学校という仕組みから考える世の中のビジネスがつまらない理由。
起業について学ぶ機会がちょっとあり、もろもろ考えさせられたり気づいたり。
ビジネスを起こすということは、もっと信念やモチベーションのもとにあるものだと思っていた。もちろん、理論的にはMissionやVisionは設定するだろう。
それはもちろん正しい効率的な道筋で。
ただその前提となる、どうしてもやりたくて仕方ないアイディアとか、何か解決したい、それにはビジネス化が必要とか、理性の前に「やらねば」となってしまうエネルギー。(この場合の「~せねば」は義務ではなくて、やらねばいられない、といったような自発的なもの)
そういうものなくてもいいんだー、と多少がっかりしているところだ。恋愛話の理想像じゃないけど、自分が勝手に期待値を上げていただけというところもある。
そして、通常「ビジネスとして正解」とされる案って(会社を立ち上げているわけでもないのに上から目線だが)どうして一様に「つまらない」のか。
だって、自分より権威もお金も経験もある人たちがやっていることだからもっと認められることで、わたしごときが「つまらない」なんて感じるものをつくるわけがないのに、っていう疑問の答えをここのところずっと探していた感じ。
たまたま、大学生の論文が掲示されているところがあって、そこをなにげなく見ていたら、ビジネスプランの構成に似ているなと気づきました。
ああそうか、ビジネスで認められるプランがつまらないのはこれか。偶然理解できました。
正解のビジネスを作っている人たちは大学卒が多い。
そしてそのビジネスで社会が出来ている。
大学がビジネスプランを作成するときのフレームワークのような枠を用意した思考の伸ばしかたをしてきたのなら、そのアイディアは社会に出たとしても同じパターンでしか成長しない。
枠、のなかの自由。
学校から引き継いできた価値観のなかでの優劣。
枠のなかから新しいもの作り出すって相当難しい。
ドロップアウトを早くにしちゃうと、安全な枠からはみ出てしまう。
でも、はなから安全なんて幻想だから、社会の価値基準が変わってしまえば枠のなかでも安全とは限らないから。
枠のそとは自己責任。
でも、枠がないから発想の枝葉は伸びる。
不登校に限らず、「おもしろい」ことやってのけるのは結局、迷って悩んできた方なんだと思う。
枠のなかでの権威、優劣で価値をはかっているのがメインの国。
そろそろ本気出さないと世界にとって「つまらない」国になるのではという危機感。
学校内の価値観を大人になっても使っている。
それは人として社会で成長していないということでもある。
つまらない、幼稚な国、、にならないぎりぎりのタイミングに日本はいると思うのだけどなぁ。
(ちなみに特に政治に興味もないし、愛国心があるわけでもないですが、もっと日本の良さを日本人自身が認識しないと失ってしまう、と思っています。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?