自分が正しいと信じ切っている人と会話をするのはめちゃくちゃしんどい
どうも、センサールマンの山﨑仕事人(自称ソクラテスの生まれ変わり)です🐈
本日の記事は「自分は賢いと思い込んでる人ほど周りからはアホだと思われがちだよね。あと嫌われるよね。」みたいな、だいたいそんな感じの内容です。
しんどい会話
絶対的に自分が正しいと思っている人との会話はしんどいですね。
むしろ「会話にならない」と言っても過言ではないかもしれません。
なにがキツイって、「自分が間違っているかも?」という可能性を踏まえてくれないことです。
自分の意見は正しいと信じているし、自分と違う意見は間違っていると信じている。
自分の意見は「○○だよ!」と高圧的に押し通してきて、マウントもとってきます。
こっちが違う意見の時は迷いなく「なんで?」「違う!」と攻撃的に否定してきて、ついでにマウントもとってきます。
会話でいちいち衝突が起きるからしんどいんです。
正しさが一番大事なの?
この際、どっちが正しいかどうかなんてのは正直二の次なんですよね。
向こうが正しかろうが、こっちが正しかろうが、後に残るのは「しんどい」だけです。
相手が間違ってて自分が正しいと思っていたって別にスルーすればいいじゃないですか。
何の支障があるんでしょうか。
自分の“正しさ”がそんなに大事なのかと。
もちろん仕事上などで絶対に正解を出さないといけない状況なら話は別です。
間違ったまま突き進まないように訂正する必要があるし、多少の衝突も止む無しでしょう。
ただそれにしたって攻撃的に言う必要はありません。
「それ○○じゃなかった?」とか「僕は○○だと思うよ?」とか伝え方はなんぼでもあります。
無知の知
ちなみに他人事のように書いてますが、これは僕自身がそうだったから強く言えることです。
「だった」と過去形で言えるほど今は改善されているか微妙ですが、少なくとも気を付けようとは思っています。
若い頃は誰しもがある「万能感」みたいなものをさっさと捨てるべきなんですよね。
20代そこそこくらいまでならいいのですが、それなりの歳でまだその感じが残っていると痛々しいだけです。
ただそれなりの年齢の人の方が「自分は出しい」と思いがちです。
積み重ねてきた経験がそうさせるんでしょうが、そんな積み重ねなんてしょせん自分が通ってきた一本道の人生で拾ったモノでしかありません。
大したもんじゃないんです。
大切なのは「無知の知」ですよ。
少なくとも自分が間違っていたと分かった時にはすぐ謝る、そしてその反省を踏まえて次からは言い方を気を付けようと考えるくらいはしたいものです。
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