晴登雨読『富士山頂』
晴れの日は山に登り、雨の日は山を想う。山岳の書籍を読んだ日々を回想する「晴登雨読」。
今回は富士山頂に気象レーダーを建設した戦士の物語『富士山頂』 著者は新田次郎。
この本は、数年前に一読した一冊。当時は山を始めたばかりで、登山についての記述を期待していた若気の至りから、失望した記憶がある。しかし、今回の再読で評価は180度変わった。
物語の主人公である測量課の課長・葛木は新田自身。1967年に出版されていることから、新田自身が大事業を終えて気象庁を退職した後、すぐに執筆にかかったと思われる。いや、事業進行中から執筆を進めていたかもしれない。物書きは何かを綴らないと。ソワソワする生き物だ。
工事の進捗が気になりながらも、メモや日記を書きためていただろう。気象庁と作家という二足のわらじを履きながらも、いずれは自分の作品として挑むつもりだったはず。
新田次郎の凄さは山をほとんど描写しないことにある。光を当てるのは自然ではなく人間。些細な行動や心情の揺れ、感情の温度に焦点を当てる。
これが本当に「山を描く」こと。山は単なる自然の個体ではなく、人との関係性の可視化、
今回も、富士山頂に気象レーダーを造った戦士たちを主役にすることで、富士山が主人公になる。これは簡単なようで並大抵の技量ではできない。熱量も必要だ。
600Kgを超えるレーダードームを搬ぶヘリのパイロットが「富士山の空はローレライだ」と例える場面がある。この一文に富士山への尊厳が凝縮されている。新田文岳の真骨頂である。
『富士山頂』を読むと、深田久弥さんが言った「偉大なる通俗」の意味が理解できる。手付かずのまま残された未踏峰もロマンがあるが、富士山のように人間の手がのびてなお、魅力が少しも失われないことが本当にすごい。
新田次郎は約12年間、合計で400日以上も富士山頂で観測員として勤務した経験を持つ。この山には特別な思い入れがあり、『富士に死す』『怒る富士』『芙蓉の人』などの他書も記している。
特に『富士に死す』は、新田文岳はもちろん、富士を描いたすべての作品の中でも最高峰に値する。それでもやはり、自らを主人公に添えた『富士山頂』が最も特別な存在であろう。
富士登山に対して「単調だ」と否定的な意見をもつクライマーもいるが、なぜ登るのか問われれば、この一言でケリがつくだろう。
「そこに富士山があるから」