二十歳、夏

いや、僅かなはずなのに。何故だろう長く感じる。
節目界でナンバーワンを飾れるほどに大きな印象を持つアラビア数字、20。私がこの世に生を享けて経過した年数。信じられないかもしれないが、コンビニで酒類棚に手を伸ばし、レジに持っていっても何も後ろめたくない。但し年確はされる。気分は坊やのままなのに。大人びた子のはずなのに。もう誰もマセガキと呼んではくれない。

”ませる”は漢字で”老成る”と書く。これを見返してる未来の俺、覚えていたか?

20年なんて、現代人の生きるとか言われてる齢、100歳のたった五分の一しかない。いや結構ある。そんな長いようで別に短くもなかった20年間を文豪気取りのつまらん男が振り返る。

ところで、タイトルの「二十歳、夏」、1分で思いついたにしては中々良いと思う。だがこれまでの経験上、こういう洒落たやつは大体知らないだけで既出、までがセット。さてさて調べたら2007年発売の石原さとみの写真集がヒットした。
こういう系ってネットの奥底にあるアメブロとかに当たるのが常なんだけど、今回のは石原さとみの写真集レベル。Stierといって差し支えないだろう。


乳児期(エリクソンの漸成的発達理論)(0歳)

勿論記憶はない。出生時体重3000g。障害などないとても恵まれた人間が出た。ミルクは哺乳瓶を”両手足”でがっちりホールドしてイッキ飲み、そのせいか将来は力士かってくらいにクソデブだった。多分顔は今よりデカい。
俺を産むのがしんどすぎて、二人目を作ろうとはならなかったらしく今のところは一人っ子。一応まだ生理が上がっていないらしいのでこのように表記しておく。これで妹ができたとか言われたらしゃっくりが止まる自信がある。

幼児期初期(保育所に行く前)

父親の休みの度に公園に連れて行かれ、家ではレゴだのビー玉使ってピタゴラスイッチごっこと、普通に良い環境で育つ。母親が妊娠時の暇つぶしに買ったDSで「だれでもアソビ大全」「脳を鍛える大人のDSトレーニング」をやってた。DSは俺の扱いがあまりにも乱暴で、記憶があるくらいの頃には本当に首の皮一枚(上下画面を繋ぐ太めのケーブル)だけ繋がって生きていた。あの後壊れたのか捨てたのか覚えていないけど手元には無い。

時代的にノートパソコンが主流になりつつあるくらいで、勿論我が家にもあった。ヤフーとかFLASHのゲームやったりYouTubeでうんこしてるドラえもんとかトーマスのプラレールとかレゴでWii作る動画とか見てた、英才教育すぎる。

当時はネット環境が悪くて2分の動画を15分以上かけて見てた

今後の人生を有利に進めるためか、ひらがなカタカナをいち早く勉強させられた。そのおかげか、かなり早い段階で文字の読み書きはできる子になっていて、テレビとか町中の看板などの文字をめっちゃ読んでいた。よく話した言葉は、「きいろ」「あんまんまん(アンパンマン)」「えんどうふじお(和歌山の市議会議員)」

これが遠藤富士雄 2024年現在76歳らしい

幼児期後期(保育所入園)

保育所に年少で入園。劇で主役を張ることが多かった。なんのかは忘れたけど王様役とか、かさじぞうのおじいさん役とか。別に主役をやりたいって言った覚えはないし、かさじぞうに関しては、おじいさんが町に傘を売りに行ったときに出てくる魚屋さん役を仲の良かった子とやろうとしてたのに、人数が合わないとかで弾かれて何故か主役になってしまった。なんで?

「かさはいらんかね~!」「………いーらない!」

普段の様子は、中心人物じゃないのに声がでかいっていう謎なやつだった。思えば他の子よりも言葉をよく知っているからか、どこか先生寄りの態度というか、立ち振る舞いというか、まあ嫌なやつだった。お前はなんやねんって感じ。鮮明に覚えているのは、意地悪?した奴が先生に注意されて「だって…」とか言いながらに泣いてるそいつに「だってじゃない!」って謎に注意に加担していたこと。マジで意味わからん。イキってたんかな。

年中からガチの外国人が個人経営する英会話教室に通い始める。楽しかったけど、楽しかったのはレッスンのあとのボードゲームだった。
講師が故郷のニュージーランドに帰るからって転塾したら、そこは宿題とかめっちゃ出たし単語テストあったりでクソだるかった。相変わらずボードゲームがあってそこはおもろかったけど。中学受験の勉強が忙しくなるという理由で小4いっぱいで辞めたけど、端的に言うとその後の人生において、このときの経験が生きたことは0に等しいくらい無かった。得られたのはumbrellaのスペルを覚えたこと、単語をちょっと発音良く喋れるくらい。
発音に関しては苦労してる人からしたらデカいかもしれないけど、そもそも英語に興味を持てなかったし、発音をするための単語を持ち合わせていないからネイティブと会話なんて全くできない。なんて言ってるか分かってもその単語とか文法がわかんないから喋れない!無理!
結局英語は中学高校でいかに逃げないかだし、どの科目もそうだけど本人が勉強したいと思うかどうか。今は小学校で義務教育とかあった気するけど、無駄。5歳から英語に触れてこれだから、小学校からに繰り上げたところで意味が無い。と俺は思う。
でも強いて習い事させるとしたら、ピアノとか水泳とかそろばんよりも英会話なのかも。難しい。

can't stopとかモノポリー、ルドーあたりが多かった

ゲーム歴ではWiiを買ってもらった。一応初めて手に取ったのは前述の通りアソビ大全なんだけど、明確にゲームで遊んだと言えるのは「マリオカートWii」だろう。一生タイムアタックやってた。スタッフゴーストの「Nin★〇〇」がかっこいいと思ったから自分にもつけてた。

小学校に入って3DSを買ってもらった後も「Wiiスポーツリゾート」「NewスーパーマリオブラザーズWii」「マリオギャラクシー」とかの任天堂の名作をめっちゃやった。
特にマリオギャラクシーは思い入れが深くて、歴代一位、間違いなく今後も塗り替わることのない空前絶後の神ゲーだと胸を張って言える。ストーリー、アクション、グラフィック、ミュージックそのすべてが唯我独尊。適度に難易度が高いのもやりごたえがあって素晴らしい。当たり前だけど2もやった。無理は承知だが本当に続編が出てほしい。やったことないならSwitchで今からでもやってほしい。

Go Mario!

これと出会うためにWiiと巡り合ったと言っても過言ではない。目先の金のために色んなものをメルカリで売る悪癖がついた今でも、当時の実機とディスクは手放していない。それくらい思い入れの強い宝物。卒園文集に「たからもの:Wii」って書いたし、とび森で村の名前を”ギャラクシー村”にしただけのことはある。

学童期(小学生)

主役張るタイプがいつの間にか日陰者になったのは置いとくとして、ルックスがかなり今と違わぬものになってきた。父親の遺伝子を見事に受け継いだハイパーくるくる天然パーマ、メガネ、ヒョロガリ。「人とちょっと違う」に憧れを持っていたから満足はしていた。既に厨二病だったのかもしれない。

低学年のときに仲良くなったやつが中学受験をするタイプの人間で、その影響で小4から中学受験するための塾に通ってた。一貫校だから高校はそのまま上がったしFラン大学にAOで入ったしで、まともに受験したのが小学生だけっていうギャグ。その小学生時代が結構辛かった。でもめっちゃ勉強したってより日々の宿題と授業に耐えてたって表現が正しい。入試直前で学校休んだりしてたけど普通に電波人間やってた覚えある。

算数があまりにも苦手で、塾の先生から「算数0点でも他満点なら受かる」とアドバイスされて、そんなハッキリ言わんでもええやんって強烈に覚えてる。ちなみにきっかけになった友達は一個上のレベルの中学に行ってそれっきり関わりがない。(ちょっと前令和ロマンのYouTubeに出てた。どうやらあいつはM-1に出たらしい。)

掛け算の7の段でつまずいてから数字とは犬猿の仲

5年生辺りからそういうおぼっちゃまタイプの奴とつるまなくなって、親の財布からカネ引っこ抜くタイプの人間と仲良くなり始めた。勿論俺はやってない。そいつらはおもろかったけど6年でクラス変わってまた疎遠気味になったのを最後に俺のヤンチャはそこで終わってる。そのあたりのやつらはスマホ買ってもらってたけど俺は持ってなかったから連絡先も知らない。
6年で仲良くなったのはなんと男女グループ。夏休みにラウンドワン行ったり、修学旅行一緒に回ったりした。ガキだから恋愛感情とかなかったし、本当にただの友達だった。女子に話しかけられてもそこまで露骨にキモくならない(と思っている)のはこのおかげかもしれない。ここもスマホ持ってなかったから、連絡先を交換せずバイバイした。
つまるところ、同じ小学校で今も繋がってるやつは、同じ中学に入学したあいつ一人を除いてガチで一人もいない。小学校と中学校との間で、俺の中の歴史が遮断されているんだ。だから同じ小学校だった人と話したり名前を見たりすると、まるで僅かな記憶の中にある前世の話をしているかのような感覚になる。多くの人にとって”小→中”はストレートだし、”中→高”は連絡先を交換してるから繋がりがある、昔過ぎないから記憶がそこまで薄れていないって感じだと思うから、かなりレアな人種かも。

ゲームは前述の通り、3DSを買ってもらってめっちゃ遊んだ。特に「とびだせどうぶつの森」は2000時間くらいプレイして、この大記録は今でも破られていない。
かっぺいの船に乗って南の島に行けるやつがあったんだけど、それには他の人と交流できるオン島っていうシステムがあって、それにクソ入り浸ってた。ルール禁止だったフレコ交換とか、無限増殖バグ島に当たって稼ぎまくるとか、その後切断されるとかまあ色々あった。オン島きっかけで起こったトラブルめっちゃあるだろうし、それにまつわるYouTubeの動画も結構観てた。べクリス?みたいな名前の人。オン島のクレクレを成敗!みたいなやつ。今確認したけど動画残ってなかった。残念。

コーヒーを飲み始めたのは間違いなく喫茶ハトの巣の影響

青春といえば、うごくメモ帳も欠かせない。サザンクロス、ひろしの日記、上画面にタッチペン当ててやる逃走中、3DをONとOFFで切り替えると絵が変わるやつとか、陣内智則とか超新塾のネタとか。名作はコイン使って保存してた。
棒人間バトルはよく、というかほぼほぼカッコいい系の曲が(無断で)使われてて、幼き男心を擽られた。そのうちの殆どはYouTubeで発見できていて、有名なサザンクロス、筆持った奴が敵だったWatch Out Pt.2、そしてつい先日、Switchの太鼓の達人で収録されていたT.M.Revolutinのignitedを発見。棒バトのクオリティ自体は低かったけど、曲は良かったから印象によく残ってた。アニメの曲テキトーに眺めてたら急に聞いたことあるし懐かしいしで「!?」ってなった。普通に鳥肌モノ。
ただ、一番のお気に入りだったやつが一向に見つかる気配がない。曲自体は覚えてるんだけど、調べ方もわからないから完全に手詰まり。死ぬまでに見つけ出したい。

懐かしすぎるこの画面

追記(2024/9/16):一番のお気に入り、見つかりましたよ。Fear, and Loathing in Las Vegasという海外のバンド?のLove at First Sight。「曲 探し方」で検索かけたら、私の今持っているスマホを作ったあの天下のGoogle様が"鼻歌検索"なるものを提案してきやがってまあまあやってみないことには始まらないということでサビであろう部分をフンフン歌ってたらそれはもう迷いもなく普ッ通〜に出てきましたわよ。もう現代の技術、特に進化したした言ってるだけやと思ってたAIの利口さと、自分の「曲は調べようがない」という固定観念により生まれた長すぎるすれ違いからくるなんとも言えない後悔のような感情が凄い。読点がなさ過ぎて怪文書かも。あえてこのままにしておく。

WiiUも買っ…サンタさんに貰ったんだけど、まじで神ゲーだったなってのがあんまりない。強いて挙げるならマリオメーカーくらいか。友達に持ってる人が少なかったし、母親が家に人を呼ぶのが嫌いなタイプだからNintendo LandとかWii partyとかのみんなでやるのが楽しいゲームがちゃんと遊べていないのが原因だと思う。保育所の頃と違って親が一緒にゲームしてくれなくなったし。

数少ないWiiU保持者の家でやったこれ、本当に面白かった

青年期(中学〜現在)

定義が広いのでここでは中学のときの話。
スマホを買ってもらった。XperiaのXCompact。Androidにした理由は、小学生の時に父親のタブレットを借りてパズドラとかなめこ栽培キットとかで遊んでたんだけど、それがNexusっていうAndroidOSだったからなんとなくスマホもそうしたって感じ。逆張りガイジの素質あり。

ゲームするにはスペックが物足りなくて正直微妙だった

思春期が到来し、くるくるパーマからうんにょうにょパーマ、大量のニキビが出現し、これらは今も尚悩みの種。これは自惚れなんだけど、顔はブサイクじゃないと思ってるからニキビ面のオタクでも謎の余裕というか自信があった。容姿は色白・ヒョロガリ・メガネ・天パ、と絵に描いたようなオタクスタイルなのに。思春期終わったら天パもニキビも落ち着くから~と根拠のない正当化をして努力を怠った。今、自腹切って皮膚科通ってる。当時の俺に怒りたいよ。
今の一番の友人は高校の同級生なんだけど、一貫校だから中学から一緒。なんなら小学生の頃同じ塾で顔見知りだったやつもいる。多分、一生の友達になるであろう人たちとこの時点で出会ってる。

小学生の頃、関ジャニの仕分け∞って番組がきっかけで太鼓の達人を知り、クリスマスに買ってもらってぼちぼちと遊び続けてた。
その後、中学に入りスマホを手にするとTwitterで太鼓をやってる人と交流、時を経てグループ的なのが出来上がってその人たちと通話しながらゲームやったりした。年齢こそ近めだけど、顔も知らないネット友達ってのは新鮮で楽しかった。ただ、結構訳アリな感じの家庭環境の人がいたり、それ法に触れるんじゃないかって行動してる人がいたりで、このコミュニティに属していていいのかと考えるようになった。若干の身の危険を感じた俺は大事になる前に関係を断ち切ったのは高校入ってからの話。

「鯖といえば?」ってツイートに相場ではナイトメアサバイバーと答えるのだが俺がVICTORIA(空耳で鯖と言っていることを)と答えると界隈のそこそこ有名な活動者に「鯖裏も知らないにわかだろ」みたいな引リツされて危うく炎上するところだった


他ゲーでいうと、太鼓きっかけの界隈の人とリア友の影響で、パズドラは割と長く続いた。3回くらい消してるけど、妖怪ウォッチコラボ二回目でコマさんがガチャで出てちゃんとやり始めて、セイナ炭治郎が強い頃あたりまでちゃんとやってた。PUBGモバイル、荒野行動もやったりしてたけどそんなに思い出に残ってはいない。その後FPS系のゲームをするようになったきっかけではある。
面白かったのは人狼ジャッジメントとブロスタ。フェイっていう中性っぽい見た目のキャラで、コッテコテの関西弁で喋ってた。本当に数人しか存在を知らないと思うけど、服部フェイ次は俺。
ブロスタはポコ使ってた。瀕死の味方にヒールして助ける気持ちよさをここで覚えた。

これがフェイ

高校生

中3の終わりにコロナが流行りだして、臨時休校、その後分散登校から高校生活は始まった。文化祭が無くなったりで窮屈な思いをしなかったわけではないけど、結果修学旅行は行けたし、高3には文化祭が復活したりでまだマシな程度で済んだと思ってる。友達は自称進学校でクソやったみたいに言ってるけど、別に俺はそうとは思っていない、いい学校だったと思う。

陰キャ友達の影響で自作PCを作成してゲームし始める。新キャラレヴナントが追加されたのを覚えてるからApexシーズン3の後半だと思う。エペにそれほど思い入れがないけど900時間もやってたらしい。性能変更される前のレヴナントだけ使ってた。ちゃんとやってたのはヴァルキリーが追加されたシーズンくらいまでで、調べたらちょうどSwitchを買った辺りで辞めつつあった。一応カタリストのウルトを見た記憶はあるけど、バリスティックから先はまじで触ってすらないと思う。レヴナントがリワークされてやる理由がなくなったし(この世界で一人だけの理由)。PC持ってない勢といっしょにゲームするためにBE版マイクラを夜中までやったりとかなり楽しかった。今一緒にゲームしてるのもその時のメンツ。

旧PCのデータを移行していないため、
one driveに残っていたこれが最古のスクショ

Switchを購入したのはPCゲーをやり始めてから一年ほど経った頃(2021年)で、実はかなり後から入ってきた人だったりする。動機はスマブラの競技シーンに憧れたから。競技シーンを知ってから参入したニュータイプである。まじでなんでだったかは忘れたけど、スマブラの競技シーンを知ってスマブラをやりたくなる→応急処置としてWiiUでできるスマ4を買って遊ぶ→どうしてもパックンフラワーが使いたくてグラボ(PCのパーツ)を売る→Switchデビューという流れ。時期をわかりやすくすると、ホムヒカとカズヤの参戦日の真ん中くらい。このゲーム続きすぎだろ。

メルカリで買った中古のSwitch 今なお現役

その後スマブラの才能の無さに絶望してマリオカートにちょっと手を伸ばしてみたり、Apexに代わるみんなとやるゲームになると感じたオーバーウォッチを始めだしたり、みんなApexでダイヤとか行ってんのになんで俺ゴールドなん…?と徐々に自分がゲーム下手な部類の人間であることを自覚し始めたりした。

紆余曲折ありながらもスマブラ購入から二年と四ヶ月経ったある日。(もう高校生の頃の話ではなくなっているが、時系列と文章をリンクさせるのが難しかったのでここで消化する)
なんと驚くべきことに、今これを書いている丁度一年前、2023年9月10日。ついにパックンフラワーでVIPに到達。中学とか大学に受かったときの比じゃないくらい嬉しかった。これまでの人生で、めちゃくちゃ頑張ったことがあんまりなくて、それこそ受験とかも苦労せずに生きてきたんだ。そんな中、初めて本気で取り組んだものがスマブラだったんだ。その努力が報われたことが本当に本当に嬉しかった。嬉しすぎて、これ以来オンラインでパックンを使っていない。VIPマッチという金色の額縁に入れて作品として残している。

できる人からすれば、たかがVIP。
でも俺にとって、これはBIG。

大学生

勉強を頑張らなさすぎて附属大学の推薦枠が取れないと先生に言われ(絶対脅し)、他の大学の受験を考えるも勉強を頑張っていないので当然どこを受けても合格はしないだろう、ということでアホでも簡単に入学できるところ、ついでに手に職をつけられる専門性の高いもの、という方向性を決めた。
そこそこの大学に行っても、企業はより賢い大学の人を選ぶし、またさらに上がある。ならば、ただの学歴ではなく、専門性を求められる分野で選ばれるもののほうが良いし、それなら単に偏差値で決められない。flexだと練度の差で勝てないのなら、OTPになって価値を作り出せば良い。オーバーウォッチで学んだこの理論(あまりにも後付け)を掲げ、志望理由の書きやすさ、将来性を加味して看護系に進むことに決めた。我ながら素晴らしい判断である。

これは以前話題になったフリー素材サイト、スキマナースから

またさらにアホでも大学に入れるシステム、総合型選抜(AO入試)を活用し、見事合格。面接で大学の理念を答えられないという超絶大失敗をぶちかまして「絶対落ちた」という揺るぐはずもない自信を見事に裏切ってくれた。筆記試験はまじで満点ありそうなくらい手応えがあったからか。でもあの程度の問題中学生でも解けそうなレベルだから点差はそんなに開かないと思うんだけどな。意味がわからない。そしてこの俺の内心を少しの間覚えておいてほしい。

さて、高3の10月に大学が決まった。受験TAという種目があればかなりの好記録である。俺より先に大学が決まった人をまだ知らない。そっからは受験生を尻目に遊び放題…とはいかず、なんと高校卒業が危ぶまれるほどテストの点数が悪かったため結構勉強した。アホすぎ。

まあ当然だけど、進路が決まってるやつを落第させるわけもなく無事に卒業できた。卒業式が1月でその後も登校する必要があったから卒業感は0だった。よくある卒業式の日にアルバムに寄せ書きするやつも、そもそもアルバムが完成していないから手元に無いって言われて控えめに言ってぶったまげた。翌年の夏頃に郵送されて、卒業式の様子が載ってたけど、はっきり言って良くないシステムだと思う。寄せ書きができるちょっとしたボードみたいなん用意してくれたら良かったのに。



時間は進み大学の入学式を終えた頃。授業が始まって3日目まで全く友達ができなかった。というか作らなかった。看護系に女子が多く、ビビっているわけじゃない。いや仮にそうだとしても、他所に比べて男子が多いからまさか孤立なんてしない想定だった。じゃあなんで友達がいなかったのかって?全く予想にもしてなかったんだけど、今までに出会ったことのないタイプの人が多すぎたんだ。簡潔に言うと、右を見ても左を見ても容姿がしっかりチャラいんだ。まさかこんな障壁があるなんて全く想像もしていなかった。

ただのガキだった消防、中学受験をさせるくらいに家が真面目なやつまみれの厨房、厳しい校則の影響か、デビューが「メガネからコンタクト」「色付きリップ」「わからないくらいのワックス」に留まった工房。チャラい人への耐性を持ち合わせていなかった俺は、そのgapに面食らいすぎて男女問わず人に話しかける勇気が3日目まで出なかったんだ。幸い前側の席に座っていた陰キャっぽいやつがいたからなんとかなったけど、あれより遅かったら余裕でボッチだと思う。やばすぎて2日目とか「大学はボッチでいいか」「俺人嫌いやし」みたいなこと思ってた。俺が一番やばい。

話しかけたそいつは予想通り友達がいなくて寂しかったらしいのでうまく傷を舐め合えたと思った。類は友を呼ぶってこういうことかもしれない。そいつも中学受験した組だったしなんなら県内一番の”ガチ”の進学校出身だった。まじで類友。でも友達に苦労してたとか言ってたのに後日会ったら普通に3人グループの内の一人みたいな立ち位置にいて、そこに俺が入ってきたみたいな感じになった。あれ?学歴も交友関係も完全に俺の上位互換で?早くも賢いキャラが続行不可になった。頭脳で無双しようかなとかおもってたのにさ。あーあ。

ここでさっきのことを思い出してほしい。そう、誰でも解けそうなくらい、点差が開かなさそうなくらい簡単な入試の筆記問題があって、面接でクッソやらかした、けど合格した、何故か、筆記問題で点差がついたから、なぜついたか、他の受験者が自分よりアホだったからではないのか、そうかそれしかないそうに違いない!という内心があったんだ。
つまり俺は完全に周りの奴を見下していたんだ。馬鹿にしていたんだ。馬鹿の中にいるそこそこの奴だと思っていた。
そんな当時の俺に、もし今声をかけられるのであればこう言う。

「テメーも同じとこに行ってる馬鹿だろうがタコ!!!!!!!!!!!」

確かに俺のいる大学はFランかもしれない。過去の貯金のお陰でちょっと周りよりも賢いかもしれない。でもな、勉強から逃げて、努力を怠って、その結果そこに行き着いたのがお前だ。目標を持って、夢を志して、本気でその道のプロになろうとした人が沢山いるんだ。わかるよな。お前は彼らよりもよっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぽど馬鹿だってことが理解できないほど馬鹿じゃないよな?俺。

きつい文章を緩和するタコ



大学生になってもまだゲームしてるんだ…

恥ずべきことだ。
まさかこの歳になってゲームばっかしてる、しかも友達もみんなゲームばっかしてるなんて未就学児で既に筋金入りだった俺でも思わないと思う。
特に俺に至っては流行りのVALORANTにハマれず、闇が深いとされているオーバーウォッチが中心だ。ダイブ構成、ラッシュ構成とかの他のFPSには無い戦い方があったり、キャラによってやるべき仕事がある、だけど味方との連携が大事だとか、自分や相手のウルト管理、単純なダメージ量では測れないやり方があってまじでおもろい。闇深いとか言われてるけど正味他ゲーとそんな変わらん。単にエイムがいいとか、射線の広げ方とかのフィジカル以外でキャリーができるし、噛み合ったときのやったったぜ感がほかでは味わうことのできない、所謂オーバーウォッチでしか得られない栄養ってのがあって、それがあまりにも美味すぎる。俺はこのゲームが大好きだ。


一番最初、コレだと感じたのがアナというキャラだった。まるでブロスタのポコのような”瞬間的なヒールで味方を救う気持ちよさ”を最も強く感じて、もうすっかり虜になってしまった。それでいてスリープダーツというロマン砲、阻害瓶というキルに直結しうる決定打があるもので、楽しさとキャラパワーを両立した神のヒーローを使い続けている。ゲンジやD.va、キリコなど性能・見た目的に人気が高そうなヒーローが多くいる中で、最も人気なのは実はアナだったという記事をどこかで見た気がする。アナは最強で最高。
そういえば俺が明確な強キャラにハマったのってこれが初めてかもしれない。

キャラ別の総プレイ時間
過去のレヴナントといい、OTP癖がある気がする

つい最近、タンク→サポの順でプラチナに到達することができた。サポやってると、味方に来るタンクがあまりにも弱くて負けることが多々ある。”タンクのせいで負けてる、俺は悪くない。”これを確かなものにするため、「ソロでもキャリーしやすくて、勝ちの再現性が高いキャラはウィンストンなんじゃないか」という仮説のもとちょこちょこと練習してたら、ある日覚醒した。5連勝とか叩き出してゴールド3から一気に駆け上がってプラチナ入り。やっぱり俺は間違ってなかったと自分の中で証明した。
その後、ランクリセットを経てサポも順調に上がっていき、こちらもプラチナに到達。スマブラのVIPとまではいかなかったけど、受験成功したときよりかは嬉しかった。如何に俺が受験で努力していないかが分かる。

PCゲーム初プラチナ

最初はApexの代わりにみんなでやるものだったのがいつしか一人でもバリバリやる、要はスマブラに代わる立場になってしまった。そして俺以外のやってたやつらはオーバーウォッチの上位互換だと豪語するLOLにどっぷりハマっている。俺はというと、CS取れなさすぎるし操作性ゴミだしゲームが進化しすぎてて常にボコられるし使ってて楽しいザヤが弱キャラで使用禁止令出されたしで本当につまらないし適性がない。まじでオーバーウォッチのほうがおもろい。

使ってて楽しいのがこいつしかいない、でも弱いしむずい


スマブラはというと初めての遠征である九龍#10で完全に燃焼した。一応時系列でいうと、VIP入った後。パックンモチベはVIP入りにより完全に消滅していて、前から使っていたセフィロスやロゼッタ&チコを中心に戦った。詳細は下記オフレポにすべて詰まってる。結局初見殺し性能が高いパックンを出して、一人に勝つことができた。実に半年ぶりのパックンだったけど、全く衰えも進化もしていなかった。使うつもりは無い。
怠惰すぎてこの夏は行けなかったけど、東京のオフ大会に一度は足を運びたいと思っている。出場はしないと思う。


流行りのスト6はリリースから一年経ったくらいから始めた。きっかけはスト6が面白いんじゃないかと言い出した友達の影響。お前が始めるなら俺もやるということで購入し、今でもちょびちょびやってる。そいつは大学が忙しいとか言って全くやってない。他のゲームすらやってないからマジなのかも。
そいつとフレ戦やってて使用感が良かったのがキャミィで、一応メインキャラ。けど、認定で勝ちすぎてプラチナ4とマッチした豪鬼や、中アシスト押して端でハメてるだけでプラチナに到達したラシードよりもランクは低く、現在ゴールド3。ラシードに関してはまじでポチポチしてただけだから嬉しさはあんまりない。俺は勝ち方にこだわるタイプだったらしい。
相手に押し付ける動きは、勝ちの再現性が高いというのをスマブラで学んだ。キャミィでもこの再現性を早く見つけたい。キーはフーリガンだと思ってるけど、モダンは対空がし易いから対応されやすいかも。なかなか難しい。他のゲームより圧倒的にランクが上がりやすいのでマスターを目指してみたいとは思っている。が、今はオーバーウォッチが面白すぎるので悩ましい。みんなもオーバーウォッチやろう。

ラシードで中アシスト連打しただけ


最近サボってるけど、オーバーウォッチとスト6はインスタントリプレイの機能を使って録画していて、AviUtlで軽く編集してYouTubeに投稿してたりする。オーバーウォッチはいまいち人気がなくて良くて3桁なんだけど、スト6は話題性が高いからかよく再生数が伸びるんだ。ヘイトが集まりやすい本田のやつは8000も再生されてマジでびっくりした。見た目最悪のモダンラシードも500と、コンテンツが盛り上がっているかどうかが大きいんだと実感した。


バイトの話

大学生時点でバイトの話が出てこないのは一般的には不自然らしい。どうやら普通は高校生でバイトを経験しているはずなんだが、俺の母校では校則で禁止だったし、わざわざ違反してバイトするやつもいなかったからだ。なんやかんやで家太いやつ多いし当然である。俺は大学生活に慣れてきたあたりで始めようとか考えていた。

一年の11月辺りから探し始めて、同時期に同じくバイトを探していた例のゲーム仲間の一人と、家から近いすき家に面接を受けに行った。そいつは受かって俺だけ落ちた。面接に行ったのがそいつの1週間後だったから枠が埋まったんだろう。
その次、求人が出ていたかごの屋を狙って電話、オンライン面接を経て落ちた。なんで??? 

チェーン店に何故か二連敗したので、個人経営の店のほうが人の温かみがあるだろうということで、バイトルで見つけた駅から近いイタリア料理屋に電話した。テスト前は休みたいとかを伝えたら「なら無理やね。うちは個人経営で休まれると困るから。」みたいなこと言ってきて、いやまあわかるけどそんな冷たく言わんでもってなった。温かみを求めるほうがバカらしい。どうせバイトだし。

まさかの三連敗を喰らい、なんとなく”社会から求められていない感”を覚えて萎えていた頃に、最近閉店したサイゼリヤのところにラーメン屋の神座ができるらしい、求人を募集しているということでオンライン面接を受け、その日のうちに採用が決定した。初心者歓迎、みんな素人だから安心してと面接の人が言ってくれて心強かったのは覚えてる。
実店舗に行き、まだ完全ではない状態の店の中で店長とエリアマネージャー、共に働くパート・アルバイトの人と軽く挨拶を交わし、ホールの仕事とかの研修を受けた。


いよいよやってきた初日、人生初めての労働とオープン当日の大盛況のコンボ。子供用の皿とスプーン類をテーブルに転かしたり、運ぶ途中で唐揚げ落っことしたりとドジっ子みたいなミスをやりまくった。店長から「空やから良かったけど、熱々のラーメン客にぶちまけて大事になった例もある」と言われたり、客はいっぱい居るしみんな忙しそうなのに妙にやることがなくて浮いてたりしたけどなんとか一日を終えた。これまでに体験したことのない気分。多分、疲労をベースに安心感と無力感をトッピングした感じだったと思う。正直、このあとの出来事が強烈過ぎてあんまり覚えていない。


二日目、初日のゴミさからかホールからキッチンに転向させられ、取り敢えず洗い場で食器を食洗機に入れ続ける役割になった。単純作業ではあるけど、例えば餃子の皿とチャーハン皿は油が多いから一度水で洗い流す、とかニラとかはスポンジで撫でてからじゃないと食洗機が壊れる、とかで結構めんどい。しかもひっきりなしに食い終わった皿はやってくるから、動きがトロくてどんくらい真面目にやっていいかわからない俺では処理しきれなくて、皿はどんどん溜まっていった。

オープンしたてだから、本部のおっさんたちが応援で調理とかバイトへの指導とかやりに来てたんだけど、案の定俺のところにも来た。さっきまでチャーハン作ってた(多分根は良い)人。直接は言わないけど、飲食の洗い場なんてそこそこテキトーで良いってことを示したかったんだと思う。食洗機できれいにした皿を、客の食べカスで汚れたその手で皿置き場に運ぶ、とか。全く持って清潔ではない。飲食ってそんなもん。しかも食洗機も洗い終わったあとの洗剤汁が溜まってるし。みんなその洗剤を美味いっつって食ってんだ。

それはそれとして、この洗い場ってのがまじでキツい。シンクが低くて中腰で作業するから、腰が砕けるんだ。それをおよそ二時間以上。
やっと終わったと思ったら次は調理をしている人の補助みたいな仕事を覚えさせられるターン。大体2~3人前のラーメンを一度の鍋で作るんだけど、白菜とかの具材が偏ったりすると補助がトングで分配するんだ。その後トッピングのチャーシューだのを乗せてってやるんだけど、どれが大盛りで、どれに何を乗せたらいいのかわからん。

原因は明白で、俺が神座のメニューを知らないから。神座で食べたことは無いですって面接のときに言ったんだけど、勿論そんな情報を本部の奴らが知ってるわけもなく、「おい、ボーっとしてんな、動け」と詰められる始末。動けって言われても何したらいいかわかんねえんだもん。正直にそう言ったら「考えて行動しろ」と言われて終わり。考えた結果わかんねえから言ってんだろ。言ってきたのは本部の応援の一人で、さっきのとは違う髪の薄いおっさん。ハゲって呼ぶ。

そのあとまた洗い場行きになって、片付けも込みで一時間近く残業となった。時給は出たけど、遅くなったのはお前のせいみたいな空気出されてまじで居づらかった。


三日目、補助として無能すぎたからかすぐにジョブチェンジ、餃子と唐揚げを作る担当に割り当てられる。餃子は注文が入ったら冷凍庫から取り出し、鉄板の上に並べて蓋を閉めて蒸し焼き。唐揚げはあらかじめ一度揚げをしておき、注文が入ったら二度揚げをするって感じ。一度揚げのストックがなかったら合計揚げ時間+一分かけて揚げ、すぐに提出って流れ。

誰がやってもこんな感じになる(これはフリー画像)

餃子は正直ミスりようがないんだけど、ストックとかイレギュラーの対処とかの概念がある唐揚げがまじでやばい。管理なんてできたもんじゃない。
そして何よりも問題だと思うのが、マニュアルが全く意味を成していないという点。言い忘れてたけど、それぞれの業務にはタブレットで見れるビデオマニュアルがあって、各種料理の作り方、接客の態度、服装の着用方法まであって、まさに至れり尽くせりなんだ。だが、そのマニュアルの通りにやるとだめな事例も現場では存在するんだ。

各種店舗の特徴とかはあって臨機応変にするとかはわかるんだけど、初めての調理場ならマニュアル通りにやるのは自然なことだろう。唐揚げのマニュアルとエリアマネージャーからは、油に入れて揚げ始めたらもう触らない、時間が来るまで放置と教わった。しかし、ストックが無くなったからと一度揚げを作ると、唐揚げたちがくっついてやがるんだ。俺は不思議に思いながらくっついた唐揚げをトングで剥がし、若干赤い肉肌を横目にそれらをストックに入れた。二度揚げで熱は通るからまあ大丈夫だろう、寧ろこういうことが起こるから基本的に揚げは二回やるんだろうとか考えてた。

順調か、ストックはあるかとラーメンを作っていた店長がやってきてチラ見、赤い肉を見てあんたこれお客さんに出すつもりなん?と。いやこれはストックなのでもう一度揚げます。いやそうじゃなくて、本来肉は赤くなるのはおかしいのよ。わかる?みたいなことを言われてるときに、ありえんくらいくっついたもう一つの一度揚げが油の海から姿を表した。店長驚愕。なんでこんなくっついてんの!?剥がさなあかんねで!?と。

一度のフライヤーに4つくらいじゃないと
こんな綺麗にはならない(これはフリー画像)

聞くところによると、一度揚げの唐揚げはくっつかないように油に入れて一分ほど経ってからトングで油の中の肉を動かさなければならないらしい。まじで初めて聞いたわ。人によってやり方が違うのやめてほしい。誰の言う事聞けばいいんだよ。そのためのマニュアルじゃねえのかよ。誰にぶつければいいのかわからない怒りと、俺って仕事できないのかなって思い始めたと思う。餃子場の片付けがまじで終わんなくてこの日も40分くらい残業。きつい。

精神的にも過酷だった


ついに迎えた運命の四日目、今日も餃子と唐揚げ。餃子はもう何も問題ない。唐揚げの効率を高めていくのと無事に今日という日を終えることを目標に頑張った。昨日よりは幾ばくかマシに仕事ができ、日々成長だなあと思っていたときに事件は起こった。

営業終了時刻が近づき、3つある餃子の鉄板のうち、一つを早めに片付けていた。さっきも言ったけど、鉄板は蒸し焼きをするように設計されていて、蓋を閉めると鉄板上に水が噴射、高温の鉄板でジュワっとなり蒸される仕組み。この”蓋を閉める”というのが水が噴射されるトリガーとなっている。

さて、そんな餃子場の片付けなんだけど、蓋を取り外してスポンジで洗い、また取り付ける作業が俺は若干の苦手意識を覚えていた。蓋がうまくつかないんだ。
ドアの鍵に使われるサムターンに似た形状の取り付け金具がうまく噛み合わず、ついたかな?いやついてない。今度はどうだ?ダメか。って試行錯誤していると、2秒くらいついていたはずの蓋が何かの拍子で外れ、落下した。

サムターンがハマりきってなかったのだろう。落ちた鉄板は、運悪く奥に存在する蓋を閉まったことを感知するトリガー部分にバッチリハマる。トリガーは作用し、鉄板上に水が噴射された。当然この作業は鉄板上で行っているため、水は熱される。俺は鉄板付近で蓋を持ち支えているため、手前が半開きになった俺の指に超高温の蒸気が襲いかかる。

突如襲った指先の熱さに驚きつつも、ここで手を離すと蓋が床に落ち、また洗わなくてはならなくなる上に、盛大な落下音が店全体を包み迷惑をかけるだろう。
熱い。
蓋が床に落ちないように奥目にずらして、
熱い。
不安だから横にずらして、
アツイ。
落ちないことを確認してああああああああアッッッッッッチチチチチチチチ!!!!!!!!!!!


熱い、痛い、痛い、熱い!絶叫に近い悲鳴を上げながら小走りで水道に向かう。他に何も考えられない。熱い!洗い物をしている人から水を奪い指を流す。痛ッッッッてぇ!これお湯じゃねえか!

事態を察知した店長とエリアマネージャーが声を掛ける。洗っていたバイトの人は何が起こったかわかっていない。俺は自分でお湯から水に切り替えて指を冷やす。痛すぎる!耐えれなくて流水から指を離す。熱い!ヤクザみたいな風貌の本部の人が氷水の入った容器を持ってきた。形だけの感謝を述べて手を浸す。痛い!耐えかねて手を出す。余熱でまた熱い!

水にいれると痛い、入れないと熱いという状態でもうパニック、盛大に腫れ上がった自分の指を見た以外の記憶がない。ただ一つ言えるのは、その後洗い場の掃除を1時間ほど残業したこと。配慮というものはない。

業務を終えて店長やおっさん共と着替えながら指どんな感じやって見せて、水ぶくれやなあ、とか今まで火傷したことないんかあ、とか面白そうに言われたことは覚えている。エリアマネージャーは水ぶくれを潰さないように、風呂は辛いぞ、などアドバイスをくれて心配してくれてるんだなあと感じた。店長やヤクザさんも同じ感じ。ところで余裕がなかったけど水ぶくれツンツンしてきたハゲ、お前は絶対◯す。

病院に行こうにも既に日付を越えようとしている時間。救急外来しかないだろうし保険証を持ち歩いていなかったから家に帰るしかない。ゴネたらいけるとは思うけど、そんな考えは痛すぎて及ばなかったし、俺の知ってる最寄りの病院より家のほうが近いからとりあえず帰宅することにした。

帰り道の夜風がクソ痛くて、痛風かと思った。何より風呂がやばくて、入ったはいいものの激痛でマジで何もできなかった。頭にシャワーを流すだけ流して終わらせた。頭から落ちる水滴が指に落ち、痛いと呟いているとトイレで起きた親が俺に気づいた。ガーゼを巻かれ、髪を乾かしてもらい、明日病院に行くと決めその日は寝た。

やけど当日 一番モロに食らった右手小指
左手 このときは指が変色してるだけだった
三日後 小指以外もぷっくり
左手もぷっくり

その後、労災に該当するので店長にLINEで労災の申請書類を用意してほしいと伝え、了解された。二週間ほどバイトを休むことを伝えた。休む場合は代わりを自分で探す必要があり、従業員のLINEグループから学生っぽい人にはじめまして突然すみませんこの日のバイト変わってくれないでしょうかってコピペしまくった。だるすぎる。従業員の管理すらできんのか。

二週間後、まだ水ぶくれは引いていない箇所があるものの休み続けるわけにもいかなかったため嫌々ながら出勤、またしても餃子と唐揚げだった。同時に手が空いたら洗い場もやれとのこと。どうやらこの配置が普通らしい。俺が長い間休んだからか、どこか風当たりが強かったことを覚えている。

完治する前に復帰したせいかちょっと悪化した右手

業務終了後、店長に労災の書類を受け取ろうとしたところ、「なにそれ?」とすっとぼけ。おいLINEで言ったし了解もしてたやろふざけんな。あーなんかそんなこと言ってた気もするなみたいな態度をされてむかついてたら、この店舗はオープンしたてだからかプリンターが無く、同じ県内の店舗に印刷をしに行く必要があるとか言い出した。

正直こっちからしたら知ったことじゃないので、お願いしますとだけ言うと「じゃあ山田くんのためにわざわざ印刷しに行ってあげるわ」と返答された。喋るのも疲れてきて「はい、お願いします」としか返せなかった。

すぐに言語化できなかったから言わなかったんだけど、どう考えても今の”わざわざ”という言い方は従業員のことを思っている人から出る発言じゃない。「仕事できやんやつのためにめんどくせえ…」って感情が言葉に出てしまってるのがゴミ。思うのは自由だけど態度で出しちゃだめだし、こいつはバイトのことをただの労働力・人的資源としか思っていないんだろうなって思った。相変わらず俺は仕事できないし、それを感じさせるような空気を感じるし、ハゲはクソだし、店長もカスだし、もう無理だ。その日のうちに今決まってるシフトいっぱいで辞めることを伝えた。


辞めると言った次の出勤日、洗い場をしながら餃子と唐揚げの注文待ちをしていると、餃子のオーダーが入った。流石に慣れてきたので、オーダーのコールを聞き、すぐに餃子場に戻ろうとしたところでエリアマネージャーが「餃子1入ったよ~!」と教えてくれた。俺はそのオーダーが聞こえている、ちょっとは成長しているということを示したくて、「今やろうとしてたところです!」と答えた。サムズアップのジェスチャーとともに「OK」と返答をもらって、少しだけ認められたような気がして嬉しかった。退職時に「もうちょっと頑張ってみない?」と引き止められたりするくらいになったら良いなとか思った。残留する気はさらさらないけど。

そのちょっとあと、バックヤードにゴミを出しに行ってと頼まれ、一瞬腰を伸ばしてから戻ろうとした。ちょうどバックヤードから戻りドアを閉めた時、「…今しようとしたところですって、仕事できやんやつの言うセリフ(笑)」「www」と聞こえてきた。声の主はエリアマネージャー。同調してわろてんのは店長とハゲ。そこ二人がカスなのは知ってたけど、お前もカスやったんか。最後の砦、唯一のまとも枠だと思っていたのに。

思わず膝から崩れ落ちそうになったが、これではっきりした。ここは紛れもなくクソであると。もう誰も信じない。二度と「今やるところだった」なんて言わない。とっととやめてやる。決まってるシフトも全部飛べばいい。仕事できないやつがいなくなっても変わらん、むしろ清々するだろう。
そうだ、どうせ辞めるなら精一杯迷惑をかけて辞めてやろう。決意を固めた一日だった。

終了後、店長が”わざわざ”用意してくれた労災の用紙を受け取った。が、帰って確認したらそれは労災に提出するものではなく神座本部に提出する報告書的なもので、公的な提出用紙ではないことが判明。話ちゃんと聞けよボケ。テキトーにいなすな。

ぐぅ無能


腸煮えたぎってもうなんかせずにはいられなくなった俺は、色々考えて最もクソ度が高かった店長に対して一番効くことをかましてやろうと思った。どうやら店長はさっき言った県内の店舗で店長をしており、25歳という若さで新店舗であるこの店舗との掛け持ちをしているらしい。若きエースの評価を落とすために、俺に実現できそうな手早く効果的な手段を考えた結果、”偉い人にチクる”だった。


後日出勤日、すでにシフトが入っていた今日とそれ以降も働けない、ブッチすると堂々宣言するために店に向かった。出勤と同じように休憩室に入り、普段使用している無線で店長を休憩室に呼び出す。エリアマネージャーが応答した。今日は店長は休みとのこと。丁度いい、ついでにお前に陰口言われたことも直接言ってやろう。

決まっていたシフトいっぱいで辞めることを撤回し、今日のも含め全部ブッチすること、店長の態度、エリアマネージャーの陰口、労災の対応の悪さなど全部直接対面でぶつけた。
録音した音声を貼るのはやり過ぎだと思うからやらないけど、ざっくり言い分としては「(陰口に関して)俺はそんなこと言ってない、勘違いで人を悪者にするな」「店長の”わざわざ”に関して真偽は不明だが、事実なら余計な一言だとは思う」「労災の対応の杜撰さも不信感を抱く気持ちはわからなくはない」ってところ。自分の落ち度に関しては発現量と語気の強さを使って俺に非を認めさせて自衛、客観的に判断できる店長とのやり取りに関しては一定の理解を示すって感じ。(主観的な表現が含まれます)

まあ色々ごちゃごちゃ言われたけど、最終的に納得というか、働く気がない以上引き止める義理も無いので、見事ブッチすることに成功した。

(流石に公開はやり過ぎかもしれないとチキる)

その後店長がどうなったのかは知らないしぶっちゃけどうでもいい。退職届とかも代筆が効くということでその日以来顔を出していない。いつか様子を見に行きたいと思ってる。ゴールデンタイムでも割とガラガラらしくこのままなら潰れるんじゃないか。潰れる前に行かないとな。



そんなこんなで俺の初バイトは散々な結果に終わった。
そっからしばらく無職で過ごし、金がどんどん無くなり始めてまずいということで家から徒歩5分のローソンでバイトを受け、土日に入りたい俺と土日の人員が不足していた店とでちょうど需要と供給が合致して採用された。

時給は930円と低いけどその分仕事量は少ない。よくコンビニは大変って言われるけどまじでそんなことなくて、客がいない時間は基本暇だし、業務も種類は多いかもしれないけどやること自体は単純で覚えさえすれば俺でもできる。
何より人間関係が良い。この日は休みますと言えば代わりなんて探さなくても二つ返事でOK、店長がLINEでアポ取ってくれるし、いけますって答えれば感謝される。
当たり前なんだけど、従業員の代わりを探すのは本来雇い主側の仕事なんだ。見つからなかったら店長がケツを拭くだけ。代わりを探せ、は法律的にちょっと怪しくなってくる部分らしい。ただこれをちゃんと明記すると、まじで上を目指す意味が無くなるだろうなとは思う。年末年始とかで見つからなくてケツを拭いた結果、36時間連続勤務とかないこともないらしいし。
従業員同士の関係もいい意味で希薄で、基本同じ時間か交代時に顔を合わせてお疲れ様です程度で済むのがマジで楽。できる限り長く働きたい。

前陳の歌がまじでジャンボリミッキー

ところで

ここまで書いてきて、この二十年間のすべてを書いてきたつもりではあったが、その割に文字数があまりにも少ないということにそろそろ気がついて来る頃だろう。これは俺が長い文章を書くことができないという理由ではない。文章にかけるレベルの話が”たったの”これだけだということだ。正直言って、これは由々しき事態である。

俺は以前から、「人生は一冊のアルバムに例えられる」という持論を持っている。アルバムに貼られている写真を見て記憶が蘇るかのように、自分の中で思い入れが強い一場面は意識せずとも写真、ひいては動画のように鮮明に残っているという理論だ。そして俺は「そのアルバムのうち7割以上のページは学生時代で埋まる」という説も同時に提唱している。大人になるとそれまでに経験したことが増え、物珍しさがどんどん減っていくため、感受性が低くなっていく。そのため、目新しさを感じにくくなり、記憶に残りづらい生活が増える。そうなると、自動的にアルバムにその大人になってからの写真の枚数は少なくなる、という理屈である。両極端なトンデモ理論を展開しがちな俺にしては筋の通っているものだと感じているが、その説を提唱している人の人生の濃度が薄すぎるのである。

まだ半分も埋まってない

そういえばこれまで彼女の話とか無かったな。性の経験も無かったな。部活もやってなければ受験もまともにやってない。これはおそらくだけど、普通の人はネタが一本完成するくらいの武勇伝を持ち合わせているのだと思うが、悲しいかな俺はそんなカッキーンな話を持っていない。
女性関係でいえば、全く弁明にならないが彼女いない暦=…な人ではない。が、あれをカウントするのは余りにも苦し紛れすぎるしみっともない。しかし確実に振り返る必要があるため、敢えてここでは触れずに別タイトルで書くつもりだ。

現在(20歳と4ヶ月)

今、俺史上一番の危機に瀕している。書きながらトイレで悶え苦しんでいる…とかではない、もっと規模の大きい話(絶対未来から見ればしょうもないレベル)。ひとえに、アイデンティティが無いことである。
もともと俺は他の人とは違う、普通じゃないことに対して、本当に気づいてはいなかったが憧れていたんだ。だから中学受験をしたし受験校を一本に絞ったし自分から進んでオタクになったしそれを継続したし勝手に人を犯罪者予備軍呼ばわりして関わりを断ち切ったし転売は悪ではないと主張したし将来を見据えたフリをして普通じゃない大学に進んだし他人に興味がないと判断して孤立の道を歩んだ。だがそれにはあまりにも大きすぎる代償が伴っていて、気づかぬ間に自分を蝕んでいた。特に最後の孤立の道に関しては致命的すぎた。

そもそも俺は、というか人は自分が人から必要とされていなければ生きていけないんだ。形は何でもいい。面白い、優しい、都合の良い、同じ趣味、安らぐ、過去との繋がり、強さ、尊敬、義務___目立ちたかったんだ。嘘と思うかもしれないけど、絶対そう。でも俺にカリスマ性はなかったし、当時もそう思った。だから、人と違うことをして、カリスマ性を手に入れたかった。一目を置かれたかったんだ。でも、方法を間違えてしまった。方法を間違えた人は世の中にいくらでもいるけど、多くの人はその間違いに気づき修正する。でも俺は本当に心からカリスマになりたくて、”敢えて”それを修正せず、貫いた。

気づけば俺は一人になっていた。とうとう目標を達成した。他の人とは違う存在になったんだ。もう誰も俺と同じ者はいない。ついに成し遂げたんだ。でも、そこに戦場はもうなかったんだ。
土俵入りしていない力士に誰も興味がないのと同じ。オリンピックに出れなかった選手を世間の人は知らないのと同じ。そして人生を賭けて戦っている彼らとは違い、なんの努力もしていない俺に誰が興味があるのだろうか。いや、ない。誰の眼中にも無い。別にいなくても変わらない。なんかいるだけ。居て困りはしないけど、いなくてもいい。セルフ消しゴムマジック。
そんな存在に俺は成り下がってしまったんだ。心の中の粗品が叫ぶ。
「お前の事誰が好きなん?」

俺は自分が嫌いだ。
正しくは、ネガティブになっている自分が嫌いだ。何かの妙か、現実に気づいてしまった、節目界でナンバーワンの20というアラビア数字。抱いていた幻想とはかけ離れた現実。薄すぎた人生経験。晴れそうにない闇に絶望している内心の俺を、イタすぎると客観視する俺が遠くから見つめる。

俺は自分が嫌いだ。

いつか自分のことが好きになったときは、20歳の俺を思い出すことなく、そのまま今の自分を好きであり続けることを心から願う。



追記:上記を書き終えた後の話

もうすぐ夏休みが終わろうとしている9月上旬、いつものメンツで大阪の難波へ飲みに行くことになった。俺はアルコールの味があんま好きじゃなくて、家や出先で飲むことがないんだけど、友達と会話しながら飲むとかで美味しさとか楽しさがわかるかもしれないとも思ってたから参加したんだ。

8%のレモンサワー2杯と冷やの日本酒おちょこ1杯(味が美味しくなかった)を飲んで、正直酔っ払ってはないけどこれ以上飲むの怖いなってくらい。全く飲めない体質ではないってのがわかって良かった。
でもこっからがおもんなくて、いつもの風俗行くやらお前が行けだのチキるなとかそういうお前はどうやとかで、どうせ行かないのに風俗屋の前で言い合うつまんねえ流れが(また)できたんだ。おもんねえなって思いながら時が流れるのを待ってたんだけど、一人がさっきのとこで日本酒3杯飲んで、その後貰いタバコ2本吸わされてでまともに立ってられなくなり始めたんだ。

タバコという悪魔がトドメを刺した

普通の人間ならそいつが落ち着くまで介抱して、無理そうだったら家まで送り届けてってすると思ってるんだけど、20分くらい水飲んで吐け、そしたら治る、治ったらもう一軒行くぞ、とかのやり取りをしてたんだけど、それに飽きたのか、収まるまで待とうとした俺とそいつを放置してどこかへ行ってしまったんだ。
そっから更に20分くらい、立ち往生。落ち着いてきたそいつのスマホには、そいつと同じ最寄り駅で前々から凸しに行こうと言っていた別のやつの家向かうから合流しよう的なことがLINEで送られていた。

ダウンしたやつを放置なんて俺にはできない

電車に乗って家まで送り届けつつ、例の家に凸したらそこには家主だけが一人。なんで一人なんや、お前ら一緒に飲んでたんじゃないのか、なんであいつらおらんのや、どうなってんねんと電話したら難波で二軒目行ってるとのこと。

俺は正直潰れたやつを放置した時点でどうなんって思ってたけど、残った俺らに間違った情報を流して自分等だけでまだ楽しんでるって事実を知って、呆れというかなんかもう意味わからんくなった。友達と一緒なのに身の安全が保証されてないってマジで何?やってること普通にありえねえだろ。

というか、俺とあいつらで酒に対する価値観があまりにも違うんだと思う。俺にとっては酒で吐くってのはやばさレベル2くらいで、全面的な介抱が必要で、一人いればそれでいいわけじゃない。皆で安全に送り届けるまでそれ以上の活動は一旦停止。レベル3は素人で対処できない、医療の力が必要って認識。でもあいつらは酒=吐くっていう方程式があるのか、吐くことをやばいことと認識してないんだと思う。多分、自分や同行者が飲みに行くたびに吐いてるからなんだろうな。アイコスは体に悪くない、みたいな理論と同じ。酒で吐くことに慣れすぎている。

何が怖いって、置いていった三人の中に
急性アル中で搬送された経験あるやつがいるところ
いや、むしろ”イカれている”から
「搬送されないくらいなら大丈夫」って認識かもしれない

これは俺が飲みに行くのが初めてだからその辺の感覚が違う可能性がその時はあったんだけど、帰宅して親にその話をしたら薄情な奴らやなと言ってたから自信を持って言える。俺は間違ってない。人として正しいことをしたと思うよ。俺によくやれサイコパスだの、人の心がないだの、壊れてる、イかれてるとか散々言ってくるが、そういうお前はどうなんだって思う。だから悪人って言われるんやぞ。何にせよ、身の安全が保証されない以上あいつらの前で酔い潰れられねえ。怖すぎる。



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