歯医者に通う、という名のラブレター
歯医者に行くことは、私にとって「愛を受け取ること」である。
「目と歯は大事にしないと、って言うでしょ。
俺の周りにも後悔している人結構いるんだから。
やまりにはそうなってほしくない。一緒に行くから、歯医者はちゃんと通おう」
夫に諭され、歯医者嫌いの私は今年20数年ぶりに歯医者に通うようになった。
正確には、2年前にも通い始めようとしたのだが挫折した。
その時も夫が付き添ってくれたのだけど、定期的に歯医者に通う夫は1,2回の通院で済むのに対し、私の治療は終わりの見えないトンネルだ。1人で通うのが怖くて怖くて、都合が悪く次の予約を入れられない日があったのを機に、フェードアウトしてしまった。
診察台に上がるといつも肩はガチガチに縮み上がり、手は小刻みに震える。
タオルで閉ざされた視界。得体のしれない機材の音。よく分からない暗号で会話する医師や歯科衛生士。
自分は今から一体どんな機材で、一体どんなことをされるのか。倒された椅子に寝そべる私はまな板の上の鯉だ。つま先から頭の先までしとしとと恐怖が覆いかぶさってくる。
あげく、自分の口内ケアすらまともに出来ないことを心底恥じているのに、その口を大きく開けて歯のプロに見せないといけない。宿題をせずに登校した時のような気持ちで、歯科衛生士の一挙一動に怯えてしまう。
それでも「行かなきゃ行かなきゃ」とは思っていたのだけど、時間だけが過ぎていった。ついに歯医者から「治療が完了していないですよ」というハガキが届き、あろうことかそれを夫が受け取ってしまった。
「これ、どういうこと?」
と、私が治療完了まで1人で通ったと思っていた夫に問い詰められる。
「だって怖いんだもん!」
と、なるべく大きな声で威嚇するように私は言い返す。
呆れた夫は私の代わりに歯医者に電話して予約を入れ、自分は予約がないのに私の通院についてくるようになった。
私が逃亡しないように歯医者で受付をするところまで見張り、治療が終わるまで近くで時間をつぶす。そして帰り道にはご褒美として、いつも大好きなミスドでドーナツを1つ買ってくれる。
子供のようだ、と自分でも思う。
実際、歯医者に関する私の時間は、子供の頃で止まっている。
最後に私がちゃんと歯医者で治療を受けたのは多分小学校低学年の時だ。
父が歯医者に行くからと、ついでに連れられて行った。
以前兄が抜歯した時にすごく痛がっていたのを思い出し、「歯を抜くのだけは嫌だ!」と道すがら父に何度も懇願した。診察台に上がると、目の前で医師と父が治療方針について大人の言葉で話す。その間の恐怖といったらなかった。
大した虫歯ではなかったのか、その時は少し削られただけで済んだ。
だけど、削る時のしみるような痛みと、大人の会話によって自分の運命が決められてしまう恐怖と無力さだけは記憶に残った。
幸いその後、学校の健康診断で歯を指摘されることもなく高校卒業まで過ごした。
おかげで私は虫歯とほぼ無縁で育ち、「自分は歯が丈夫なんだ」と変な自信を持って大人になってしまった。
やがて家を出て一人で暮らすようになり、私はあることに気が付いた。
私は「人の世話はできるけれど、自分の世話は全くできない人間」だった。
端的に言うと、私は自分に与える愛を持ち合わせていなかった。
自分の部屋を綺麗にし、生活環境を整えること。
おしゃれをして、好きな服や小物で身を包むこと。
お風呂に入って歯を磨き、体を清潔に保つこと。
健康的な食事をして、自分の体調に気を配ること。
これらは全て、ある種の愛情表現だ。
明日も明後日も幸せでいたいから、自分を大事にし世話をする。
みんないとも簡単にやっているように見えるのに、いざ自分が大人になるとこれほど難しいことはなかった。
せめて、本当は歯だけでも大事にすべきだった。
お風呂に1,2日入らなくても家にいるだけなら大して困らないし、多少不健康な食事をしてもダイエットすれば良い。でも、28本という多いようで少ない人間の歯は、サメと違って一度抜けたら生えてはこない。
もちろんそんなこと、ずっと分かってはいた。
ただ、自分へのラブレターを書こうと何度ペンを握っても、何一つ言葉が出てこなかったのだ。
そんな一人ぼっちの年月が過ぎ、夫が現れたことで私の人生は一変した。
「やまりにはそうなってほしくない」
冒頭の夫の言葉は、現在の私だけでなく将来の私まで大事だと暗に言っている。
私は考えを改めた。
ドーナツで私を釣ってまで歯医者に行かせるのも、用もないのに受付まで毎回ついてきてくれるのも、まぎれもなく夫の愛だ。
小学校の時「お父さんが行くから」と私をそれとなく歯医者に連れて行ったのも親の愛だ。そして私が長いこと自分を大事にしなかったのも、本当は自分を愛したくてたまらなかったからだと今では思う。
歯は、一生ものだから。
将来の幸せや豊かさにも繋がるから。
未来のあなたも、大切だから。
痛みと恐怖でいっぱいの歯医者の裏には、本当はいつもたくさんの愛が隠れていた。
私がポストを開けていなかっただけで、そこにはラブレターが溜まっていたのだ。
長年の不摂生により、私の歯の状態はあまり良くないらしい。
今までのことを思えば当たり前だから、その事実はもう受け入れている。
でも今の私は、昔の私とはもう違う。
毎日時間をかけて、丁寧に歯を磨く。
歯磨き粉や歯ブラシを色々試しお気に入りを見つける。
歯科衛生士が勧めるフロスや歯間ブラシを揃える。
ピリピリしない愛用のマウスウォッシュを使う。
少しでも長く健康な歯でいたいと願う。
これもまた、愛情表現だ。
愛に気づき、受け取ることができるようになった私は、自分にも愛を贈るようになった。大事だと言ってくれる人のためにも、自分の体を、歯を、つまり人生を、大事にする。
過去は変えられない。そしてどれだけカッコつけたところで、歯医者への恐怖も消えはしない。それでも明日も明後日も幸せでいたいから、自分を大事にし世話をする。
それがラブレターへの返信にもなるからだ。
そう自分を奮い立たせ、今週末もまた私は夫と歯医者に行ってくる。
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