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活字が読めなくなってきたら、心が疲弊してる証拠

昨年の営業マン時代。忙しい日々が続き、本を読もうとページを開いても、全く読み進めることができずに本を閉じてしまうことがあった。

活字が嫌いになったわけでもない。けれど読めない。

不思議と読めなくなるのだ。

大体こういう時は、心身共に疲れている。特に心が疲れていることが多い。朝から晩までずっと仕事をして、帰ってからも残った仕事をして、休みの日にもお客さんから電話が掛かってきて。

心を休めることなく、日々を過ごすことになる。

そうなると、心の容量が一杯になってしまって、活字が溢れてしまうのだ。ポロポロと頭から文字が流れ落ちていく。

そうなると、数行の内容が頭に入っていないまま、読み進めることになる。少し進むと「え?なにこれ?どゆこと?」と頭が気づき、また数ページ前の内容に戻ることになる。

そうなると、また途中で意味が入らないまま進んでしまい、同じところで引っかかる。「え?なにこれ?どゆこと?」なぜか勝手に読書のループにハマるのだ。難しい表現が多い小説ほどこうなる。でもカッコつけるために難しい小説を読もうとする。

これじゃあ読み終えられないじゃないか!と叫びながら、本をぶん投げようとするも、大切な本にそんなことはできないので、そっと机に置いてから天を仰ぎ、無の状態が始まる。

本を読むという動作どころか、他のことですら何もしたくない、無の状態だ。

口をタコのように尖らせながら、上を向いて動かなくなる、通称「たこ助」になるのだ。

「たこ助」になってしまったらもう遅い。

料理もめんどくさい、掃除もめんどくさい、お風呂もめんどくさくなる。

何をやるにしても集中力が持たないのだ。無理やり情報を入れてくるNetflixやYou Tube以外は何もできない。彼らはこっちがどんなテンションであろうと、真ん中の四角いボタンを押さない限りは永遠と見せつけてくるのだ。

気がついたら時間を奪われている。

けれど、生活のために嫌々やらなければいけないときが来る。汚い部屋には住みたくない、汚いまま布団に入りたくはない、お腹が空いたら困る。

「たこ助」状態のときには、ボタン1つをポチっと押すだけでご飯もお風呂も洗濯も掃除も歯磨きも、全部完了してお布団で寝てるところまでショートカットできないかなぁ、なんて思ったりもする。

けれど、お風呂に入っている間に気持ちよくなって大体もう忘れている。たこ助は湯に浸かると茹で上がり、赤くなって死ぬのだ。


人間なぜか動いてしまえば、やる気がでる。だからそのまま寝るまではスムーズに動けてしまう。

けれど、けれども、本は読めない。

さぁ、布団でゆっくり読もうかなと思い、先程置いた本を取り出し、寝転がりながらもページを開く。

気づいたら朝になっている。枕元にきれいに畳んで置かれている本を拾って、そっと本棚に戻す。

結局のところ睡魔には負けて、活字など読めないのだ。


本を読むという娯楽には、実は「体力」が必要だ。これは外で走り回るような肉体的体力ではなく、心の「体力」。この体力が黄色ゲージくらい無いと本は読めない。瀕死に近い赤のゲージでは、本を読むことはできずにやられてしまう。


だからこそ、いつも本を読んでいた人が読めなくなってしまったら、それは赤信号だ。きっと心が疲弊しているはずだ。

「最近、本が読めないんだよね」と悩んでいる子が周りに居たら、休んだほうがよいよとアドバイスしてほしい。休んだほうがよいよ、無理してない?

ホントに仲が良い子には、「それって…たこ助?」と聞いてあげても良いかもしれない。

まずはゆっくり寝て、回復をしてから本を読もう。

そして、ここまでダラダラと書いてある僕の文章が読めたのなら、
君はきっと大丈夫です。


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