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「張り込みにはパンと牛乳を⑨」

午後8時20分の「やまびこ72号東京行き」を待つ仙台駅のホーム。


「世の中には自分のことを知っている奴と、知らない奴がいる」

ベテラン刑事の和さんが、少しかすれた声で、いつもよりも饒舌にそう言った。


「自分の本音よりも目の前の見えることや他人の受け売りで幸せや不幸を判断するとはよくあることだ。
俺は別にそれに文句があるってわけじゃない。
ただ、世間の中の正しいという常識や思い込みが自分を動かし、大衆の幸福論の中で自分を上げたり下げたりして生きていることしたら…。
そんな奴は自分に嘘をついていることに気づいていないし、嘘に気づかないように仮面を被っているんだよな。
そして、上手くいかなくなった時に自分の世界観の中で行き場を無くし、そして誰かのせいにし始める。そうして気づかないうちに人のものを奪い、傷つけ、縄張りを争い、自分を少しでも優位にさせようと良い仮面を被って狡猾になっていき、最後は闇に飲まれて自分を失ってしまうんだ」

自分の世界観を創っている論理や法則を見直し、未知なるものがあるならそれを受け入れ、理解していく思考力や、自分自身を受け入れる勇気が必要なんだと和さんは言いたいらしい。

「知っている奴はほんの一握りだが、知っているという責任は重いんだ。それを知っていることで、知らない奴の姿が不自由に見えるし、それをそのままにしていると『教えてあげなくていいのか?』と、自分への問いかけがどんどん大きくもなる。
知らない奴のように自分を偽っても、自分の精神性や倫理観が溢れ出し、結局は不自由さを生んでいる根源を正すような状況を作り、立ち止まって見直させようとする。『落ちているゴミに気づいたら、あなたはそれをどうするのですか?』と問われているようで、ある意味、ゴミに気づかない奴の方が幸せかもしれない」

「俺たち刑事っていうは、自分の役割を知っているが、政治家でも学校の教師でも宗教家でも何でもないのだから、家族を大切にすることや社会的貢献に生きることを伝える啓蒙的な役割は薄いだろう。
だから、少しでも過ちを犯した奴を捕まえることで、これ以上同じ過ちを繰り返さないよう、そいつに教えることしかできないのかもしれないな」

和さんは自分に対して何かの不甲斐なさを感じて話しているように私には見えた。

「でも、刑事は仕事で、プライベートの和さんも存在するじゃないですか?ご家族といたり、趣味をしていたり、刑事の顔をしていない時の和さんが『刑事の和さん』をよく知っていて、陰と陽のバランスというか、プライベートの中でその倫理観というか道徳観や精神性のバランスを取っていると私は思います」

「だからこそ過ちを正せるというか、自分を内観して反省したり、次はこうしようと修正したりする。それが出来なかったり、いつでも自分が正しいと勘違いしていたり、過ちを認めれない人は同じことを繰り返してしまうと私は思います」

刑事でも何でも、自分の仕事を支えるのは、見えない影の努力や人としての日常の過ごし方であり、刑事としての能力が高ければ良いというわけでなないことを私は伝えたかった。


「まあ、刑事としての和さんの行動は正直、破天荒な部分もありますが、それは表現力というかコミュニケーションの問題であって、自分の持っているものを音楽や絵やスポーツで表現するのと同じだと思うんですよね。だから和さんは、刑事としての表現音痴というのが正しいかもしれませんね。
それと、人間関係で上手くいかないと言う人は、自分が感じていることや本音を表現する方法の選択肢が少ないことによるコミュニケーション不全ですよ」

和さんの中で秘めている熱いものは、普段の様子を見ると全く感じられないが、市民が危険に晒されたり、犯人が危険な行動を行おうとした時の、それを防ぐための瞬発的なスピードは本能で動いているとしか言いようがない。考えてからでは遅いことを和さんは経験から知っているように思う。だから人が理解する前に事が終わっているのだろうと私は理解していた。


「お前も知っている奴の仲間入りか?俺は自分をよく知らんがな」

私は和さんの自責の念を和らげるつもりで「表現音痴」と称して内心冷や冷やしていたが、和さんは笑いながら手に持っていたコーヒーを飲み干した。


「それじゃ聖也、例のものを頼む」

「あ、今日は張り込みじゃないですが、いくんですね。分かりました」

私は「おあつらえ向きの展開になってきたぜ」と、小さく声に出しながら、売店の女性に声をかけた。


「いらっしゃいませ。何か御入用なお品物はございますか?」

「牛乳2本とあんぱん2つ、あと、何かお勧めの仙台名物はありますか?」

「それでしたこちらはいかがでしょうか?クリームチーズの仙台味噌漬けです」

「おお、聖也、いいじゃないか」

「和さん、逃亡した容疑者が仙台で捕まったからって、まだ事件は終わってないんですからね。つまみ食いもほどほどにしてくださいね」

「分かっているよ。ただ仙台に来たからには何か美味いものでも食わないとな。酒だって、普段は家でしか飲まないんだ。つまみぐらいはいいだろう」

刑事の仕事に休みはあってないようなものだ。一つの事件に関わったなら、その捜査が終わるまで続くし、他の部署の応援や、休みの日に街で犯罪に出くわすこともあるので、何も無い平和はほとんど無い。だからこそ、突っ走るだけではなく緩急を自分で作って調整するのが大切になってくる。今はその緩急で言う緩い状態を作ろうとしていた。


「じゃあ、それも一緒にお願いします」と売店の女性に言いかけたとき、突然、後ろから声をかけられた。


「あの、すみません、自分、仙台県警の加藤小次郎と言いますが、もしかして、木下警部と丸山警部スか?」


「はい、確かに丸山と木下警部ですが」


「そうですか、良がったっス。実はお二人にお届け物がありまして、署ではお渡しできなかったもので、お二人を追っかけてきたんスよ」


「そうですか、加藤君わざわざホームまでありがとうございます。一体、何ですか?」


「自分もビックリしたんスけど、お二人のファンとかって名乗る女性が署に訪れて、差し入れだって行って無理矢理置いで行ったんスよね〜。自分、間に合わねっと思って、急いで駅まで来たんスよ。いや〜、間に合っで良がったっちゃ」

加藤小次郎は警部補になりたての新人で、ちょっと軽い感じはするが、爽やかな青年だった。


「それで、一体、何を届けてくれたんですか?」

私は彼に改めて説明を求めた。


「いや〜、木下警部にお会いできるなんて、ほんと、光栄です。私、あの20年前のお台場の事件を見ていて、木下警部のかっけ〜姿を見で刑事を目指したんスよ。いや、本当に会いたかったッス」


「加藤君と言ったな。あの事件の俺のあんな姿を見て刑事になるなんて、君も変わった奴だな」

和さんは意外とまんざらでもないように鼻で笑った。


「そんなことないですよ、私、ほんと、ラッキーです」

加藤警部補は相変わらずデレデレしている。



「ええい、待ちたまえ、加藤警部補。和さんに憧れているのは分かったが、一体、何を届けに来たんだ。いいかげん教えてくれたまえ!」

私は売店の支払いがまだなことと、発車時刻が近いせいで少しイライラしてしまい、加藤警部補に強い口調で言ってしまった。


「あ、丸山警部、すみません。ちょっと調子に乗り過ぎました。お二人にお届け物と言うのはこちらです」

そう言って加藤警部補は紙袋から取り出したのは…




お茶好きの政宗公にちなんだ「薬膳ほうじ茶ラテ(3人分)」

材料:ほうじ茶 6g

   豆乳 600cc

   水 150cc

   グラニュー糖 大さじ2

   なつめ 6g

   シナモン 3g



仙台名物のずんだにちなんだ「ずんだ白玉(3人分)」


材料:茹でた枝豆 250g

   グラニュー糖 15g

   塩 1つまみ

   白玉粉 100g

   水 100cc




中に母・丸山玲子からの手紙が入っていた。
「聖ちゃん、和さん、お仕事お疲れ様です。お菓子のお教室で仙台まで来ましたが、お二人も仙台にいるということで差し入れを持ってきました。今回は仙台にちなんだつもりで作ってみました。良かったら、帰りの新幹線でゆっくり食べてね。玲子」



「玲子さんも、相変わらず神出鬼没だな」

母・玲子と長い付き合いの和さんは、いつもの事のように呆れた素振りを見せて私の肩をポンと叩いた。


「母さん、なんで…」

東京ならまだしも、仙台まで母の差し入れが届いたことに私は恐怖しか感じなかった。

和さんは既に車両に乗り込んでいたが、私はしばし呆然とした状態だった。私の異変に気付いた加藤警部補が見つめる中、新幹線の発車のアナウンスが流れた。


「お客様、お品物はいかがいたしましょうか?」
売店の女性の購入を急かす声がした。

私は我にかえり、紙袋を加藤警部補の手に無理矢理持たせて車両に乗った。

加藤警部補は一瞬、何が起きたのか分からなかったが、手元に差し入れの紙袋があることにビックリし、慌てて私の後を追いかけて車両に乗った。



その瞬間、乗客口が閉まり、東京行きの新幹線は発車し始めてしまった。

加藤警部補はビックリしながらも、自分の状況を理解してこう言った。






「え、え、とばっちりじゃないですか〜」






つづく

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