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曾祖父のホロスコープを読んでみた

まずは、私。
実は、西洋占星術を勉強しております。
その関係で、勉強の一環として先祖調べで分かった事実と。
西洋占星術の星周りから分かる、ご先祖様の性格を照らし合わせてみたら面白いのでは無いかと思い。

今回、題して!「勝手に鑑定会、ご先祖様の性格を予測せよ」を開始します。何人か鑑定出来るレベルに、生涯が分かっている方がいらっしゃいますので、シリーズ化していくかも知れません。
お暇な方は、どうぞお付き合いください。念の為ですが、鬼籍の方のみです。当然ですが、プライバシーに注意して参ります。

記念すべき一人目として父方の曾祖父を磯吉さんを読んでいこうと思います。結構、波瀾万丈な人生なのでどんなホロスコープが出るでしょうか?

ちなみに、孫数人から話を聞いておりまして。
勝手に、人となりに合致する時間に修正しております。
レクティフィケーションレベルまでは精度は高くありません、ご了承ください。では、まずは・・・ホロスコープ、ジャジャーン。

自分で解読出来る方は、是非解読されてみてください。
まずは、磯さんの生涯を軽く書いていこうと思います。

磯さんホロスコープ

磯吉は、明治21年。
長男として、誕生しました。
40歳にして、最初の子供という非常に遅い子供で有ることが分かります。
※明治19年に日本で初の戸籍が作られました。

戸籍上、磯吉は第一子になっていますが、調査では磯吉の母を「つぎ」と呼んでいたことが判明。古い墓を「さき(妻)」さんと子供の墓と説明していたことから。磯吉の父には、先妻と先妻の子という家族がいたと思われます。※この地域は明治初期から、コレラ猛威を振るっています。

この家は、宮大工を先祖(本家)に持ち。長男は、宮大工の下で働く木挽きなどの山仕事。二男は、藩士宅に陪臣として登用されていました。
※陪臣=登城する際に同伴する従者。
宮大工も藩の藩邸などの修善を行う、いわゆるお抱え大工で大変恵まれた家庭だったとのです。事実、刀が何振りも残されていました。

明治維新の後。
藩は無くなり、仕事の口が失われ。
長男は木挽きの腕を生かし、生活出来ましたが。
磯吉の父は、二男であり。
完全に失業。

藩士から仕える代償としていただいていた土地を耕し。
茶農家を始める事になります。そこに、明治21年に生まれたのが磯吉です。

父は、今だ武士の立場から農民に成り下がったことが納得行かず。
家で燻っている状態。
小学校から帰宅したら、父が長持ちの上に座り。
日本刀を床に突き刺し、暗い室内で空中をやぶにらみしており
「なんだ、帰ったのか」と睨まれたという話も晩年していたようです。

そんな彼、実はとても個性的なタイプで村内ではかなり目立つ発言と、行動をするひとだったそうです。
ただ、村内の消防団員として活躍していたり。周囲と合わせることは忘れない人だったと村史から垣間見える部分がありました。

成人して、兵役で某連隊に入隊します。
連隊員の為の宿舎が当時は無く、経済に余裕があり家が広いお宅に連隊はホームステイの様な感じで暮らしていたそうです。
彼は、ラッパ兵でラッパを上手く吹いたと言う話しが残っています。

ここから、彼の波瀾万丈の人生がはじまります。兵役中に宿舎としていたお宅のお嬢様と恋に落ちたのです。二人は交際を続け、兵役終了後に、結婚の申し出をお願いに上がったところ
「どこの馬の骨か分からない人間に、娘はくれられん」
と、大反対されたそうで。この二人、手に手を取り合って横浜に駆け落ちをします。ここから、磯吉は横浜の港で朝から晩まで家族の為に荷下ろし人夫の仕事を始めます。力もあり生真面目な彼は、非常に良い仕事をしていたと言う話しを聞いています。

そして、夫婦は2人の男児に恵まれます。
駆け落ちも許され、無事籍も入れる事が出来ました。
幸せな横浜での生活に終止符を打ったのは、関東大震災でした。
自宅は全壊、回って来た火災で全焼。
治安状況も激しく悪化。救いは家族全員無事であったこと。

夫婦は、着の身着のままで船に乗って地元に戻ります。
ここから、夫婦は夫の地元で暮らす事になったのですが。
翌年の夏に、妻が急逝します。36歳。
状況から判断するに、胃潰瘍によって腹膜炎を起こし。
今のように開腹手術もままならず亡くなったのでは無いでしょうか。

この時代、妻を亡くせば直ぐに後妻を迎えるのが通例ですが。
磯吉は、妻も迎えず。2人の息子を農業をしながら育て上げました。

その後、息子達が進学を望んでいたにもかかわらず。
「農家の息子が進学してどうする!」と勝手に、小学校卒業前に丁稚奉公先を親が決め。息子達の給料を先貰いして懐に入れたという駄目親ぶりを発揮。息子達は、最初数年は無給で働く羽目になったようです。

その後、息子2人が兄弟でチカラを合わせて起業した際。
田舎から出て来て、息子達の商売を手伝うなどして精力的に働きます。
知的労働は無理でも、体力自慢・力自慢でただひたすら1つの作業を続けるのは非常に得意だったようです。(商品の配達)

その後、息子2人が太平洋戦争に徴兵され。
この頃、どなたかの借金の連帯保証人になったようです。
しかも、その連帯保証人の関係で全財産を失います。

戦時中は、息子嫁と。孫と田舎で終戦まで過ごし。
復員した息子には、お前達が死んだと思ったから豪遊して全財産無くした。と、嘘をついていたとか。

息子達が、再度起業して県庁所在地に行くと自分自身もそれについて県庁所在地へ。息子達の手伝い(結局、配達)をしながら晩年まで過ごし。
晩年は、冬になると湯治場に行き。
季節が良い時は、息子夫婦と同居。

冬に、孫夫婦に子供が生まれると聞いて湯治場から急遽帰宅。
「前祝いだ」と、近所の赤ちょうちんで飲み潰れ。嬉しかったのだろう。
孫に抱えられ帰宅。
翌朝、布団の中で冷たくなっていたという人生の終わり方でした。
絶対に、急性アルコール中毒だよねとか言われていますが。

こんな曾祖父のホロスコープを、次回は人生と照らし合わせてホロスコープを読んでみたいと思います。
今回は、こんな人でしたよー。
という前置きでした。

★私、西洋占星術での鑑定も行っております★
よろしければ、ご覧ください。
またご用命いただけると、尚いっそ喜びます。


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