新婚の頃、2つの工夫で夫婦仲がさらに良くなった話
うちは夫婦仲が大変よい。
人にもよく言われるし、自分たちでもそう思う。
それでも、最初は少しだけ苦労もした。
卵焼きはしょっぱい派か、甘い派か。
看病はしっかりする派か、頼まれたらする派か。
牛乳パックの口はとめる派か、とめない派か。
家事はまとめてやる派か、こまめにやる派か。
一緒に住み始めると小さな違いがたくさん出てくる。今までの「普通」が相手には通じない。お互い結婚するほど通じ合ってると思っていても、だ。
そんな新婚最初の壁を乗り越えた時の、私の個人的な経験のお話。
このままじゃ良くない、という予感
夫はとても気が合うけど、出身地域も家庭環境も全然違う人だった。
結婚当初、ほとんど家事をせずゲームに夢中な夫を見ながら、私は「さて、どうしようかな」と考えていた。
こういうのは絶対に最初が肝心だ。
我慢して何でもやってあげたらそれは一生続く。かといって「何でこうしてくれないの?」と感情をぶつけるのも良くない。「うるさい妻とイヤイヤ従う夫」という関係性ができ上がったら、それも一生続いてしまう気がした。
あれこれ考えた結果、私はそれとなくコミュニケーションのとり方を変えてみた。ほんの少しだけ。
何の準備もいらず、今すぐ実践できる内容だ。結果、簡単な方法だったのにみるみる結婚生活のモヤモヤは減っていき、今や夫は私以上に家事をするようになった。
主にこれから同棲・結婚する人に向いている内容になるかもしれないけど、誰かの参考になることを願って今日はその2つを紹介しようと思う。
補足として、うちはお互いフルタイムの共働き子供なし夫婦。
① 結婚相手はお互い外国出身だと考えよう
最初に言っておくと、夫も私も日本で生まれ育った日本人だ。
偏見だけど、日本は島国で独自の文化や言語があるからか「日本人ならこれが当たり前だ」とか「言わなくても分かるはず」と思いがちだと思う。
でも実際北海道と沖縄じゃ方言なんて全く違うし、もちろん文化も全然違う。話をそこまで大きくするまでもなく、家庭一つ一つも小さな独立国家のようなものだ。
お母さんが強い家、お父さんが強い家。
過保護な家と放任主義な家。
ゲーム禁止な家、お菓子禁止な家。
似た家庭はあっても、全く同じ家庭はない。
文化が多少似た国はあっても、同じ国は一つもないのと同じように。
二人の人間が否定し傷つけ合うということは、国同士だったら戦争になる。
だから日常生活で出てきた小さな違いに気づいた時、「普通はこうするでしょ」とは絶対に言わないようにしようと決めた。
代わりに冗談っぽく、こんな表現を使うことにした。
面白いと思ったのか真意に気づいたのか、夫も同じように返すようになった。
外国には違う文化がある、ということなら誰もが知っている。だから、夫婦として一つになったとしても「お互い違う」という前提の認識を作ろうと思った。
「私の国」と言うと、不思議と「うちの実家じゃこうだった」よりも角が立たないし、「別の国だから違うのは当たり前か」と腹落ちしやすい。そして違うので知ろうとしたり、理解しようと努めることもできる。
結婚から1年くらい経つと、自然とこのフレーズは言わなくなった。
多分、すり合わせを重ねた結果私たちは一つの国になれたのだと思っている。
② 褒められたいなら自己申告しよう
私たち夫婦はとても褒めあう。
そして褒められるために、やたらと自己申告する。
そのレベルのことをお互い毎日報告し、報告されたら「すごい!」「ありがとう!」「もしかして天才の方ですか?」と褒め倒す。減るもんじゃないし、褒められて嫌な人はいないからポジティブな循環が生まれていく。
そして、これには他にも3つの効果があると思っている。
効果1) 「家事をしてもらえる」を既得権益にしない
「家事は相手がやって当然だ」と思っていた場合、即座に「ありがとう」と返すのは難しい。「なぜお礼を言わないといけないんだ」と思うだろう。
つまり、「家事をしてもらえる」が既得権益になってしまうのだ。
これもまた、夫婦どちらかの意識に住み着いてしまったらずっと続く。
だから私はニコニコとやった家事を報告し「褒めて」と夫に言うようにしてみた。すると夫は褒めてくれ、夫も家事をした時は報告してくるようになった。もちろん私も褒め称えた。
住宅で暮らす以上、誰かが家事をすることは「当たり前」だ。
でも「相手が家事をしてくれること」は当たり前ではない。
「ありがとう」という言葉は「当たり前じゃないことをやってくれた」と相手を認める意味を持つ。褒め合う空気を作ることで、うまくそれを刷り込むことができた。
あと、感謝の言葉はたまにだと照れくさいから毎日言おうぜ、ということでもある。
効果2) 返報性の法則で自ら家事を探すようになる
そうして暮らしていると、たまに「あれ、最近褒めてばっかりかも」と焦りの感情が湧くことがある。
褒めてばかりで自分が褒められていないということは、家事の比重が相手に偏ってしまっているということだ。ギブアンドテイクのテイクばかりしている状態。最近よく聞く「テイカー」だ。それは良くない。
すると自然に「自分も何かお返ししなきゃ」と思いできることを探すので、家事が片付いていく。
効果3) 名もなき家事を言語化できる
「できることを探す」というのは、ゴミ箱の袋を取り替えるとかトイレのタオルを交換するとかその程度でもいい。何でも褒め合うシステムになってるので大丈夫。
家事と聞くと「掃除」「洗濯」のような大きな枠で捉えがちだ。でも一言で言える割にそこにはたくさんの手順や作業、つまり「名もなき家事」が含まれる。
だから「何の家事をしたのか」ではなく「何の作業をしたのか」を報告しよう、ということである。
「掃除をしました!」だと具体的に何をしたのか伝わりにくく、負担が大きくて億劫になる。でも「コンロを拭きました!」「洗面台を拭きました!」なら、何をしてくれたのかイメージがしやすく、何が終わっていないのかも分かる。
「じゃあ自分はキッチンのシンクを掃除するね」とか「床にクイックルをかけるね」と提案もしやすい。こうして私たちは名もなき家事を言語化することで、家の中を円滑に回すことができるようになった。
最後に:新婚時代に重要なこと
結婚は、2つの国が一つになること。
だけど、「片方の文化にもう一方が従う」のでは歪みが生まれてしまう。だから結婚の初期段階においては「1つの新しい文化を作り上げていくこと」を大事にしたい。
結婚したては「この人とならきっとうまくいく」という幻想を抱きがちだ。でも、最初のこうした地味で小さな数々の擦り合わせや話し合い、つまりは「文化作り」があってこそ本当の「うまくいく」に到達できるのだと思う。
ただ、私の話はたまたま夫との生活では成功したものの、全ての家庭でうまくいくとは思っていない。
性善説に基づくし、大前提としてお互いが対等であるという意識や関係性が必要なので、そこから始めないといけない人もいるだろう。結婚する間柄ならどの夫婦も対等であってほしいけれど、理想論であることも分かる。そして、こんな工夫がいらないくらい相性バッチリな夫婦もいるだろう。
お互いの性格も重要だ。
夫は根っからの末っ子で、典型的な褒められて伸びるタイプだから楽だった。私も妹として育ち、夫とは友達に近い関係性だ。
最後に、先ほど書いたように一つとして同じ国はない。
皆さんの楽しく幸せな国作りを祈って。