何もやりたくないけど目の前のことを頑張ったらできることが増えていった

タイトルの通り、俺は本当はなんにもしたくなくて、できれば三大欲求の赴くままに自由気ままに暮らしたいと思ってる。

誰かのためにとか、そういう大義を持って行きていこうなんて気持ちはなくて、まず自分の幸せがあって、自分が満たされることが、自分の近くにいる人達を幸せにすることにつながると信じてやまない。

だからTwitterなんかで見ず知らずの人に絡むような、自分とは主義主張、生活レベルが合わない人を非難するような、そういうことはやらない。そんなことをしても幸せにならないって知ってるから。

本当は何もしたくないけども、いや、自分の好きなこと以外という枕詞が付くんだけど、人から指図されたり、指示を受けたりしながらってのは何もやりたくないんだよ。

それでも行きていくためにはお金を稼がないといけないし、生活保護なんかで生を与えられて、頑張って働いた人たちが生み出した利益から支払われる税金を与えられて、そんなテイカーな人生を与えられながら、生きていく選択肢もあるんだろうけど、それは俺の主義には合わないから、やっぱり働くんだよ。

なんとか生きるために、目の前にあることをなんとか乗り越えていこうと、1つずつやっつけていくと、その先にはまた新しい壁が待っているのさ。

別になにか大きなことを成し遂げようとか、大義はまったくないんだよ。ただ平和に、好きなときに好きなものを食べたり、好きな洋服を着たり、ある程度健康でいるための運動の機会や時間の余裕を得られたり、そういうふうに成りたいから、今をある程度頑張ると、先々楽になるんじゃないかなと思って頑張るのよ。

毎日毎日、来る日も来る日もコツコツコツコツやり続けるんだよ。そうすると、慣れてきて、できるようになることもあれば、新しい壁を前にして苦しい気持ちになることもある。苦しいときって本当やりたくないと思うし、背中を向けようと思うし、まさに今そういう気持ちだから勢いのままにこの文章を書いているわけなんだけど、結局やるしかないのよ。

やりたくないけど、自分が少し頑張ったことで、何かが良くなるならと信じてやるしかない。うまく行かなくても、うまく行かないやり方を知ることができたと思って、新しい取り組み方を探してみるしかない。

人生ってそういうもので、常に隣の芝は青いし、満たされない気持ちをどう満たして生きていくか奔走してる。目で見て、プルプルで魅力的なおっぱいだって、触ってみたら脂肪でしかなくて、なんか違うあの感じ。人の欲望は止まらないのさ。

でもやっぱり、俺は人間であり、生き物だから、種を繋いで子供を育てて、その子供がさらに次に繋がっていく様子を見たいと思う。振り返ると一瞬で、先を見ると何十年(いつ死ぬかわからないけど)続くであろうこの人生。悔いなく生きるには目の前のことを全部やる気持ちで向き合うしかない。

ときには疲れてやりきれないこともあるだろうけど、それはしょうがない。向き合ってもできないことがあるのが人ってもんだから。100%、120%頑張りきれないこともあるだろう。30過ぎるとだんだん120%頑張ってみると次の日70%しか頑張れないことが度々出てくるようになる。そんなことを感じながら、うまく自分の体の声を聞いて向き合うのさ。

運動だってそう、日々モニターに向き合って、椅子に座りながらタイピングをしてると体はなまって動かなくなってくる。前屈をしても腰が曲がり方を忘れ、走ってみれば関節から変な音がする。「これ、いざエロいことしようとしてもする体力なくね?」ってなる。

実際、風俗に行って指を入れてみても腕が吊る。もう本当だめ。全然だめ。

全部うまくやるなんてことを自分の中のスローガンに頑張れど、時間は有限だからさ、若い頃のように何でも勢いでできなくなるからさ、多分今が人生のターニングポイントなのかな?なんて思いながら三十代は駆け抜けてまだ頑張らないとなと思う。

皆んなも頑張ろう。

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