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即身仏について①

【はじめに】
一口に即身仏と言っても、湯殿山系即身仏以外は肉体を留めることを目的としなかったケースが多いようで、入定後、偶然ミイラとなったことで信仰の対象になったと思われる(舜義上人、妙心法師など)。もしかすると、湯殿山系即身仏とそれ以外の即身仏は分けて考察しないといけないかもしれない。

【即身仏の種類】
日本には十八体前後の即身仏が現存するが、その思想的背景は様々である。また、当然ながら、すべての即身仏が衆生救済を誓願したものではなく、意図せずミイラとなっていた例も存在する。以下、湯殿山系即身仏以外の即身仏について概説してみる。

①即身成仏論
即身成仏とはこの身のまま悟りを開いて仏になる意で、本来は即身仏とは結びつかないが、行として実践し、最終的に入定した点は即身成仏論に基づくと言え、本来の意味での即身仏である。新潟県真珠院の秀快上人は、密教の阿字観法を実践し即身仏となった、現存する唯一の例である。

②弥勒信仰
弥勒菩薩がこの世に出現するまでこの身を現世に留めて待とうという弥勒下生信仰に基づくもので、海外でも類例は多い。日本では新潟県西生寺の弘智法印が唯一の現存例で、穀類を断ち、木の実や野草だけを食べる木食行を三千日行ったという。

③富士信仰
江戸時代に盛んになった富士信仰に基づくもの。岐阜県横蔵寺の妙心法師が唯一の現存例だが、富士山での断食入定については食行身禄を始め複数の例がある。これは推測だが、行者自身に衆生救済の思想があったのに加え、入定後に弟子や信者が「生き仏」として持ち上げたように思われる。

④薬師信仰
福島県貫秀寺の宥貞法印が該当する。宥貞は、現在は廃寺となっている観音寺の住職で、「我が身を留めて薬師如来になろう」と誓願して入定。薬師如来石仏の台座を石棺に加工し、その中に入って入定したという。ミイラとして肉体を残すのではなく、薬師如来と一体化するのが目的だったか。

⑤阿弥陀信仰
京都府阿弥陀寺の弾誓上人、茨城県妙法寺の舜義上人が該当する。 舜義上人の場合は、入滅後に阿弥陀如来像を模した石棺に納められ、そのまま祀られていたが、八十年程後に夢告があり、取り出したという。 阿弥陀信仰の特徴から、彼らが肉体を残す意志があったとは考えにくい。

⑥その他
長野県瑞光院に祀られる、通称「阿南の行者」は、思想的背景がよくわからない。心宗行順という法号から禅の修行を積んだことは確かだと思われる。
日本には土中入場の伝説が多く残るが、その中で即身仏を志した数少ない例として、西春法師が挙げられる。ただし、彼も思想的背景がよくわからない。

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