(公明党・創価学会=池田大作を)許せないと思いました」(前田議員)

 このダウン症の娘さんに対するイヤガラセというか、もうこれは立派な暴力ですが、この話を聞いたとき、私もびっくりしました。
※2000年の衆院選の話です

民主党の前田雄吉・衆院議員と会ってきました 2004年 11月 26日
古川利明の同時代ウォッチング

 幼い女の子(脱会者の娘)をいい歳をした成人男性が取り囲み「お前は地獄に落ちる」だのと恫喝したケースに関しては、被害に遭った人からじかに聞いた事があります。発生したのは90年代に問題になった脱会者に対する嫌がらせ事件よりも前です。この種の信じ難い嫌がらせは、創価学会による嫌がらせの特徴の一つでもあります。

 平成三年初頭から、創価学会は、質問(抗議)に名を借りた寺院攻撃をはじめた。目的は住職をおどして、創価学会批判を封じることであった。それがエスカレートして暴力事件があちこちで起きた。
 特に大がかりなのが「開信寺」事件で、男子部三百人が同寺に押しかけ、住職や信徒に、殴る蹴るの暴行に及んだ。驚いたことに暴行を受けた人の中には身体障害者もいた。
 小さな暴行事件は枚挙に暇(いとま)がないが、出刃包丁を持った男が、住職に「お前を殺しにきた」とおどした事件、木刀を持って寺に駆け込み、住職を殴りつけた事件などは特筆すべきであろう。

創価学会の光と影~崩壊する創価学会の実態 妙教編集室

 学会を脱会するという田賀さんの意思は固まっていたが、静かな形で学会を離れたいとの姿勢を崩さなかった。このため早くても7月の参院選後、できれば任期いっぱい務めあげて、学会員への影響のない状況を選んで脱会するという考えでいた。
 ところが、次女の千代子さん(28歳)が昨年暮れに脱会したのとあわせて、田賀さん一家への嫌がらせが激しくなった。ついに2月下旬には、森岡副会長ら県大幹部は、池田文化会館に田賀さんを呼びつけた。つるしあげるような形で、
 [1]日顕の悪口を言って歩くことが君の役目だ。ただちに実行せよ
 [2]脱会した者が自殺するまで追い詰めろ、それが池田先生の指令だ――
などと強烈に詰め寄ったという。
 これに対して田賀さんは、猊下への悪口は絶対に言えないと断った後、『脱会した娘(千代子さん)をまず自殺に追いつめろということですか』と、聞き直したところ、県大幹部らは『そのとおりだよ』と、よどみなく答えたという。
※田賀氏=公明党福井県議会議員で学会員だった田賀一成氏
※脱会後、田賀氏のもとには脅迫電話が相次いだ

創価学会 池田王国の崩壊―副会長の告発 永島 雪夫著 リム出版新社
創価学会脱会者3300人大調査 史上空前 ここまで酷い嫌がらせの実態
週刊文春1995年12月14日号 より
創価学会脱会者3300人大調査 史上空前 ここまで酷い嫌がらせの実態
週刊文春1995年12月14日号 より

 上記は『創価学会脱会者3300人大調査 史上空前 ここまで酷い嫌がらせの実態』(週刊文春1995年12月14日号)に掲載されていたデータをもとに作成したグラフです。嫌がらせの被害を受けた人が実に2300人以上もおり、被害内容も、脅迫が656件、尾行429件、監視475件、盗聴80件、暴行49件、中傷ビラ863件、器物損壊208件と、異様な内容となっています。この記事には冒頭に『取材班は、今年十月、関係寺院と創価学会被害者の会を通じて、全国の創価学会脱会者にアンケート調査を実施した』と書かれており、また、被害体験の多くは実名と学会員時代の役職名等が記されており、内容の信憑性を最大限担保する形で掲載されています。つまり、本当にこれだけ多くの人が、凄惨な嫌がらせに遭ったのです。なお同記事には最初の方に『また、寵年光・元公明党都議も学会男子部員に襲撃されている』とあり、開信寺の襲撃事件にしてもそうですが、本当に多くの暴力事件が発生していた事が窺い知れます。

 警察とJAFに来てもらい、現場検証してもらいました。それによると、通常よくある「愉快犯」が千枚通しのような鋭いもので一気にタイヤに穴を開けるやり方ではなく、タイヤに数センチの長さのネジを差し込み、更に空気穴にも細工を施していました私が高速道路を走行する際、スピンして事故を起こさせる狙いではないかと想像できたのです。
 JAFの整備工がいうには、「過去のいろいろな修理や事故を処理してきたが、これほど悪質で程度の悪いのは初めてです」ということでした
※小多仁伯氏が車のタイヤに細工された事件に関する話

『池田大作の品格 PARTⅡ』 小多仁伯著

 創価学会が行った嫌がらせに関しては、本当に、幾らでも掘り出してくる事が出来ます。きりがないのでここで止めますが、これで事件当時の創価学会がどんな状況だったのかは、理解できたと思います。公然と嫌がらせを実行し、暴力も堂々とふるって事件を起こしていた。
 学会の正義の為には暴力も辞さず。
 これが当時の創価学会の実像です。

平然と捏造行為を働いた当時の創価学会

 コーヒーカップ事件という有名な事件があります。

コーヒーカップ裁判
コーヒーカップ裁判(コーヒーカップさいばん)とは、宗教法人創価学会の会員と日蓮正宗持経寺との間で起きた遺骨の保管をめぐったトラブルである。
■概要■
1992年11月、川崎市にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れ、本堂で夫が遺骨を受け取って退出した。しかし、5分後に再び本堂を訪れて遺骨が骨壷ではなくコーヒーカップに入っていたと主張したうえ、寺の遺骨管理がずさんだったと抗議し、機関紙創価新報が新聞記事として掲載した[1]。翌1993年3月、夫妻は精神的な損害を受けたとして、損害賠償を求めて横浜地裁川崎支部に提訴した。
(中略)
控訴審判決
(中略)
裁判所は一審同様、納骨堂の建替時期とお骨が入っていたと主張したコーヒーカップの製造年月日に着目した。持経寺は1984年(昭和59年)以前に納骨堂の建替などがあり、骨壷を移転する機会が3回ほどあったが、コーヒーカップの製造業者のタイホー商事は、原告がお骨が入っていたと主張したコーヒーカップが昭和59年以降に製造販売した『キイズ・テーブルシリーズ』と証言した。裁判所は、ビデオテープの記録と製造業者の証言から遺骨が骨壷からコーヒーカップに入れ替えられていたのは、原告らの「自作自演」である可能性が高いことを指摘し、一審判決を破棄した。持経寺勝訴の逆転判決を言い渡した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 敵対している日蓮正宗に因縁を吹っ掛けて、創価新法に中傷記事を掲載する目的で、わざわざ遺骨をコーヒーカップにすり替えて、寺の管理が杜撰だからすり替えられたと虚偽の訴えをしたという、とんでもない事件です。
 この創価学会という団体、信じられないような異常な事ばかりやっているのですが、写真偽造事件も滅茶苦茶です。

偽造写真事件
偽造写真事件(ぎぞうしゃしんじけん)は、1992年(平成4年)11月から創価新報紙上に日顕宴席写真を掲載し、偽装したというのが宗門側の見解である。
(中略)
■創価新報による報道■
創価新報は、1992年(平成4年)11月4日号と18日号の2度にわたり、日顕が芸者に囲まれている写真を掲載。 1993年2月17日号において写真のカラー版を掲載し、写真の撮影者が椎名法昭であることを明かした。 撮影されたのは、1986年(昭和61年)11月22日。
(中略)
■一審判決■
1999年12月6日、東京地方裁判所梶村太市裁判長は創価学会による「芸者写真」捏造、およびそれを基にした池田大作の誹謗中傷発言などの名誉毀損行為を認定し、「その違法性は社会通念上けっして容認できない程度に至っていることは明らか」、「名誉毀損の成立は妨げられない」として、創価学会側に総額400万円の損害賠償を命じた。
(以下略)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 敵対している日蓮正宗の日顕法主を中傷する為に、わざわざ作って日顕法主が芸者に囲まれている合成写真を作って、その写真を創価新法に何度も掲載して、うち一度はご丁寧にもカラー写真を使用、日顕法主が芸者遊びをしていたと、事実無根の中傷したという、出鱈目な事件です。
 正直なところ、失笑を禁じ得ません。わざわざ敵対する教団を貶める為に、普通、ここまでの事をしますか?。しかも、当然ですが、合成写真を作って中傷していた事実が表沙汰になったら、その様な卑劣な行為に手を染めた創価学会は猛烈にバッシングされる事になります。
 リスクを考えたら絶対にやらないような異常行動を平気で取る。
 想像を絶する捏造行為を平然とやってのける。
 創価学会の場合、悪評や中傷を組織的に拡散する嫌がらせを働く事で有名で、被害に遭った人は脱会者だけでなく非学会員の一般人でもごく普通にいるのですが、その内容というのが「強姦の容疑で警察の取り調べを受けている」だの、「刑務所から出所してきたばかりの前科持ち」だの、「職場で統失トラブルを起こして店長からクビを言い渡された」だの、「裁判所から執行猶予の判決を受けてその期間中」だの、信じられないようなデマを平気で垂れ流すといったもので、しかも、そのデマの内容を周囲の人達が信じると、その人の社会的な信用が根こそぎ奪われて、破滅するような、陰湿な事を平気でやってくるんです。
 こうした想像を絶する捏造を平然とやってのけるのは、創価学会の組織体質だと思って頂いて結構です。

朝木市議は創価学会を脱会する人達の支援活動をしていた

 ウィキペディアの朝木市議のページは、朝木市議を中傷したり、悪い印象を抱かせるような記述がされている為(敢えてどこの仕業だとは言いませんが)、ジャーナリスト段氏の記事を引用します。
 ちなみに反創価学会・反公明党の急先鋒で、議員時代には学会や公明を厳しく糾弾した故・永田寿康衆院議員のページも、以前は、『次第に精神に支障をきたすようになる』『実父が関係する福岡県宗像市の医療法人所有の[[精神病]]患者のためのサナトリウム』(に入院していた)『精神科病院の八幡厚生病院に入院』『他の患者の見舞客たちも、院内ロビーをよだれを垂らしながら呆然と歩く永田の姿を時々見かけていたという』等と、必要もない情報が記述され(しかも『よだれ』云々は真偽不明の情報です)、故人となった永田氏を中傷するような、卑劣な記述がされていました(ソース)。
 まるで「創価学会を批判する者は統合失調症だ」と言い張っている学会幹部の発言が正しいかのような記述になっているのは、果たして偶然なんでしょうかね……。

 当時、「四月会」、「憲法20条を考える会」の結成など自民党の執拗な攻撃に、学会・公明党の足場が揺れ動いた。その一方、東村山市という東京都下の一市議の立場ながら、「草の根市民クラブ」所属の朝木市議らも学会・公明党の諸問題点を市議会の席上等でガンガン追及していたのである。
 福祉活動に汗を流していたボランティア重視の専業主婦が、82年の東村山市議選に初めて出馬。以来連続3期12年の朝木市議が、なぜ学会・公明党問題に深く関与することになったのか。
 詳しくは乙骨氏の著書『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会)に譲るが、その関わり方も半端ではなかった。
 この当時、学会は宗門から破門され、双方間で激しい火花を散らす抗争が展開されていた。朝木市議も、この渦に飛び込むことになる。きっかけは同市議たち「草の根市民クラブ」が発行する月1回のミニコミ紙「東村山市民新聞」(発行部数4万部強)であった。
 購読者から、「学会を脱会する際の嫌がらせ」の相談を受けたことを紙面化。さらに朝木氏は、
 「学会員や公明党議員の中には、平気で人権侵害する人がいます。応援しますので頑張って!」
 と、呼びかけたのである。
 呼びかけたばかりではない。脱会を希望する学会員たちの“代理人”を買って出て、脱会する学会員による「脱会届」と一緒に、創価学会会長・秋谷栄之助氏宛に次のような要望書も送付している。
 「今般、一身上の都合で創価学会を脱会いたします。以後、接触を希望する場合は,代理人朝木明代に連絡願います。
 創価学会会長 秋谷栄之助殿…………」
 巨大な宗教組織に対して、真っ向から立ち向かおうとする朝木市議の行動が、やがて東村山市の枠を越え、全国にその名を浸透させた。
高知の一市民団体が講演者として、朝木市議に白羽の矢を立てたのもそうした背景からである。

検証―新事実が明らかになった「東村山事件」 東村山市議「怪死」事件とその背景
ジャーナリスト 段 勲 Forum21 2004年01月15日

 この頃、池田大作は「脱会者は自殺するまで追い詰めろ!」と学会幹部達に厳命しており、それを受けた福井県創価学会の森岡副会長ら県大幹部が、田賀公明党福井県議に対し『脱会した者が自殺するまで追い詰めろ、それが池田先生の指令だ』『脱会した娘をまず自殺に追いつめろ』と指示を出すという、異常な言動が取られていた時代です。
 また、後藤組元組長の後藤忠政氏の著書『憚りながらの中』の中に出てくる、池田氏の最側近・藤井富雄氏が反創価学会の活動をしている亀井静香ら4人の名を挙げ「この人たちはためにならない」と言い、組長に襲撃(暗殺)依頼をしたという話も、重要な意味を持ってきます。
 創価学会は仏敵や敵対者を暗殺しようとした事実がある事になる為です。
 朝木市議が創価学会から見て仏敵や敵対者に当たる事は確実でしょう。

朝木市議の周辺で起きていた不気味な嫌がらせ

 こちらも段氏の記事からです。

万引き事件は、各週刊誌も報じ、やがて全国的な話題になった。さらに、同事件が明らかになった直後(7月16日)、朝木市議と共に「草の根市民クラブ」を構成していた矢野市議も、何者かによって不可解な暴行を受けている。
 その暴行ぶりも尋常ではない。未明、事務所から自転車で帰宅しようとした矢野市議に、何者かがいきなり襲いかかってきた。自転車を奪って路上にたたきつけ、ヘッドロックしながら顔面や頭を投打。矢野市議は自転車で数百メートルほど逃走したが、再び同一犯人に追いつかれた。
 大声を出して助けを求め、近くの公園にいた若者グループが駆けつけてくるまで、前歯を折るほどまた激しく殴られ、蹴られていたのだ。
 頭部、顔面挫傷で、全治2周間のケガ。当然、警察に被害届を出しているが、いまだ犯人は不明のままである。このほか、朝木、矢野両市議の周辺では怪文書が撒かれ、脅迫文が届き、朝木氏が愛用している自転車のブレーキが切断されるなど異常な事件が相次いだのもこの時期である。

検証―新事実が明らかになった「東村山事件」 東村山市議「怪死」事件とその背景
ジャーナリスト 段 勲 Forum21 2004年01月15日

 失礼ながら、本当に馬鹿馬鹿しい話ですけど、どこの団体がやらせたのか、丸わかりですよね……。こんな解り易い事件で犯人が見つからず不明だなんて考えられませんし、当時の警視庁が上から下まで創価学会と癒着していて、創価学会絡みの事件ではまともな捜査が行われていなかった事を考えたら、そういう事なのかな、という印象しか受けません。

万引き事件

 そうして有名な、飛び降り事件直前の万引き事件です。
 こちらも段氏の記事を使います。

■疑問だらけの「万引き事件」■
 そんな朝木市議に、突如として予想外のスキャンダルが炸裂した。命を落とすほぼ3カ月余前に起きた「万引き事件」がそうである。
 まだマスコミも情報をつかんでいない時点(95年7月11日)で、以下のような匿名ファックスが東村山市の各マスコミに流れたことで事件は表面化する。
 「東村山市議会議員の朝木明代氏が、市内の女性服販売店で万引きをしたとの事実を確認いたしました。去る6月、東村山市の東口近くのブティク『X』で、店頭ワゴンに並べられていた商品(女性服)を朝木氏が万引きをして逃げようとするところを店員に捕まり、その場で商品を取り上げられたとのこと。事後に、店からは警察に被害届が出されています……」
 朝木氏が万引きをしたという肝心の商品は、1900円のTシャツである。この情報を筆者も得たとき、「東村山市民新聞」に報じられていたある記事が思い出された。
 朝木市議は、東村山市議会が、自らの議員報酬引き上げをしたという「お手盛り引き上げ」を徹底批判。以後、同市議は8年にわたって給与の引き上げ分やボーナスの割増し分を返上。95年5月まで、返上総額は806万5420円にのぼっていた。万引きしたとされる1900円のTシャツ、4523枚分である。
 実直で、不正を蛇蠍のごとく嫌っていた朝木市議が、たかだか1900円のTシャツ1枚に手を出すか? 本人を知る筆者の素朴な疑問であった。

検証―新事実が明らかになった「東村山事件」 東村山市議「怪死」事件とその背景
ジャーナリスト 段 勲 Forum21 2004年01月15日

 不正を蛇蠍のごとく嫌い、8年にわたって給与の引き上げ分やボーナスの割増し分を返上、総額は806万5420円にのぼっていた。そんな人が1900円のTシャツ1枚を万引きするだろうか、という段勲氏の疑問は至極当然だと思います。
 ここでウィキペディアの万引きの項目を引用します。 

■万引き被疑■
同じ1995年6月、朝木明代は、東村山市内の店で発生した万引き事件(6月19日)の被疑者として、警視庁東村山警察署(以下、東村山署)で3回(6月30日・7月4日・7月12日)にわたって取調べを受けたが、一貫して否認した。初回の取り調べ当日夜に、朝木明代は矢野穂積とともに「『東村山市民新聞』の取材」として被害届を出した理由を問うために店を複数回訪問している。二人が即座に店を特定できたことから、朝木明代が実際に万引きをしたか、警察官が朝木明代に店が特定できる情報を提供したか、どちらかであると思われる(朝木明代は、万引き事件の存在を6月30日の取り調べで初めて知ったとしている)。7月4日の取り調べにおいて、朝木明代は、万引きのあった時間には同僚の矢野議員と食事をしていたと主張し、レストランから受け取ったレシートのコピーを提出した。しかし、裏付け捜査の結果、レシートのコピーは後日にレストランに請求して受け取ったレジジャーナルのコピーであること、朝木明代の供述とレシートの記載内容・レストラン店員の記憶に不整合があることが分かり、アリバイ工作を行ったと見なされて7月12日に書類送検された。送検直後に朝木明代は「創価学会員である店主が創価学会の意を受けて万引き事件をでっち上げた」とのコメントを報道各社に出して『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』『週刊朝日』『週刊ポスト』で報じられ、8月3日には店主を名誉毀損罪で刑事告発した。また、『週刊新潮』(8月17・24日合併号)は「朝木事務所に万引き事件は替え玉を使った陰謀だという情報が寄せられている」という矢野の談話を掲載した。朝木明代の転落死(下記)により、万引き被疑は被疑者死亡による不起訴となった(1996年3月)が、その後は、矢野・朝木直子が万引きでっち上げの主張を続けることとなる。

店主は、事件時の朝木明代の服装「グリーングレーのパンツスーツに黒の襟の立ったチャイナカラーのブラウス」と証言した。朝木明代は、万引事件(3時15分ごろ)の約1時間前に銀行ATMで送金をした。ATMの監視カメラが捉えた明代の服装は、店主の証言とほぼ一致していたという矢野らは、この映像を参考にして遺品の衣服(ただし、襟の形・スーツの色など店主の証言とは食い違うもの)を選定して朝木直子に着せ、監視カメラと同等のカメラで撮影した写真を「再現写真」と呼んだ。「再現写真」を見た東村山署元副署長は「服が同じか断定できないが、雰囲気としてよく似ている」と述べ、店主は「服装の雰囲気が違うような気がする」と述べた。 矢野らは、

1 店主の証言と「再現写真」では朝木明代の服装が食い違う
2 元副署長は「雰囲気が似ている」、店主は「雰囲気が違う」と供述が食い違う

ことが冤罪の最大の証拠だとしている。また、万引き現場を通りかかった目撃者の1人が証言した服装「黒っぽいスーツ姿」とも矛盾する、としている。

当初に主張したアリバイ(レストランでの食事)について、矢野・朝木直子は、レストランへ行った日付・時刻に関する記憶が間違っていた可能性を認めておりあいまいな記憶に基づいて詳細なアリバイを主張し、レシートを証拠として提出したことになる。後日の民事訴訟(#訴訟の応酬を参照)においては、矢野らは「アリバイの主張は故意(アリバイ工作)ではない」「アリバイの主張に矢野は関与していない」と主張した。

検証―新事実が明らかになった「東村山事件」 東村山市議「怪死」事件とその背景
ジャーナリスト 段 勲 Forum21 2004年01月15日

 この記述、朝木市議に対して、相当な悪意を持って書かれていますね。
 正直、読んでいて気分が悪いです。

 『当初に主張したアリバイ(レストランでの食事)について、矢野・朝木直子は、レストランへ行った日付・時刻に関する記憶が間違っていた可能性を認めておりあいまいな記憶に基づいて詳細なアリバイを主張し、レシートを証拠として提出したことになる

 万引き事件があったのは6月19日。朝木市議が初回の取り調べを受けた日は6月30日。2週間近くも前です。そんな前の事、特定の時間帯に何をしていたかなんて、正確に覚えていますか。それに対して『レストランへ行った日付・時刻に関する記憶が間違っていた可能性を認めておりあいまいな記憶に基づいて詳細なアリバイを主張し、レシートを証拠として提出した』等と記述するのは、悪意もいいところです。
 そうした偏った記述であっても、この項を引用したのは『ATMの監視カメラが捉えた明代の服装は、店主の証言とほぼ一致していたという矢野らは、この映像を参考にして遺品の衣服(ただし、襟の形・スーツの色など店主の証言とは食い違うもの)を選定して朝木直子に着せ、監視カメラと同等のカメラで撮影した写真を「再現写真」と呼んだ。「再現写真」を見た東村山署元副署長は「服が同じか断定できないが、雰囲気としてよく似ている」と述べ、店主は「服装の雰囲気が違うような気がする」と述べた』『万引き現場を通りかかった目撃者の1人が証言した服装「黒っぽいスーツ姿」とも矛盾する』という部分があったからです。
 コーヒーカップ事件、写真偽造事件、平気でデマを垂れ流す組織体質、そうした問題が当時多発していた事を考えると、万引き事件が脱会を支援する仏敵潰しを目的とした捏造事件だったとしても、驚きは全くありません。
 当時のマスコミや政界も同様に考えたから、冤罪説を支持したのでしょう。

氷見事件から得られる教訓

 有名な冤罪事件である氷見事件について解説します。
 ※この部分は『統一教会問題で機能不全を露呈した国会』とほぼ一緒ですので、そちらをお読みの方は読み飛ばして頂いて結構です。

氷見事件
ひみじけん

2002年(平成14)1月と3月、いずれも富山県氷見市内で男が民家に侵入して起こした強姦(ごうかん)および強姦未遂事件。両事件で有罪とされ、実刑判決が確定した男性が服役を終えた後、真犯人が明らかになり、冤罪(えんざい)と判明した。男性は再審で無罪となった。
[江川紹子]
事件の経緯
事件発生後、富山県警氷見警察署は、被害者の供述に基づいて似顔絵を作成して聞き込み捜査を行っていたところ、犯人に似ているとの情報を得たことから、タクシー運転手柳原浩(やなぎはらひろし)の任意取調べを開始。柳原は、当初は否認していたが、3回目の取調べで虚偽自白に追い込まれ、逮捕された。富山地裁高岡(たかおか)支部で行われた裁判で起訴事実を認め、懲役3年の実刑判決が言い渡された。柳原は控訴せずに服役し、2005年1月に仮出所した。
 2006年11月、鳥取県警が鳥取県米子(よなご)市内で発生した強制わいせつ事件の被疑者として逮捕した男が、余罪捜査中に氷見事件の犯行を自白。現場に残された足跡痕(こん)が、男が犯した他の事件の現場足跡痕と一致したことなどの裏づけもとれた。富山県警が改めて柳原に事情を聞いたところ、事件への関与を否定したため、富山地検高岡支部が再審請求を行った。再審公判で検察側は無罪の論告を行い、2007年10月10日に無罪判決が言い渡され、確定した。
[江川紹子]
捜査等の問題点
本件では、捜査段階で柳原の犯人性を示す積極証拠は被害者の目撃証言以外に乏しく、逆に犯人性を疑わせる消極証拠がいくつもあった。たとえば、現場に遺留された足跡痕の長さは28センチメートルであったが、柳原の足のサイズは24.5センチメートルであり、自宅から現場足跡痕にあう靴は発見されていない。取調べで、その理由を問い詰められた柳原は、捜査官に誘導されるままに「捨てた」「隠してある」「燃やした」などと供述を変遷させた。警察は、靴の入手経路を解明することもせず、この消極証拠を見過ごした。
 また、被害者供述では、犯人はサバイバルナイフのようなもので脅し、チェーン様のもので被害者を後ろ手に縛った、とされていた。しかし、柳原宅の捜索では、そのようなナイフやチェーンは発見されなかった。にもかかわらず検察官は、凶器は柳原宅から押収された果物ナイフであり、縛ったのはやはり柳原宅から押収されたビニル紐(ひも)であると認定して、柳原を起訴した。
 さらに、事件の発生時間帯に、柳原宅から親族宅に電話がかけられた記録があったが、このアリバイ証拠は見落とされた。
 虚偽の自白を行った理由について柳原は、警察の長時間の取調べで意識がもうろうとしているところに、「家族はおまえを見捨ててるぞ」などと迫られ、絶望感のなかで犯行を認めたと述べている。また、柳原自身が描いたとされる現場見取り図については、捜査員が鉛筆で下書きしたものをボールペンで清書したものであり、引きあたり捜査では、現場付近に連れて行かれたうえで、捜査員から度重なる誘導を受けて、ようやく現場の家を特定するなど、警察側から与えられた情報を受け入れる形で証拠書類が作成された、としている。また、検事の取調べで否認すると、警察に戻ってからどなられ、今後は供述を覆さない旨の念書を書かされたと訴えている。
 警察庁は、本件に関する検証報告書を公表。捜査員による暴行や脅迫は否定しつつも、「相当程度捜査員から積極的に事実を確認する形での取調べを行わざるをえない状況にあった」として、捜査員が情報を与えたり、ヒントで誘導するなどの形で取調べが行われたことは認めた。最高検察庁も検証報告書を作成し、足跡痕や電話の通話履歴などの消極証拠の検討や自白の吟味が不十分であったことを反省点にあげた。
 本件では、弁護人の弁護活動も問題になった。日本弁護士連合会による調査報告書によれば、当番弁護士として接見した弁護士は、柳原の「やっていない」という訴えを聞いたが、格別の対応はせず、捜査段階でその後の接見はしなかった。起訴後に同じ弁護士が国選弁護人となったが、柳原本人との意思疎通が不十分なまま、有罪を前提とする弁護活動を行った。
[江川紹子]

日本大百科全書(ニッポニカ) サンプルページ

 この記述はかなり警察に都合よく書かれています。何故かというと、もっと酷い冤罪事件だからです。ただ、記述の纏まりがウィキペディアよりこちらの方が解り易かった為、使用しました。
 ですので記述の補足をします。
 この事件ですが、取調官の警部補は、初めから、柳原さんを犯人にでっち上げる目的で引っ張っています。
 ウィキペディアの方にはきちんと記述がありますが、逮捕状が請求されたタイミングが、柳原さんが自白するより前の段階なんです。
 逮捕後の取り調べの段階で、犯人と靴のサイズが全然違う事、凶器に使用されたサバイバルナイフが家宅捜索で見つからなかった事、運動靴が見つからなかった事などを見落としたとありますが、間違いです。
 犯人にでっち上げるのに都合が悪いから全て無視したのが真相です。
 事件の発生時間帯に柳原宅から親族宅に電話がかけられた記録があったというアリバイに関しても同様で、故意に存在しない事にしたんです。
 そもそも『現場見取り図については、捜査員が鉛筆で下書きしたものをボールペンで清書した』(ちなみにこれは捜査員が作成した見取り図に、薄紙を当ててなぞったという説もあります)、『引きあたり捜査では、現場付近に連れて行かれたうえで、捜査員から度重なる誘導を受けて、ようやく現場の家を特定』とか、普通に考えておかしいですよね。
 犯人にでっち上げる目的で、取調官は、警察が持っている情報を与え、事前に持っていたかのように捏造し、柳原さんを犯人にでっち上げたのです。
 また、こちらの記述にはありませんが、科学捜査研究所の担当者は現場に残っていた体液が柳原さんの血液型と一致しない可能性を認めながら氷見署長から依頼がなかったという理由で再鑑定しなかった、ともあるんです。
 結局、この事件は、連続強姦犯が捕まらないと警察が市民や県民から非難されるというので、さっさと犯人を捕まえろという圧力が上からかかり、柳原さんが被害者が手伝って作成した犯人の似顔絵に似ていたというだけの理由で、こいつを犯人にして捕まえちまえばいいと、警察がいい加減な事をやって、逮捕後に犯人の特徴と一致しない情報やアリバイなど、犯人にでっち上げる上で不都合になる情報は全て遮断し、警察が持つ情報を与えて犯人にでっち上げたという、極めておぞましい事件です。
 まさか無実の人間が逮捕起訴され、刑務所にまで入ったら、真犯人は大人しく再犯せずにいるだろう、犯人にでっち上げたのがバレないだろうと警察側がたかを括っていたら、真犯人は犯行を重ねて捕まり、でっち上げたがバレたという、胸糞の悪い事件です。
 ちなみにウィキにもこの記述にもありませんが、柳原さんはマスコミにも物凄く怒っていて、事件が起きた後、自分を犯人扱いして報道したせいで酷い目に遭わされたと、社を名指しで非難していました。このあたりの情報は、アンビリというテレビ番組で再現ドラマが放映され、反響があった後、記述していたサイトがなくなってしまったので、知らない人も多いのでしょうが、この冤罪は、警察だけでなく、警察の発表を鵜呑みにして垂れ流すマスコミ、被告の話も聞かずに事件の真相をきちんと確かめなかった国選弁護人など、複数の人間が流れ仕事でいい加減な事をした為に冤罪が晴れるまで時間がかかった面があり、日本社会の機能不全を象徴する、戦後史上でも屈指の悲惨な冤罪です。
 何故、この冤罪が、朝木市議の転落死事件を考える上での参考になるのか、ですが、現場の捜査員、捜査幹部の意思一つで、黒いものが白くなる事もあれば、白いものが黒くなる事もある、という現実を、これでもかと突き付けてくるからです。
 氷見事件なんて、たとえ冤罪だと知らなかったとしても、情報だけ読んでいたら誰しもが白だと思う内容です。ところが現場が黒だという事にしてしまえば、白が黒になるのです。

結論

 朝木市議の転落死事件の時系列です。

1995年9月1日
・12時30分 矢野とともに「草の根」事務所を出て新宿へ向かう
・13時30分 矢野、支持者とともに、東京都議会事務局に向かい「宗教法人法及び関係税法の抜本改正を求める陳情」を提出
・13時55分〜14時 矢野とともに知事室秘書事務担当課長と面談
・15時 病院に入院していた担当弁護士と[誰?]万引き事件の件で面会
・17時過ぎ [誰?]病院を後にする
・19時5分前 矢野、朝木、草の根事務所に到着
・19時15分〜20分頃 支持者が自宅方面に歩いていた朝木を目撃
・20時30分頃 薬局店主、「草の根」事務所に向かう朝木を目撃
・21時過ぎ 矢野、草の根事務所に戻る
 ・矢野が事務所に戻った時の事務所の状況
  ・明かりがついている
  ・鍵がかかっている
  ・エアコンがついている
  ・ワープロに電源が入っている
  ・画面に「創価学会問題シンポジウム」のレジュメ
・21時19分 朝木が自宅から草の根事務所へ電話。「気分が悪いので休んでいきます」と伝える。
・22時前 朝木直子、草の根事務所に電話。矢野より「(明代は)家にいるんじゃないの」と伝える。直子は自宅に電話するが明代は不在
・22時頃 ハンバーガー店の店員が本件ビルの裏のごみ置き場に行き、人が横たわっているのを見たが酔っ払いかと思い気にとめず店に戻る
・22時30分頃 直子、自宅から草の根事務所に電話
・同時刻 ハンバーガー店店長、朝木が倒れているのに気づく
・22時33分頃 矢野、東村山署に電話[要出典]
・22時42分 ハンバーガー店店長、東村山駅前交番に通報。巡査が現場に駆けつける
・22時45分 巡査、救急車の出動を要請
・22時52分 救急車、本件ビル南側路上に到着
・23時10分頃 救急隊と巡査、朝木を救急車に収容
・23時16分頃 救急車、現場を出発
・23時25分 救急車、防衛医科大学校病院に到着
1995年9月2日
・0時30分頃 矢野、東村山署に朝木が行方不明と通報。東村山署の刑事が現場に向かうが朝木とは入れ違い。
・1時頃 朝木明代、死亡
・東村山署の刑事が病院到着、副署長に一報を入れる。副署長は直ちに本件現場に赴き、以後の捜査指揮に当たる警察犬や現場鑑識を要請。
・2時40分頃 矢野、東村山署に再度電話
・2時50分頃 東村山署から矢野に電話「病院に運ばれた女性は明代の可能性が高い」と伝える
・3時頃 朝木直子、矢野が東村山署に到着
・4時頃 朝木明代の遺体が東村山署に運ばれ遺体の検案が行われる。
・4時45分 朝木直子、矢野らの確認を得て、死亡者が朝木明代であることを確認
・7時頃 東村山署副署長は検察官、検視に立ち会った医師、死体の状況、関係者の供述などを総合して検討した結果、事件性は薄いと判断
・午前 東村山署ハンバーガー店長へ事情聴取
・同 矢野、草の根事務所で記者会見を行い「自殺なんて絶対にするわけない。朝木は殺されたんです」と創価学会の関与を匂わせる
・夕方 現場マンション敷地内[どこ?]で鍵を発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 長々と解説してきましたが。
 本当は、そんな必要ないんです。
 この時系列を見たら一発です。
 他殺です。

未解決事件はなぜ起こるのか
世の中には迷宮入りしてしまった事件が多くあります。多くの物証や目撃証言がありながら、犯人の足あとがぱたりとつかめなくなっている事件があります。
(中略)
初動捜査の遅れ
事件解決において重要なものの一つに初動捜査があります。初動捜査を行うことにより、多くの物証を得たり、犯人が近くにいるという可能性もあるのです。しかし、初動捜査が遅れてしまうことにより、これらの犯人の現場のにおいというべきものを取り逃してしまうのです。先述の世田谷一家殺害事件も、年度末に発生したことを受けて、初動捜査に多くの人員を投入できなかったのではないかという点が指摘されています。
(中略)
予断捜査による誤り
初動捜査とともに、未解決事件を生み出しているのが予断による捜査です。ほとんどの善良な市民は凶悪な事件を起こすことはありません。なにか犯罪が起こると、再犯者や不審者の洗い出しから始めます。
(中略)
これらの捜査は効果的な側面、犯人像を絞ってしまうということが行われます。犯人がその捜査範囲の外側にいた場合は、取り逃してしまう可能性が大きいのでリスクの大きな捜査方法であると言えるでしょう。

ビーカイブ 2015年5月17日 14時0分

 この種の知識がある人であれば上記の記事を引用するまでもない常識的な話ですが、事件が未解決になる原因は、大抵、初動捜査のミスです。先入観が原因で生ずる予断捜査も原因となると言われています。
 朝木市議の場合、状況は他殺を示しています。執拗な嫌がらせと脅迫、更には潰す為に仕掛けられたと考えられる万引き事件。朝木さんが亡くなってからたったの六時間で副署長が事件性は薄いと判断して、自殺の線で捜査を進めたら、他殺だったとしても、その証拠が見つからない可能性が高くなります。事件報道を何度もやっているマスコミからしたら、警察が自殺の線で捜査している状況は、自殺ありきで捜査を進めて、他殺である事を隠そうとしているのではないかというようにしか映らなかったはずです。
 副署長が本当に学会寄りの人だったのか、そうでなかったのか、それに関しては、重要な要素ではあるものの、この事件が他殺であると考える上では、余り重要じゃないんです。事件性は薄いと判断して、そのような方向で捜査を行った以上、どちらの立場だったとしても、他殺の証拠が出る可能性は低いという点に変化はないからです。事件性は薄いと判断して捜査した事自体が重要で、この方向で動いていた以上、警察が自殺と判断した事には全く意味がないわけです。そういう結論に達するのは当然なんですから。
 そうすると、状況は他殺を指し示しているのだから、自殺する動機がない以上、他殺だったのだろうという話になります。
 この事件が起きた当時の状況をポイントとして列挙して行きますよ。

  • 警視庁の部長ら上層部は創価学会からの接待攻めにあっており、完全に癒着していた

  • 警視庁警察官の約1割が学会員だった

  • 警視庁の警部補や警部、警視(警察署の署長や副署長)ら現場の幹部らは、学会員か、創価学会に都合のいい人物で固められていた

  • 学会員警察官は学会活動の為なら平気で職権濫用し、警察官の身分を悪用し、犯罪ですら平気で犯す有様だった

  • 創価学会は警察を対立する人物や団体を攻撃するための武器として利用していた

  • 事件の担当検事と検察の支部長が学会員だった

  • 当時の創価学会は、公然と嫌がらせ行為を働いていて、暴力事件も頻繁に起こしていた

  • 当時の創価学会は敵対者潰しの為に平然と捏造行為を働いていた

  • 池田大作が「脱会者は自殺するまで追い詰めろ」と幹部達に大号令を発していた

  • 亀井静香氏ら反創価学会の活動をしている人達を暗殺するよう暴力団に依頼した(転落死事件前か後か正確な時期は不明)

  • 朝木市議は創価学会を脱会する人達の支援活動をしていた=学会から見て仏敵や敵対者に該当

  • 朝木市議は脅迫文を送り付けられたり、怪文章をばら撒かれたり、自転車のブレーキを切られる等の嫌がらせを受けていた

  • 朝木市議に対する万引き(でっち上げ)事件が起きた

  • 万引き事件の表面化直後、同僚の矢野市議がリンチされ、頭部、顔面挫傷で全治2週間の大怪我を負った

 敢えて聞きたい。
 これだけ材料が揃っていて、どうしたら自殺だと思うんですか?
 創価学会絡みだったら、警察がまともに捜査するかどうかさえ、疑わしいような酷い環境にあったわけですよ。
 おまけに事件担当の検事も支部長の検事も学会員です。

裁判所の認定は根拠にならない

 ウィキペディアを引用します。

裁判所の認定
転落死をめぐる名誉毀損裁判の中では「自殺」説を認定する内容、「自殺」説「他殺」説をともに否定する内容、「自殺」説の相当性を認める内容が含まれているが、判決の中で「他殺」説を認定したものは一度もない。 朝木明代の死因は警察・検察の捜査結果によれば自殺のままであり、再捜査は行われていない。

朝木明代市議転落死事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 恐らく学会員なのでしょうが、『裁判所は自殺と判断(認定)した』等と、上記の記述に出てくる一連の判決を根拠に、そのような言説を触れて回る者達がいますが、噴飯物もいいところです。
 氷見事件が冤罪事件だとわかった理由は何故だかわかりますか。
 真犯人が捕まった事で、冤罪だったとわかったのが真相ですが、事件記録からも冤罪である事はわかります。事件が起きた当初は、警察はきちんと犯人を捕まえようとして丁寧に捜査をしていた為、犯人が残した痕跡をきちんと回収できていたからです。だから犯人と柳原さんの身体的特徴が一致しない事がわかっていたのです。
 それに対して、朝木市議の転落死事件は、朝木市議が亡くなってものの6時間で、副署長が事件性は薄いと判断し、自殺の線で捜査をしているのです。しかも、当時の警視庁は上から下まで創価学会と癒着しており、警察官の1割が学会員で、捜査幹部である警部補や警部すら、学会員や、創価学会の息のかかった者が大勢いると考えられるような、絶望的な環境下にあったわけです。学会員警察官が学会活動の為なら職権濫用すら平気でやる事は説明した通りです。もしも自殺で処理されるように動けという指示が出ていたとしたら、どういう事になりますか。
 流石にこれは陰謀論が過ぎますので、その部分を除去しますが、そうだったとしても、です。市議が亡くなったたった6時間後に事件性は薄いと判断、万引き事件を根拠として、自殺ありきの捜査をしたのでは、他殺の証拠など見つかるわけがありません。そのようにして行われた捜査を根拠として裁判所は判決を出しているわけですから、他殺認定など出るわけがないのです。
 だから裁判を根拠に「自殺と認定した」という人は、正直、この人、馬鹿なんじゃないかなというのが本音です。
 この朝木市議の転落死事件は、そうした点で、警察の信頼はもとより、司法の信頼を大きく傷つけるものになっていると思います。法治国家でありながら、警察のいい加減な捜査が原因だとは言え、裁判所の下した認定の信憑性が全く信用できないというのは、危険な状況です。

何らかの決着が必要

 法治国家である以上、裁判所の下す認定には重要な意味があり、価値があるわけですが、こと朝木市議の転落死事件に関しては、捜査の結果がまるで信用できない為、その信憑性が大きく毀損しています。
 正直なところ、警察は既に、かなり信用を失っていますし、裁判所も時折おかしな判決や事実認定をして、これはおかしいだろうと突っ込まれる事が度々ですので、信用がかなりぐらついています。
 だから、今更、の部分はあるのかも知れませんが。
 何らかの形できちんと決着をつけた方がいいと思います。
 少なくとも、朝木市議の転落死事件は、誰がどう見ても他殺であって、自殺の可能性は考えられません。仮に他殺でないとしても、事故死だったという事になるだけです。最初から自殺と決めつけて捜査して、それで他殺の証拠が出なかったから自殺ですと言い張るのは、不誠実であり、そのような対応を取れば、司法と警察が信用を失うのは当然です。
 事件から時間が経ち過ぎている為、今更再捜査をしたとしても、真相に辿り着く事も、犯人を捕まえる事も出来ないわけですが、国民がきちんと納得するような、何らかの行動を取り、決着をつける必要があると思います。

 ちなみに、映画『ガス燈』のリメイク作の中には、夫が妻を精神障害にでっち上げようとする理由を、妻が精神障害を苦に自殺したように見せかけて殺害する為だった、とするものもあります。
 仮に朝木市議の万引き事件が、最初っから、朝木市議を自殺に見せかけて殺害する目的で、自殺の動機として用意した仕組まれたものであったとしたら、これほど悪質なものはありません。手口としては、世間を欺いているという事で、犯人は世間に対してガスライティングを働いたことになります。また、そこまで計算して、吐き気を催すような強烈な悪意の下に、自殺に偽装して転落させ、殺害したのだとしたら、この転落死事件は、極めて高度に計算された計画殺人という事になりますから、犯人が現場に証拠を残していないのも当然だという事になります。

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