Learning shift

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最近の記事

負け組という価値。

最近、というかずっと思っていたのだけど、どうやら自分は勝ち負けで行ったら負け組な気がする。 頑張って耐えて、ここを超えたら「普通の生活ができる」「普通になれる」っていう 頑張り期間 がなくても、そのわたしの目指している「普通」がほんとの「日常・普通」であるひとがほとんどであり、それが一部のひとが必死で目指しているものなんだなんて思いもよらないだろう。 車でお出かけ、とかランチを○○で、とか。 別にマウンティングの気もない、ほんとに日常の風景、そういう投稿ですら、憧れ、

    • 自分は汚れないまま正解を探す。それって自分の資産になってるの?

      イタリア人とか、ラテン系の方とか、日本人より女性に声をかけますよね。 結婚してても。そこから不貞に動くかはそれは、人間性や価値観の問題で、声をかけられるほうの「自己判断」も含まれてて、お互いが決めて責任取る。 なんでイタリア人の話してんの?ですが(笑) 自己決定して、自分で責任取りますよね。もちろん人間なので嘘ついたり揉めたり、それはどんな国の人でも、どんな誠実なひとでも多かれ少なかれある。 ここで言いたいのは、責任を取らないでいい状態のために、 決定を自分でしない→そ

      • 通信高校生の親としての感想 入学~

        不登校系の活動を続けてきて、 進学の「選択肢としての」通信制高校しか、現時点では難しいところの社会についてはもろもろ文句はあるのだけれど、通信制高校というシステム自体は良い。 不登校だろうが、「もっと深く勉強したい」という層は結構多いのであり、そこに対しては、内容が簡単すぎたり、っていう不満はちょっとあったりもするけれど、でもそもそも、もっと勉強したかったら高校生の年齢だったら、自分でyoutubeやら参考書やら、情報にリーチできる年齢でもあるよね、っていうことを考えれば

        • 最近のまなびごと 場所・モノ・ひと?

          数年前に「学校外の学びの場所」として活動始めて、最近ペースダウンしています。 それは世の中のフリースクールや、居場所が増えてきたり、以前より一般的になってきたからです。 そこの部分は、文科省も動いているし、テレビ番組で、不登校やホームスクールなど特集されることも多くなってきて、理解も進んできてはいる。 よいことである、と同時にその恩恵を受けているひとが目立って、届いていない部分が前以上に陰になってしまってないか、ということ。 学校と同じく、フリースクールや居場所だって

          自分、に戻るとき。

          長い間、感情をなるべく無にするようにしてきた。 こどもの情緒に悪影響を及ぼさない程度には喜・楽は使って。 一時は楽、の感情もわからなくなって、顔面麻痺の状態のときもあった。 笑い、を思い出したあとでも、怒や哀や、苦は影響を受けないように、まともに受けてしまっていたらなにも回らなくなるから。 ほんとはセンサーが過敏だから、「感じないように無になる」というのもエネルギーがだいぶ消耗されていたのだと思う。 まず、怒りが止められなくなった。それは家庭内とか知り合いに怒鳴り散

          自分、に戻るとき。

          そろそろ「管理型自分らしさ」から脱却の時期?

          最近、休校のあとから教育の変化が少しずつ出てきてますね。 不登校の団体や、サイトや、10代のロールモデルたちもyoutubeやSNSを通して、どんどん一般化されてきているようです。 社会が変わっていく、のでそれ自体はとても喜ばしいこと。 ただ、ちょっとキラキラしたロールモデルに、まだ悩み中や模索中の家庭は疲れてしまうのも事実。 学校を行かない、を選択してもそんなにいろんなとこ連れてく余裕ないし、この地域には全日行かなかったら進学場所ないし、っていう現実とか。 不登校

          そろそろ「管理型自分らしさ」から脱却の時期?

          助けたい、ってまだ余裕があることなんだろうなぁと。

          自分でもろもろ活動する以外に、全国対応のオンライン交流会を開催してきた団体にも所属しています。(最近オンラインを始めたわけではなく3年くらい前から) で、なんで続けて参加できているのかなと思ったのは 助けてあげる!! っていう意識の人がいない団体だからかなと思っています。 助けてあげる、ってありがたいようで、結局、困っているひとより困ったことはないから、ほんとのところわかんないでしょ?って思ってしまう面もあり。 なんであれ、ほんとうのところって当人にしかわからないの

          助けたい、ってまだ余裕があることなんだろうなぁと。

          こどもと意思疎通できる大人っていつもモヤモヤしてない?

          ***** たくさん読んでくださった方、フォロー・メッセージ等ありがとうございます。 メッセージ返信の仕方がわからず記事内にてお礼させていただきますm(__)m ***** 最近思うこと。 わたし自身が親しくなる人って、たいてい「もやもや」している人が多い。 優柔不断とはまた違って、「必然」とか「必要」とかはっきりしているものなら、別に誰に相談するわけでもなくバリバリすすめるタイプだけど、答えがグレーなものにはとことん悩む。 悩み中ってイケてない感じも自分ではしちゃう

          こどもと意思疎通できる大人っていつもモヤモヤしてない?

          当事者のデータを見ないなら、それは支援でなくて「おせっかい」

          たいていどの社会問題でも、当事者は困っている。 困っているからあれこれ活動する余裕までない。頑張ってやっているところは通常以上のパワーを絞り出してやっているから続かなくなることが多い。 ワンオペ育児をしながら介護も始めた、みたいなエネルギー量と想像してみてもらえたら良いと思う。(個人的には、これもやったので) 一般的に、いままで当事者=困っている人⇦たすけてあげきゃ! 支援者→助けてあげる人・団体 で当たり前に進んできたと思う。 でも、多くの支援が「当事者の声」だ

          当事者のデータを見ないなら、それは支援でなくて「おせっかい」

          簡単に入れるから通信制はダメですか?どこからだって「どう泳いでいくか」の方が大事だと思う。

          不登校でも入れる、通信制ってあまり入試らしい入試もないし、授業も最低限のことしかやらない、って少し軽視されているところがあると思う。 でも、頑張って受験勉強して、合格したら遊ぶ、っていう学校の入りかたの方がおかしかったと思う。もちろん、そうではなくてちゃんと将来のために、学ぶためにそうしている人たちも多いこともわかっている。 でも、なんか全進学時代というか、それが普通になって、 とりあえず合格する だけが目標になっている時代が長く続いて、そのあとに就活とか考えるのって

          簡単に入れるから通信制はダメですか?どこからだって「どう泳いでいくか」の方が大事だと思う。

          本質を見極めれるこどもほど学びの選択肢が少ない社会っておかしくない?

          うちはことし義務教育最終の年です。 思えば、学校外の学びのリソース、場所ない!! 学校や行政に情報きいても、どこも確定情報なんてなくぐるぐる回される! って、不登校やホームスクーラー関係の活動始めたの、小4か小5のときですよ? 一般的な不登校対応は悠長なものか、登校刺激、復帰を目指すものが多く、 成長期って日々成長してるのに、長い時間かけて法案とか制度とか精査してる場合じゃなくない? っていつも思ってました。お金がうごきそうなどうでもいい案はすぐ動くのに、教育は遅い。

          本質を見極めれるこどもほど学びの選択肢が少ない社会っておかしくない?

          混ぜないで!不登校・引きこもり・ホームスクール 対応の違い

          学校にいかなくなった、と悩み始めたころは 学校は学び関係のプロ 行政は相談関係のプロ と信じて疑わなかった時期もありました。 ところが、普通に通っている時点での相談ごとならいざ知らず、「学校いかない」「行けない」層に存在する家庭向けの情報は持ち合わせている学校のほうがすくなく、こちらが「教育機会確保法」や「N高」について説明する立場になる時期もありました。 学校だから、学びに関してなんでもキャッチアップできてると思っていましたが、それはもう先生次第で。 現代の流れをき

          混ぜないで!不登校・引きこもり・ホームスクール 対応の違い

          学校現場にちょっと気づいてほしい本音:不登校家庭が学校にあまり関わりたくないのは言葉の背景が垣間見えるから

          学年が変わる時期、卒入学の時期。 不登校といえども必然的に学校との関わりが増えます。 担任や校長先生が変われば考え方ややり取りをいちから説明しないといけないし、ある程度理解しあえていた先生がいなくなれば、「学校へ行かないこと」へ完全に批判的な先生になることも考えて、いつも気を張っていないといけない感じです。 学校へいかないことは受容していても社会とは関われる状態でいてほしいもろもろ理由があって学校へ行かない状態になったあとは、長く悩んでいるよりその状況で何ができるか、そう

          学校現場にちょっと気づいてほしい本音:不登校家庭が学校にあまり関わりたくないのは言葉の背景が垣間見えるから

          2020年まとめ 自己評価がとてつもなく低いのは強みなのかもしれない

          わたしはもともと自己評価がとてつもなく低いです。 こどもが不登校になったから、とかそういうのじゃなくて、もっと前から。 道を歩いていれば、すれ違う全く知らない人に 「道のまんなか歩いてすみません。すみません。もっと端っこあるくべき人間ですよね。。」 って思ってた時期もあるし、頭のなかで常にごめんなさい、ごめんなさい、と思いながら生活していた時期もありました。(念のため補足しておくと、DVや虐待のトラウマではありません) 全て自分が悪いのがデフォルト、うまい判断ができ

          2020年まとめ 自己評価がとてつもなく低いのは強みなのかもしれない

          教育の義務を果たそうと模索してきた保護者が積み重ねた50回【レポート】第50回オンライン交流会

          義務教育と教育の義務 不登校でよく問題とされるのが 教育を受けさせる義務 2020年の近未来的な時代にあっても、学校へ行けば「法律違反ですよ」という親と子を心無く傷つけるコメントをかけられるのが現状です。 教育者は条文をじっくり考えて読んだことがあるのでしょうか。 「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠く

          教育の義務を果たそうと模索してきた保護者が積み重ねた50回【レポート】第50回オンライン交流会

          あきらめ回線がショートしているこころとからだ

          もともと体調不良をずっと抱えているので、定期的に整体などに通っています。 結構長く通っているのだけど、改めて「どんな人生送ってきたの??」とついこないだ言われまして。 仙骨、という骨は人生の影響を受けるらしく、自分のは複雑にねじ曲がっているようです。 いままでも折れ気味とは言われてきたものの、改めて言われると、今までのたくさんの体調不良も納得というか。 とはいえ、世界にはいろんな経験してきた人がいて、それに比べたらそんなじゃないと思うのですが、確かに「日本の家庭での平

          あきらめ回線がショートしているこころとからだ