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20歳まで自分の好きな色を知らなかった私が29歳で髪をピンクに染めるまで【前編】

私はピンク、厳密にいうと赤とピンクが大好きだ。
だから髪の毛もピンクに染めている。

「ピンク髪の女性」と聞けば、多くの人は10代や20代前半の女の子や原宿にいるような子を想像するだろう。だけど私は30代半ばだし、初めて髪をピンクにしたのは29歳の時だった。

これは20歳まで自分の好きな色すら分からなかった私が髪の毛をピンクに染めるまで、そしてやりたいことがあれば何歳からでもやっていいと気づくまでの、世界をまたにかけた大冒険のお話。


ピンクが好きだと気づくまで


私は大学時代までどちらかというとずっと地味な優等生もどきで、あまり化粧や髪色、ファッションで自分を表現するタイプではなかった。そして、自分が好きな色を知らなかった。

初めて「"好きな色"を選んだ」のは7才の時だ。
Nintendo 64のコントローラーを買ってもらえることになり、その少し前に「緑色は目に良い」とどこかで聞きかじったので緑色を選び、自分の好きな色ということにした。

まるで好きな人ができたかのように、「好きな色」が出来たことに気を良くした私は、家族や友達に「私は緑色が好きなんだよ」と得意げに触れ回った。でも実際は、緑色は好きでも何でもなかった。ただの勘違い、思い込みだ。緑色のアイテムを揃えたことなど後にも先にも一度もない。

その次は茶色だった。
中学生だったある日、茶色の服を買い何となくしっくり来たことをきっかけに、私は茶色の服をよく着た。家族の評判はまぁまぁ良かった。今思うと絶対に似合ってなかったのだけれど、一種のマイブームだったんだと思う。

高校時代は誰かに「肌の色に合う」と言われたのでオレンジを着てみたり、また緑に回帰しかけたり、着やせする黒を選んだりと迷走した。

***


色彩のラビリンスで彷徨う中で、高校3年の時に私はあずき色のジャケットと出会った。ジャケットだけど、グレーのパーカ生地製の取り外し可能なフードがついている。この服のことを私はやたらと気に入っていて、着ると人にもやたらと褒められた。

私はついに「赤系こそ私の正義色だ」と気づいたのだ。

あずき色は今も大好きで、どうやら曾祖母の好きな色でもあったようだ。どういう訳か、そういった色の服を見るとビビッときて心がギュンとなるようになった。

好きな色は「選ぶ」ものではない。感じるものだ。
そしてあらがうことなどできやしない。

そうこうして大学に入学すると、私は赤ばかり着るようになった。どれくらい赤ばかりだったかというと、帽子から服からタイツから靴まで赤いものを持っていたので、ハロウィンに全部身につけて「赤ちゃん」の仮装をしたくらいだ。

念のため言っておくと、常日頃から全身真っ赤だったわけではない。メインカラーが赤だっただけで、赤の濃淡は様々だったし白や茶色や黒などと合わせてコーディネートしていた。

気づけば私は「赤が好きな人」と人から認知されるようになっていた。


ピンクが似合うねと言われた日


その頃にはピンクももちろん好きだった。なんなら「好き」なんてものではなかった。

歯磨き粉でも歯ブラシでも、「ピンクであるかどうか」で選んでいた。欲しいものがあっても、ピンクがなければ買わないくらいだ。

だけどピンクや花柄の服だけは避けていた。
ピンクは、恋焦がれても決して抱きしめることができない相手でもあった。

両親が昔から、私が女性的な服装をするのを嫌ったからだ。スカートやフリルを見るやいなや「そんなチャラチャラした服着て」とか「好きじゃない」とはっきり言われた。私はその言葉にずっととらわれていたのだろう。

緑や茶色、赤なら家族にとやかく言われることはない。
でもピンクは「似合わない」と言われ、傷つくような気がしていたのだ。

***


転機が訪れたのは21歳の時だ。
大学でイギリスに1年間留学していて、渡航後のオリエンテーションの一環で他の留学生たちと街を散策し、ショッピングモールに行った。

そこで服屋に入り、私はとあるトップスに心奪われてしまった。
Tシャツ生地で出来たベストのような服で、正面の切り込みがおへそ近くまで深く入った個性的な服だった。色はベビーピンク。

デザインがあまりにも気に入り、ハンガーを手にとって眺めていたところ留学生の女の子が一人私のところに来て「何か気に入ったものはあった?」と尋ねてきた。

私は「これ、すごく気に入ったんだけど…」と服を自分にあてて見せた。すると彼女は目をチラチラと服と私の顔の間で往復させ、こう言った。


"You have to buy it. It's your color."

絶対買った方がいい。色があなたによく似合っている。


私は「It's your color.」という表現に、雷で打たれるような衝撃を受けた。
ピンクは私の色だったのか。私はピンクを着てもいいし、それをとがめる人もここにはいない。日本から約9,500km離れるまで、私は気づけなかった。

イギリスではその後、花柄のタンクトップも買った。
ベッドに広げ「人生初の花柄を買ってしまった」と、落ち着かない気持ちになったことを覚えている。私の不安をよそに、ピンクを着ても花柄を着ても何か言ってくる人は一人もいなかった。

こうして私とピンクは両思いになり、私というピンク大好き人間が完成した。


ロリータファッションとの出会い


ピンクもよく着るようになった私に、イギリスで仲良くなった友達が1本の日本映画を勧めてきた。タイトルは「Kamikaze Girls」だ。

何とも安直で日本好きの外国人を狙い撃ちしたようなタイトルだが、日本語にすると「下妻物語」である。

茨城県下妻市を舞台に、ロリータファッションに身を包んだ深田恭子さん演じる桃子と、ごりごりヤンキーの土屋アンナさん演じるイチゴの友情を描いた物語だ。

あんなに可憐な女の子が自分の「好き」を貫き、ロリータ街道を一人突き進んでいく姿に私は強く胸を打たれた。ちょっとピンクを着れるようになっただけで浮かれている場合ではない。ピンクの世界は海よりも深く広いのだ。

私は日本に帰国すると、桃子になるべく劇中に登場するロリータブランド「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」へ向かった。学生だったからお金はなく、ロリータを引退するまでにBABYで買ったジャンパースカートは、その時の1着のみだった。

***


ロリータをしていたのは大学卒業までだ。
卒論を書くため深夜まで大学の図書館にこもった時も、バスに乗ってイオンに野菜を買いに行く時もロリータを着た。ちなみに卒論は「日本のKawaii」をテーマに選び、ゼミの卒論発表会でもBABYのジャンパースカートに身を包んだ。

最初に書いたように、私はさほど明るい人ではないし目立つタイプでもない。でも、ロリータは戦闘服のような機能も持ち合わせていて、一度着ると気持ちが引き締まり、不思議と恥ずかしさは感じないのだ。

もともと集団が得意ではなく一匹狼なところもあったから、人の意見は割とどうでもよかった。我慢してきた分、好きなことをしたかった。

周囲の人たちがどう思ってたのかは知らない。だけど色んな人が「可愛い」「自分も着たい」「写真を撮らせてほしい」と言い、よく褒めてくれた。

母もついに観念したのか、ある日しみじみと「可愛い」と言った。
私も若かったなら。若い頃にこんな服があったなら、本当は私も着てみたかった。そうつぶやいていた。

そして一度だけ、BABYの福袋を買うための小遣いをくれたのだった。



学生時代の私とピンクの物語はここまで。
次回は社会人になり、髪の毛をピンクにする話。

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