休養 森林浴
以前休養にはパッシブレストとアクティブレストがあると書きましたが、休養編最後となる今回は、日本発祥の代表的アクティブレスト法である「森林浴」について紹介します。
森林浴は1980年代に当時の林野庁が提唱した、日本発のアクティビティです。
1982年、当時の秋山智英林野庁長官が「海水浴」や「日光浴」などの言葉をヒントに造語したもので、「森の中には殺菌力を持つ独特の芳香が存在し、森の中にいることが健康体をつくる」という「森林浴構想」を発表したことに端を発します。
同年秋、長野県上松町の赤沢自然休養林で初の全国大会が開かれ、以来この森は「森林浴発祥の地」と呼ばれています。
1986年には林野庁と地球環境財団、緑の文明学会が共同で、「森林浴の森日本100選」を制定しました。
森林浴の森は「日本の森林を21世紀に引き継ぐため、また、自然保護の精神を養い国民の健康増進に役立てること」を目的としています。
日本では古来より森を神聖視し、そこには諸々の神が宿っているという感覚を持って崇敬してきました。
神々の領域であるヤマと人々が暮らすムラの間には、バッファー地帯としてのモリやハヤシ、ハラ、ノラ、カワラなどがあり、里人たち共有の採取空間として守り育てながら、そこにある自然資源を利用してきました。
中でもモリは、ヤマという異世界へつながるためのワープ装置であり、神が依る巨岩や巨樹などのカンナビを有し、また鎮守神を祀る鎮守の杜として、その植生が太古の昔より守られてきた特別な空間でした。
森林環境には、ヒトの五感を刺激する多様な感覚作用要素があります。
●視覚:明るさ、色彩、彩度、空の範囲、太陽光の遮断度、木漏れ日度、見通し度、輪郭の曲線性、渓流・湧水環境
●臭覚:香り(アロマ)の種類、強さ、好ましさ(花、果実、苔類、精油・・)、フィトンチッド作用
●聴覚:音の大きさ、高低(周波数)、音色、音域、音種の多様性、間断性、混合性、揺らぎ、葉擦れ音、鳥獣・昆虫の声、渓流・湧水音(せせらぎ、滝、雨滴)
●触覚:木材の肌触り、歩行時の足裏感覚、そよぐ風、日差しと木陰
●味覚:木の実、花の蜜、葉、樹皮、樹液、根、清流の水
●その他:マイナスイオン、活性酸素、人とのすれ違い密度、さまざまな相乗感覚効果(複合感覚=第六感)
また気候要素によるさまざまな作用もからだに感じられます。
●温熱的要素(気温、水蒸気、陽射、赤外線、風の変動):体温、循環器・呼吸器への影響、新陳代謝に作用
●湿度(絶対及び相対湿度):温熱的要素の補完作用
●機械的・力学的要素(気圧、風速):高圧時・低圧時の循環器系・呼吸器系・造血器系・自律神経系への作用、血液ガス成分への影響
●化学的要素(酸素、オゾン、炭酸ガス、テルペン類、天然及び人工汚染物質):呼吸器系、循環器系、血液成分への影響
●光線要素(可視光線、赤外線、紫外線):紫外線による紅斑形成、色素沈着、ビタミンD生成、殺菌効果など
●雷・磁気性要素(空気イオン・電磁波):自律神経系への作用、セロトニン分泌作用など
●行動生理的作用(光):生体リズムや行動に対する作用
森林医学や環境医学を研究している、森林医学研究所代表世話人の李卿りけい氏による実験調査では、森林浴はヒトの免疫系におけるNK(ナチュラル・キラー)活性を上昇させ、NK細胞数を増やす効果があるということです。
森林浴後はNK細胞内の抗がんたんぱく質が有意に増加し、その効果は1ヶ月間持続するという結果を日本高加齢医学会雑誌に発表しています。
また各都道府県の森林率と、がんの標準化死亡比(SMR:Standardized Mortality Ratios)との相関関係にも着目し、森林率の高い地域に住む住民はSMRが低くなる傾向を示しました。
森林浴はストレスホルモンである尿中アドレナリンの濃度を低下させ、精神的疲労感を通常時の4分の1にまで減少させる、リラックス効果を持っているということも言っています。
アメリカやカナダなどでは近年、日本発の新しい健康アクティビティとして、Shinrin-yokuが注目されているようです。
2010年にニューヨークタイムズ紙が初めて日本の森林浴研究について紹介していますが、2016年にワシントンポスト紙が最新のフィットネス・トレンドとして取り上げた頃を境としてブームに火がつき、今では各地で複数の団体がフォレストセラピストの育成プログラムを実施しています。
イギリスでも2019年ガーディアン誌が特集し、「英国は日本に比べこの分野において40年遅れをとっている」とコメントしています。
わずか40年前に誕生したばかりの森林浴ですが、ヨーロッパなどでは日本古来の神道や禅などの思想と一体となった精神的伝統の一部を占めるものとして捉えられ、ヨガや和食などの文化とともに受け入れられているようです。
日本にもこの世界的森林浴ブームが逆輸入されることで、環境と健康の不可分性についての理解がより深められ、エコロジカルでホリスティックな全人類の潮流をリードするような哲学が生まれ出るきっかけとなっていくかもしれない、と密やかに心ときめかしています。
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