5月に読んだ本
4月から建築学部の教員になったので、なるべく建築系の本を読みたいと思っている。そう思って読書を続けたら、今月は2冊ほど建築系の本を読むことができた。やはり建築本はスラスラと読める。改めて、私はここが故郷なのだと思わせてくれる分野である。とはいえ、興味の対象は故郷の外に広がり続けている。いまは資本主義や民藝についての本に興味がある。外の分野の本を読むと、母国語ではない言語の本を読んでいるような気分になる。出てくる用語がいちいち分からないのである。でも面白い。新たな情報がどんどん入ってくる感覚がある。だからやめられない。
▼『民主主義を問いなおす』
最近は資本主義に興味があるので、先月は内山さんの『資本主義を乗りこえる』を読んでみた。わかりやすい内容だったし、いくつもの発見があったので読了後の満足感は高かったのだが、そもそもはこれが講演会の記録だというのが気になった。東北の農家が自主的に開催している「2月セミナー」というものに内山さんが呼ばれて、2018年に話した内容がまとめられたのだという。そして、前年2017年の内容も『民主主義を問いなおす』というタイトルでまとめられているという。ということでさっそく読んでみた。内山さんは「2月セミナー」に、もう35年もつきあっているらしい。35歳のときに講師を頼まれて、それから毎年「そのとき話をしたいこと」を話してきたという。2日間のプログラムで、合計4回の講義と討論があるらしい。かなり本気のセミナーだ。選挙の結果が企画会社のプロモーションによって左右されること、先進国が富を独占できていた時代とできなくなった時代のこと、伝統回帰を望みながら新しいことに挑戦する世代の台頭、「はじめに関係がある」という世界観のことなど、今回もまた刺激的な話題に満ちた本だった。これで1冊目と2冊目を読んだことになる。最後の1冊は2019年のセミナーをまとめたもので、タイトルは『新しい共同体の思想とは』。読まないわけにはいかないだろう。
▼『新しい共同体の思想とは』
これまた面白い内容だった。このシリーズ、3冊とも読んでおくべき本である。オンライン読書会にも向いている。前にも書いたが、この本は東北の農家たちが開催している「2月セミナー」で内山さんが語ったものをまとめたものだ。2日間のプログラムで合計4回の講義があり、それぞれに討論の時間も設けてあるという。本書も4講ずつ収録されている。だから、オンラインで何人かが集い、内山さんを呼んだと思い込んで「今日から2日間、内山さんとともに学びましょう」とセミナーを始めれば良い。「では1講目。内山さん、よろしくお願いします」というZOOM上での掛け声とともに、参加者は黙って本書の第1講を読み始める。概ね1時間で読める内容である。読み終わった人から各自休憩し、1時間30分後から討論の時間とする。内山さんの話を聞いて(読んで)、自分はどう思ったのかを語り合う。1時間くらい討論すればいいだろうか。これで午前中のプログラムを終える。各自で昼食。弁当を用意して画面越しに語り合いながら食べても良い。そして午後。「では2講目。よろしくお願いします」で黙読開始。1時間半後に討論開始。これで1日目終了。これを2日間続ければ、1冊読み終わって討論も完了。「2月セミナー」を勝手に再現することができるだろう。それが3冊あるのだから、月に1度の読書会としても3ヶ月分は楽しむことができる。試しに弊社でやってみたい読書会である。内容的には、「関係性こそが本質である」「自然と死者と生者がつくる社会」「東洋思想の再評価」「華厳経の魅力」など、コミュニティデザインやワークショップに応用できそうな話題がたくさん見つかった。
▼『いまこそ「社会主義」』
2017年に、哲学者の國分功一郎さんと対談して『ぼくらの社会主義』を出版した。これは、それ以前に書いた『コミュニティデザインの源流:イギリス篇』が前提となっていて、イギリスにおける社会主義思想を再評価しようという試みだった。だからマルクスとかエンゲルスとかレーニンとか毛沢東という話はほとんど出てこない。むしろ、オウエンとかラスキンとかモリスとかハワードといった人たちを積極的に評価した。彼らは革命的社会主義者ではなく、穏健派社会主義者(マイルドソーシャリスト)だった。いまのイギリス労働党の源流にあたる人々である。続編として『ぼくらの資本主義』でも書きたいなぁと思いながら調べていると、2020年に『いまこそ「社会主義」』という新書が出ていることに気づいた。ジャーナリストの池上彰さんと、経済学者の的場昭弘さんの対談本である。タイトルが『ぼくらの社会主義』に似ている。さっそく入手して読んでみた。こちらはむしろ、マルクス経済学について積極的な言及が見られる本だった。ソビエト連邦や中国共産党に連なる歴史、キューバ革命からアメリカの圧力によってソ連と連なった社会主義化。そして、資本主義の拡大によって、まだ資本主義ではない国との貿易を拡大させていくなかで、社会主義国に多大な債務を生み出し、結果的に崩壊をもたらした新自由主義資本主義の破壊力。そうやって世界中に取引することができない国はないという状態に行き着いたとき、新自由主義的な資本主義は自滅してしまうのではないかという推論。開発途上国も旧社会主義国も、すべて取引相手にしてしまった結果、賃金の安いそれらの国に技術移転し、製造業を任せ、結果的に先進国の工場労働者たちの仕事が激減してしまった歴史。さらに、開発途上国や旧社会主義国の技術レベルが思っていた以上に上がり、先進国も追い抜かれるほどになってようやく焦り始めたこと。もはや先進国は世界の富を自国に集めることができなくなり、自分たちより高度なパソコンを量産できる国や自動運転車を量産できる国にお金を支払い続けなければならなくなってきているという現状。規制緩和と自由貿易を繰り返した結果の国の衰退と、そのなかに見られる貧富格差の拡大。そんな話がわかりやすく記述されていた。いま読むことができてよかったと思える本だった。ただし、終盤になって2人の対談者の発言に共感できない点が散見された。コロナ禍によって、人々はネクタイをしなくなったし、香水も付けなくなったし、化粧品も買わなくなった。これらは一例だが、ヴェブレンが指摘したところの「見せびらかし消費」が、人と会わないコロナ禍中に激減した。これをポストコロナ時代にどう回復させればいいのかわからない、というのだ。「元の状態に戻さないと経済的には大変なことになる」という論調である。これには共感できなかった。つまり「元の状態」がいいと思っているわけだ。「見せびらかし消費」でもいいから、経済が回っていることが大切だということだ。僕は全然そう思えない。むしろ、もっと本質的な事業によって小さくてもいいから経済に貢献する人が登場して欲しい。見せびらかしではなく、本当に必要なものを丁寧につくり、少し高くてもそれを買おうと思う人たちが増えること。そういう事業をコロナ禍中にどんどん企画し、準備し、ポストコロナの時代に各地で展開してほしい。もちろん、そんなものは化粧品業界の売上げに比べれば小さな経済規模だろう。しかしそれでいいと思っている。経済規模が小さくなろうと、それぞれが「これでいい」と確信を持った事業を追い求められること。固定費を下げるために地価の安い地域を探すこと。似た価値観を持つ仲間を見つけてつながること。そういう新たな業態の登場に期待せず、「コロナ前の経済に戻るためにはどうすればいいか」と2人で考え込むのはなぜだろうと考えてみた。世代で捉えるのは卑怯かもしれないが、考えてみればこの対談者は2名とも1950年代生まれ。70代である。さすがにもう、次なる社会に理想的な状態を求める気持ちになれないのかもしれない。「昔はよかった」と思いたいお年頃なのかもしれない。それに比べて『ぼくらの社会主義』で対談した2人は1970年代生まれ。國分さんも僕も40代後半なのである。そのあたりに、未来に対する楽観的な希望のようなものの持ち方に差が出ているのかもしれない。これが本書の終盤に出てくる言論に共感できなかった理由なのではないか、と思ってしまうのである。ただし、その点を除けば極めてわかりやすく、歴史的経緯や資本主義の脆弱さがしっかりと理解できる内容であったことを重ねて記しておきたい。さて、ちょっといやらしいけれど、我々の対談本も以下に掲載しておくとするかw。
▼『美しい建築に人は集まる』
「百冊挑戦」の仲間に進められるままに読んでみた結果、僕は小説を読むのが得意ではないことがわかった。同時にわかったことは、伝記は好きだということ。だから、伝記小説のようなものは比較的楽しむことができる。建築家の伊東豊雄さんとは、長野県松本市の信濃毎日新聞社本社のプロジェクトでご一緒させていただき、いまは大阪府茨木市の図書館プロジェクトでコミュニティデザインを担当させてもらっている。伊東さんの伝記ともなると、きっと分厚くて読み応えのあるものになるだろうなぁと思っていたら、97ページの新書が見つかった。平凡社の「のこす言葉」というシリーズ。「語りおろし自伝」というシリーズなのだという。これはいい。語りおろしなので読みやすいし、なにより伊東さんの声が聞こえてきそうな内容である。そしてページ数が適切なので無駄に重くない。それでいて、伊東さんの人生の大切な部分はすべて入っている。貴重な写真も多数掲載されている(若い頃の伊東さんの写真も多数掲載)。伊東さんのお父さんは中学を卒業してすぐに韓国のソウルへ渡った人らしい。そこで李朝期の器のコレクターになり、戦後に日本に戻ってからは民藝のメンバーから注目される。伊東さんが小学生のとき、柳宗悦、バーナード・リーチ、濱田庄司らが器を見るために家まで来たという。「使い手の気持ちになってつくる」「伝統の力を借りてつくる」といった「他力のデザイン」に基づく民藝の影響下で育った伊東さんだが、建築家になってからは「自力のデザイン」を目指すことになる。このデザインも2種類に分かれるが「自らが生み出した理論に基づく建築をつくる」という人たちと、「自らの身体感覚を信じて建築をつくる」という人たちだ。前者は磯崎新さんや黒川紀章さんであり、後者は伊東さんたちだ。そんな伊東さんは、モダニズムの建築を学び、それを体得し、いま乗り越えようとしているようだ。西洋が生み出したモダニズムではなく、日本の近代以前と現代とがつながったような建築。「もう一回、歴史とか地域性とか、そういうことをゼロから考え直していくことで、ひとつのものに結び付けられないか。つまり、近代以前の思想と現代技術を使う建築とがひとつになりうる接点を見つけること。そのことが、ありていにいえば、僕が目指そうとしている建築ということです」と伊東さんは語る。これはつまり、自力のデザインから他力のデザインへと移行しようということではないか。お父さんが好んだデザインの領域へ回帰しようということではないか。そんなことを感じた。また、それを実現させるには都市的な環境に身を置くよりも、大三島などの離島環境で暮らすほうが良い答えを見いだせそうだということで、すでに彼の地に土地も購入してあるという。今後の伊東さんの活動が楽しみである。
▼『建築を考える』
著者名は「ペーター・ツムトア」となっているが、これは現地での発音に近づけた結果だろう。個人的にこの建築家の名は、建築業界でかねてから紹介されているとおり「ピーター・ズントー」と呼びたい。「百冊挑戦」の仲間が「これは良かった」と紹介してくれた本だ。2012年に邦訳された本らしい。ズントーの本が翻訳出版されているのに気づかなかったとは、建築を離れて久しいことを実感させられる。しかし、かつて建築業界にいたとき好きだった建築家のひとりなので、さっそく読んでみることにした。この本はズントーが各地で講演したときの原稿を元に作られている。講演を頼まれるたびに、そのテーマに応じて原稿を作り、それに基づいて話をしていたということなのだろう。その結果、1冊の本になるほどさまざまな話をしたというわけだ。こういう本の作り方に憧れる。今後数年間、頼まれた講演はすべて違うテーマで語り、それを記録しておいて書籍化してみたい。内容はというと、ズントーらしい感覚的な語りが続く。通常、我々が設計を進めようとするとき、建築の全体を構想し、計画し、空間を設計し、模型をつくり、素材を決める。しかしズントーはまず素材を決めるという。そして、その素材を用いて模型をつくる。素材と空間の関係を確認しながら、それを連ねていく。配置していく。すると平面図が出来上がる。一般的な設計プロセスの逆である。それほど彼は素材にこだわる。空間に身をおいたときにどう感じるかを重視する。居心地が良かった空間を思い出し、それはどんな素材に囲まれていて、どんな空間だったのかを再現しようとする。自分の個人的な体験のなかで、美しいと感じた空間や心地よいと感じた空間などを丁寧に思い出しながら素材や空間を作り上げていく。さすがは、家具づくりや遺跡発掘などにも携わったことのある職人的建築家だ。そんなズントーの講演原稿だからだろうか、体感的な言葉が並ぶことが多い。たとえば、「眼の前は広場のパノラマ。ファサードを連ねた建物、教会、モニュメント。背中にはカフェの壁。広場らしく人で賑わっている。花のマーケット。陽光。11時、お昼前。広場の向かい側の壁は翳っていて、心地よい蒼味をおびて見える。えもいわれる音がする。間近の会話の声、板石を敷き詰めた広場に響く靴音、人群れのひくいざわめき、遠くから、ときおり建設工事の音。鳥たちが黒い点になって空を渡っていく」といった具合だ。目の前にある風景や空間を伝えようとする文字列から構成される文章。独特な文体である。「自らの身体感覚を信じて建築をつくる」タイプの建築家らしい表現だといえよう。日本でいえば伊東豊雄さんや安藤忠雄さんに似た建築の作り方である。そして、こうした表現はコミュニティデザインの現場を文章で伝えようとする努力にも似ている。いま執筆中の『コミュニティデザインプロジェクトブック』では、さすがに本文でこういう表現を採用するのは難しいものの、図版のキャプションでズントー的なテキストを書いてみたい。「約50人の参加者。女性が少し多い。年齢はバラバラ。すでに知り合った人たちが同じテーブルに付き、話を始めている。部屋の2つの方向から太陽光が入ってくる。明るい雰囲気でワークショップを始める」といった具合だ。ズントーの本ではテキストだけだったが、コミュニティデザインについての本なら上記のキャプションに応じた写真を掲載すべきだろう。いや、きっとズントーも講演のときは写真を投影しながら原稿どおりにしゃべったはずだ。この手のテキストは、写真と言葉がセットになってこそ説得力を持つ。残念ながら本書には写真がほとんど掲載されていないが、ズントーのテキストを読みながら投影されていた風景を想像しながら読むのもまた楽しい。
▼『出西窯』
島根県出雲市の出西村。そこに生まれた出西窯の歴史について書かれた本。リーダー的存在だった多々納弘光さんの語りおろしである。陶芸の素人だった出西村の若者たちが、戦後の「物が少ない時代」に貧乏覚悟で窯を興した。しかし、陶芸の師匠がいない。そこで、知り合いをたどって民藝の巨人たちへ会いに行き、教えを請う。多くの巨人たちは、出西の若者たちに惜しげもなく陶芸の方法を教える。柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチなどの巨人たちは当然のこと、吉田璋也、外村吉之介、鈴木繁男など民藝の第二世代からもさまざまな刺激を受けている。こうした有名人たちとの交わりも刺激的なのだが、5人の若者が生み出した陶工のギルド(協団)が試行錯誤しながら共同体を維持しようとした歴史も興味深い。同じくコミュニティデザイナーのギルドでありたいと思っている弊社studio-Lのあり方を考えるうえでのヒントが満載なのである。多々納さんが長崎の経営専門学校で学んでいた際、恩師だった徳永新太郎は、「陶芸の共同体を作ろうと思うながら、イギリスのウィリアム・モリスを学びなさい」と助言したらしい。モリス商会のギルドとしての経営方針が参考になるということだろう。私もジョン・ラスキン経由でウィリアム・モリスに出合い、中世のギルドを参考にして作られたモリス商会の経営を参考にして「個人事業主の集団studio-L」を設立した。また、出西窯がいまも大切にしている河井寛次郎からの言葉、「喜ぶことこそが美しさを生み出すんだ」は、我々がコミュニティデザインに携わる際にも大切にしているものである。愉しさなきところに美しさは生まれない、と考える所以である。さらに河井の「美しいものは無名なところから生まれる」という言葉も、コミュニティデザインや市民参加の現場をよく掴んだものだといえよう。有名人でなければ有名なデザインが生み出せないと考える必要はない。ワークショップに集まった市民たちは、たとえ無名であったとしても自分たちの生活に必要だと信じる活動を生み出すことができる。人間国宝も文化勲章も断った河井は、出西窯の若者たちに対して「近所の茶碗の陶工が受章していないのだから、まだ私の順番ではない」と言ったらしい。一方、河井の後輩である濱田は人間国宝も文化勲章も受けている。河井とは対象的な生き方である。当人は「辞退したがわたしの思いを理解してもらえず、こだわりと思われるのがつらくて受章することになった」と語ったようだ。濱田のそれまでの言動と合わせて吟味してみたい言葉である。「自分が受章することが次世代の励みになる」と正直に語っても良かったように思うが、無名性を礼賛する民藝同人にあってはそれもままならぬことだろう。民藝の巨人たちが軒並み有名人になってしまっていることや、有名だからこそ影響力を行使できたことなど、民藝が内在させた矛盾をどう考えればいいのか。現在を生きる我々は改めて考えさせられることだろう。そんななか、出西窯の5人は無名性をずっと大切にした。本書を読むと、多々納さんの語り口に驚かされる。恐ろしいほど謙虚である。自慢になりそうな言葉は慎重に回避されている。出西窯の創業者たちは60歳で現役を引退し、75歳までアドバイザーを務めたのちに完全引退したらしい。ギルドの引き継ぎ方として参考になる。これほど無名性を大切にし、謙虚な言動を徹底した第1世代に対して、現在を生きる第2世代はどんな経営戦略を選び取るのだろうか。無名性と謙虚さを継承するのか。民藝が内在させる矛盾を乗り越えようと無名性に反発するのか。地域づくりの文脈では、有名な店や活動が増えている事例が称賛されがちだ。その点からいえば、出西窯は、ベーカリーカフェ「ル・コションドール」やセレクトショップ「Bshop」などとともに「出西くらしのビレッジ」としておしゃれスポットを形成しつつある。第1世代はそれらをどう見ているのか。話題になりつつある「出西くらしのビレッジ」の今後の展開など、出西窯からますます目が離せない。
▼『民器の中の茶器』
柳宗悦の手伝いをしていたという人の著書。いまでは茶器の名物とされるようなものたちも、数ある雑器(民器)のなかから選び取られたものたちだったのだということを、いくつもの例を挙げて指摘している。そのため、「あれも元は雑器」「これも元は民器」と、茶器のあらゆる道具について語っている。花入れ、茶碗、茶入、鉄瓶、鉢、釜、蓋置、水指など、茶器として使われているものが、当初は民器のなかから茶人が見つけ出し、見立てたものばかりであるという主張だ。確かに、まだ型が成立する前の茶道は、専用の道具などが揃っていなかったこともあり、生活のなかで使っている道具から茶道具を選び取る必要があったのだろう。黎明期の特徴ともいえよう。何しろ、まだ茶道が一般化していないのだから、それを専用につくる職人がいても売り上げがほとんど立たない。だから、「これは花入れとして使えそうだ」「これは蓋置に最適だ」などと見立てを続けたのだろう。ところが現在では茶道人口が爆発的に増え、専用の道具を作る工場もあったりして、すでに用意されたものを買い集めてお茶を楽しむのが一般的になった。お茶の師匠もまた、名物と呼ばれる茶器に見られる特徴を挙げて、それらがなければ茶道具ではないとまで指導してしまう。そうなると、民器の中から茶器に使えそうなものを選び取ってくる見立てがほとんど成立しなくなる。この著者にとって、それがとてもさみしいことのようだ。現在も、茶人はどんどん見立てをすべきである、というのだ。ただし、どんなものを見立てに使ってもいいわけではない。そこには美しさが宿っているべきで、茶人であればそれを直観で見抜くことができるだろう、というのだ。ちなみに「私にはそれが分かる」と著者は繰り返す。少し嫌味なくらいだ。常に上からの目線が気になる。著者が評価するのは柳宗悦ほか民藝の巨人たちばかりだ。なかでも柳は別格のようで、彼にだけ「先生」を付けている。そして、柳先生が選ぶものはどれも「さすが」なのである。こうなると少し気持ちが悪い。教祖様のご意向を盲目的に信じてしまっている信者のようだ。その信者の口調が、教祖様以上に上から目線なのである。読む進めるのが辛い箇所がいくつかある。その点では、先に挙げた『出西窯』の多々納さんとは語り口が全然違う。両者ともに民藝界隈で活躍しているというのに、なぜここまで違うのだろうか。本書の著者には、多々納さんのような謙虚さが見当たらないのが不思議である。民藝は謙虚であることを重視してきたのではなかったか。とまぁ、読み進めると気になる点がいくつも出てくる本ではあるが、大名物と呼ばれるような茶器も、もともとは職人が大量に生産していたものであり、もはや無意識のうちに生み出していた雑器のなかから、「これは素晴らしい」と選びだしたものを茶人が茶道具に見立てていたのだ、という教えは、「つくらないデザイン」の参考になるし、古い道具を活かしたインテリアデザインにも通じる考え方でもある。もっと自由に違う分野のものを応用し、見立ててもいいはずだ、という自信を与えてくれる本だといえよう。なお、本書の装丁、題字、コマ絵は、いずれも柚木沙弥郎氏。アマゾンにサムネイルが表示されず残念だが、本としての完成度はとても高い。箱入りでハードカバーで箔押しの題字。今なら中古で比較的安く手に入るようだ。手元に置いておきたい書籍である。
▼『パリわずらい江戸わずらい』
「百冊挑戦」は毎月仲間の誰かが「課題図書」を指定する。先月は私の番だったので、大好きな浅田次郎さんのエッセイ集を選んだ。『勇気凛々ルリの色』というエッセイ集である。ここに掲載されている文章はいずれも痛快であり、浅田節が炸裂している。浅田さんの文体が好きで好きで、この本は何度も読んだし、続編も繰り返し読んだ。『勇気凛々』シリーズは、その後4冊続いた。当初40代の浅田さんが書き始めた本シリーズは、5冊目に50代の文章を収めるものとなっていた。それに伴って、文体や内容は徐々に落ち着いたものになっていた。それはそれで格好良くて好きな文体なのだが、40代の頃の文体や内容にもしびれる。私が原稿を依頼された際、参考にしているのが浅田さんの文体だ。原稿を書く前に『勇気凛々』のお気に入りのエッセイを読み、そのままの勢いでキーボードに向かう。すると書きたいと思っていた内容が、浅田さんのような文体で画面に表示される。もちろん、浅田さんの表現力には全く及ばないのだが、自分だけの力で書いた文章ではない風味が加わる。それが好きなので、原稿を書く前にはだいたい浅田さんの文章を読む。浅田さんの文章に出合ったのはいつだったのかははっきり覚えている。小説を読まない性分なのだから、浅田さんの小説から入ったわけではないことは確かだ。JALの機内誌に浅田さんの連載があり、ふと目にしたエッセイがとてもおもしろかったのである。それまでにエッセイを好んで読んだことはない。文字を目で追うのが苦手だから、仕事に役立つ文章以外は読むのが損だとすら考えていた。ただ、飛行機の中というのは特別な条件である。特に眠くない日の飛行機の中は非日常的なことが起きる。最近のように飛行機の中でもWi-Fiにつながるようになれば別だが、10年前の機内では文字を目で追う以外に暇を潰す方法がなかった。そこで機内誌を眺めていると、ぶっちぎりに面白い浅田さんの文章に出合ったのである。そのエッセイが収められているのが本書『パリわずらい江戸わずらい』だ。こちらは浅田さんが60代の文章で、ある程度落ち着いたところがあるものの、たまに弾けたエッセイが含まれている。もちろん、機内で出合ったのは弾けたほうだ。恥ずかしながら「浅田次郎」という名前を知らなかった私は、さっそく機内モードになっているスマホのメモに記録し、着陸後すぐにネットで浅田さんのエッセイ集を注文した。そのときからの付き合いなので、すでに10年以上の浅田ファンである。とはいえ、浅田さんの本業である小説は相変わらず読んでいない。ほかのエッセイ集はすべて所持しているのだが、小説は全く読んでいない。ご本人には大変申し訳無いことである。ただし、浅田さんの小説は歴史ものが多い。村上春樹と原田マハを経由して、歴史小説なら読めるかもしれないということがわかったのだから、「百冊挑戦」という機会に乗じて浅田さんの歴史小説に挑戦すべきなのかもしれない。もはや私にとっての「百冊挑戦」は「小説挑戦」になりつつある。念のため、以下に浅田さんの『勇気凛々ルリの色』も掲載しておくことにしよう。
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