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読書録:縄文人の世界観
大島直行『縄文人の世界観』(国書刊行会)
日本の歴史の大部分を占めるのは縄文時代で、実に一万年にわたって続いた。それだけ気候・環境が安定していたということである。豊かな森林資源に恵まれ、狩猟・漁労と採集で充分暮らしが成り立っていたのである。世界史的視野で見ても稀有な時代である。
本書は縄文時代の精神世界を考察したものである。縄文時代は弥生時代、古墳時代に比して、精神世界の分析が進んでいるが、この時代は文字資料がないため、研究手法は考古学しかない。しかし、物証による裏付けが難しい精神世界の研究は、物を研究対象とする考古学がもっとも苦手とする分野である。そのため、宗教学や民俗学、文化人類学の援用が必要となる。
著者は、医学博士の学位を持つ異色の考古学者である。著者は、精神世界の研究という考古学では困難な研究を、認知心理学を援用することで試みている。心理学者カール・ユングが試みたこの手法は、シンボルなど目に見えるものから心性を探るもので、資料があれば先史時代にも応用が効く。ただ、これは心理学自体に言えることだが、目に見える物証を伴わないため、いかようにも解釈が可能で、読み手としては懐疑的になってしまう。ただ、この手法が精神世界の研究に有効なのは事実で、本書では土器などに施された紋様に納得できる解釈が施されている。実際、日常的に煮炊きに使われていた土器に一見過剰な装飾が施されているのは謎で、これまでの考古学的手法では意味が読み解けなかった。ただ、こうした手法は有効とはいえ、著者が構造物や遺跡の立地までレトリックで読み解こうとしているのは行き過ぎな気がする。著者は縄文時代人の思考について、即物的事由(機能性)より思想的事由(信仰など)が勝っていたと考えているが、集落の立地や家屋の構造などは機能性が重視されていたと思えてならないのである。しかし、集落の構造(中央に広場を配し、環状に住居を設ける)については何らかのレトリックが存在したと解釈していいのではなかろうか。
考古学の研究書としてはやや異端的な香りのする本だが、いろいろ示唆に富む本で一読の価値ありである。