
読書録:日本の裸体芸術
宮下規久朗『日本の裸体芸術』(ちくま学芸文庫)
註を入れて300ページほどの本だが、二日間、時間数でいえば実質一日で読み終えた。先に読んでいた『神秘学講義』はこれよりちょっと分量が多いくらいだったが、あちらは読了までに時間がかかったのはなぜだろう。
本書はタイトル通り、日本の裸体芸術を扱ったものである。しかし、なぜ「ヌード」ではなく「裸体」なのかというと、サブタイトルに「刺青からヌードへ」とある通り、刺青(彫り物)が重要なテーマになっているからである。本書はヌードと刺青を軸に、日本人にとっての裸体を風俗と美術の両面から考察した本と言える。
まず、前近代の日本の特徴として、男女とも裸体(上半身)を晒すことに抵抗がなかったことが挙げられる。特に、男性であれば力仕事を褌一丁でやっていたり、女性であれば人前で授乳したりするのが日常茶飯事だった。この辺りは開国後に来日したヨーロッパ人が大いに驚いたところらしいが、そうした人々が残した記録によると、困惑しつつも好意的に受け止める人もいたようだ。しかし、明治新政府は人前での裸体を規制する方向に舵を切り、裸体の習俗は相撲を残して失われてゆく。そんな中、西洋美術に付随してヌードが画題として持ち込まれるが、政府の過剰な反応により、公に展示できなかったことはよく記憶されている(黒田清輝の『朝妝』)。しかし、この辺りは政府による過剰な規制だけでなく、性欲から切り離された裸体の鑑賞が日本人になかなかなじまなかった部分もあるようだ。
ちょっとややこしいのが、前近代の日本では人前で裸になるのは日常茶飯事だったが、それを見つめるのは失礼とされていたことで、アートの画題としてのヌードはそれを見つめることが前提とされているため、性欲と切り離して鑑賞することがなかなか受け入れられなかった側面もあるように思う。風俗としての裸体を排除しつつ、美としての裸体を受け入れるという捩れた構図が、現代日本の歪んだ裸体の扱いに繋がっているのかもしれない。
さて、本書で重要な指摘が、「生きた芸術としての刺青」である。現代に繋がる刺青が文化として成立したのは江戸時代で、力仕事をする人々(=人前で裸になる人々)は競ってこれを入れた。しかし、明治以降にたびたび禁令が出たために、刺青は西洋での高評価に反して地下へ潜ってしまい、任侠映画の影響もあってか完全に「刺青=アウトロー」のイメージができてしまった。ことに、アートの視点から刺青を評価する試みが今までなかったことが大きいと思われる。
本書は興味深い情報に溢れているため、個々のトピックを基に、記事にして紹介しようと思う。
付記:刺青(彫り物について)
この本(『日本の裸体芸術』)の特徴のひとつは、あまり美術の世界では取り上げられてこなかった刺青(彫り物)を正面から取り上げていることである。
刺青の特徴は、絵画でありながら生身の肉体に描かれる(厳密には刻み付けられる)ことで、それはキャンバスとなった人と一体化し、その人の一挙手一投足と連動するかたちで「生きた芸術」となる。そして、それは秘仏と同じく、普段は秘匿され、持ち主が「ここぞ!」と思ったときに開帳される。
それは威勢や覚悟の象徴だったが、刺青そのものがアウトロー化する過程で、威圧の道具になってしまったようである。そして、日本の刺青と西洋のタトゥー、そして世界の民俗文化に見られる古来の刺青はそれぞれ乖離して現在に至っているようである。
同書中におもしろい記述があって、東京大学医学部には刺青の標本がある(病理学教授だった福士政一博士が収集したもので、当然ながら本物の皮膚である)のだが、著者が実見したところ、ただの醜い残骸にしか見えず、絶望したという。刺青は生きた人間の皮膚でないと美しく見えないようだ。生気を失った標本の刺青はどす黒く見えたといい、刺青は生身の肉体に刻み付けられた異端の芸術であるということを改めて想起させられる。
刺青は持ち主の生死と運命を共にするのである。