共感的な苦痛:他人の痛みを背負いすぎて、傷ついていませんか?

皆さん、こんにちは!

前回のブログ「共感の科学 - 他者の心に触れる不思議な力」で、共感の力について深掘りしましたね。共感は私たちが他者の心情を感じ取る能力で、それが時として私たちの心をざわつかせ、痛めることもあります。今日は、その「共感的な苦痛」を中心に、私の経験を通してお話ししたいと思います。

レイオフは突然に

シリコンバレーの半導体企業で、人事として働いていた時のことです。

ある日、突然、同僚ロバートが、レイオフになりました。彼は、三つ子のお父さん。仕事以外の会話もよくしていて、「三つ子が一度に大学に行くから、俺も頑張らないとね」と聞いたばかりでした。
家のローンや、子供たちの大学資金。急な解雇で、これから大変だろうな・・・彼の今後のことを考えると私の気持ちまで重くなり、言葉をかけることができませでした。私が人事だったということもあり、その後、ロバートとは疎遠になっていきました。しばらく経って、LinkedIn(リンクトイン)で彼が新しい仕事に就いたのを知った時に、真っ先に「Congratulation! (おめでとう)」とメッセージを送ることができました。

娘のいじめ体験

私のプライベートでも、娘のことで共感的な苦痛を深く感じる出来事がありました。小学生の頃、突然親しい友人たちから疎外され、いじめの対象ととなった娘。彼女の涙や心の痛みを見るのは、親として非常につらいものでした。そんな娘に私はただただ悲しみに共感。いじめっ子の親に直接話すことも考えましたが、まずは親の私が彼女の安全基地になることを心がけました。そんな毎日が続いたある日、「ママに話したらすっきりした」と娘。「彼女には自分でこの問題を解決できる力がある」と、親として希望の光を見た思いでした。

境界線と自己共感

これらの出来事を通じて学んだことは、冷静で思いやりのある心で事態に取り組む大切さ。人事の時、自分の感情とうまく向き合えず同僚と疎遠になってしまいましたが、コンパッションを生きるようになって、バウンダリー(境界線)を引くことができるようになってきました。
まずは冷静に状況を見つめ、最良の対応を考える。そうすることで、バランスのとれた、建設的な解決が見えてくる。
さらに、他人の痛みを深く受け入れすぎないための「バウンダリー」。そして、自分自身の感情も大切にする「自己共感(セルフ・コンパッション)」の意識を持つことが、心の健康にとって鍵となると感じています。

皆さんも共感的な苦痛を経験したことはありますか?
どのように対処しましたか? 
良かったら、心の内をコメント欄で共有してくださいね

次回も、心の中の旅を一緒に歩んでいきましょう。ではまた!



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