簡単に入れるから通信制はダメですか?どこからだって「どう泳いでいくか」の方が大事だと思う。

不登校でも入れる、通信制ってあまり入試らしい入試もないし、授業も最低限のことしかやらない、って少し軽視されているところがあると思う。

でも、頑張って受験勉強して、合格したら遊ぶ、っていう学校の入りかたの方がおかしかったと思う。もちろん、そうではなくてちゃんと将来のために、学ぶためにそうしている人たちも多いこともわかっている。

でも、なんか全進学時代というか、それが普通になって、

とりあえず合格する

だけが目標になっている時代が長く続いて、そのあとに就活とか考えるのって不自然だなとずっと思っていた。いまこういう活動をしているからではなく、自分が学生のころからずっと。

なんで、とりあえず「何百万」も出費を親にさせることをできるのかなーって。決して親孝行って意味じゃなくて、

とりあえず

でできる規模じゃないんじゃないかなと。明らかな夢や希望がないのにできる出費かどうかは、バイトでもすれば実感するし、それができる中流家庭が日本に多かったという意味でもあるんだろう。

未成年で「とりあえず」がダメといっているわけでもないし、夢なんて叶わないこともあるし、変わってもいく。

だから、ほんとは

入学は簡単に、そして【とりあえず】入って合うのか合わないのか確かめて、合うとなったら卒業は頑張らないと難しい

にすればいいのにと思ってる。そういう国も結構あるし。



入るのに簡単なのは悪いこと?


受験戦争を勝ち抜かない入学方法は悪いことでしょうか?
目的が「受験の厳しさを学ぶこと」ならそれは確かに間違いなのかも。

でも、そもそもなにかを受験したり、入学したりすることの目的は

勉学を学ぶため

であるはず。であれば、どういう入りかたをしても優劣はないはず。それぞれの環境や目的に合わせているだけ。

ホームスクーラーや不登校に多い通信制高校だけじゃなくて、○○推薦とかで入る子たちも受験戦争中からみたら「頑張ってない」という扱いをされるのかも。

でも、どこで頑張るかはひとそれぞれの勝手だし、責任。

良く言われる通信制高校の勉強のレベル。
高校卒業資格としての最低限のことしかやらないから、レベルの高い大学への進学フォローはなかなかない。

そこはフォローがないから通信制がダメ、という意味ではなく、フォローがないから自分でやる必要がある。

受験戦争、入学の難しさのかわりにそっちを選んだだけの話だ。
あくまで役割分担・選択肢のひとつであればいい通信制が頑張らずに勉強できるという偏見はちょっと違う。
追い立てる教師やイベントもないままに、3年間モチベーションを自分でキープするのは逆に大変なこと。

それで難しいからドロップする人も多い。それで落ちこぼれ、みたいに言うけれど、まだ未成年です。自分ひとりでモチベーションをキープするのは環境によってしまう。

でも社会人になったら、だれでも自分で仕事や生活のマネジメントしていかなくてはならない。それに向き合いたくなければ、大企業に入って昇給も人生計画もお手本がある道を選べるように受験に打ち勝つ必要がある。

いまどんどんと通信制高校が増え、不登校でなくても選ぶ家庭が増えてきた。コロナ禍のなかで、成長期の子たちが始終マスクしなくてはいけないことは普通に健康面から考えてよくないことだと思う。(感染対策という意味ではなく、学校にいる間じゅうマスクをしなくてはならない状態)

そういう意味でも通信制は健全な選択となっていきそうな気もするし、通信制高校からの大学進学率もあがっていきそうな気がする。

勉強自体は好きな子たちも多いから、そして大人よりも、自分のモチベーションをコントロールする方法を早めに身につけないと卒業が難しいから。

理想の大学、理想の会社にはいったら幸せか

ある漫画で、親の理想の大学や会社に入れさせたがる描写があった。パロディ的に名前は変えているが、おそらく慶應大学と三菱商事を指していると思われるシーン。

わたし自身大学は通信なのです。
慶應の通信に行きました。受験はしていません。でも、スクーリング中にカフェテリア(食堂)に行き、大学生協でペンのマークの大学の手帳を買い、学生証に慶應義塾大学、と書いてあるものを持っていた。

どうせ通信だし、、、と思うこともできる。でも通信なのに普通に校舎で勉強して慶友会とか行っちゃった!と捉えれることもできる。

きっと普通に大学受かっても、経済学部がよかったのに文学部のひとは、どーせ文学だし、って思い続けるんだろうし、違う大学になってしまった人は慶應じゃないし、ってずっと引きずり続けるんだろう。

もちろん、私自身も同年代が普通に大学通学時期くらいは少し思いました。劣等感というか。でも同時に優越感も持っていた。社会に他より先に出ているうえに学んでる、って。
(でももっと早くでている人もいるはずで、大卒のひとたちへ、よりむしろ先に社会へ出ている人への劣等感のほうが強かったかもしれない)

そして、わたしは正社員にあまり興味がなく手取りが重要だったので、一社くらいしか正社員はやっておらず、他は派遣社員として働いていました。

派遣社員として、丸の内の、三菱商事で。

そんな長い間ではなかったけど、三菱コーポレションと書いている入館証で本社ビルに入って仕事をしていたし、同じフロアには東大卒のエリート様がたくさんいた。重鎮そうな人も多く歩いてたし、株主総会もおおごとそうだった(笑)

これだって、どーせ派遣だし、って思うこともできる。でも、派遣なのに、有名会社でランチしちゃった!とか抜け道を知っちゃったとか、楽しむこともできる。

不登校だから引きこもりになるのではなく、大学行ったから一流企業に勤められるのではなく、自分が選んだ、もしくはおかれた環境のなかでもがいたらそれなりのところにたどり着く。

わたしは、正社員や通学、にはこだわっていないから、

「慶應で学べる」

という目的は達成しているわけだし、一流の企業で

「働いてみたい」

と思ったから、それは経験できた。

通信だから、正社員じゃないから、って経験できることを軽視してたら、こう繋がらなかったと思う。

楽してもなんでも手にはいる、って意味じゃなくて、

苦労・努力するポイントは人と違っていい

ってこと。入学で苦労しないからといって、マウンティングが通じる時代はそろそろ終わると思う。

仕事もかたちではなく、スキル・できることが重視されてくる時代。

そんな時代に変わりつつある空気に期待しながら、おとながいまできることは

泳ぎ方基本と休憩方法

なんじゃないかな、と思う。

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