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システム屋として"それなりの幸せ"を体現したい

唐突に2つのメロディ

幸せって何だっけ何だっけ
ポン酢しょうゆはキッコーマン

明石家さんま

幸せの基準はいつも
自分のものさしで 決めてきたから

浜崎あゆみ

幸せについて考えるとき、なぜか上記の二つの歌が思い浮かぶ。
世代がばれるが別に隠してもないのでよしとする。

要はみんな幸せになりたいんだ

さて、人生の目的って人それぞれで、お金持ちになりたい人もいれば、有名になって尊敬されたい人もいるだろう。だが詰まるところ「幸せになりたい」ってことに集約されると思う。要は何に幸せを感じるかが人によって異なるという違いがあるだけだ。

じゃあ私の幸せはなんだろう?
人間の幸せとなるとテーマがでかすぎるので、システム屋らしく「システム屋としての幸せ」に絞ってみよう。
以下の2つの原則に沿って考えてみたい。

①自分の行動一つで実現可能であること
②自分の幸せの代わりに誰かを不幸にしないこと

順番に説明していく。

①自分の行動一つで実現可能であること

「地に足のついた」と言い換えてもいいかもしれない。
例えば「世界をあっと言わせるプロダクトを作って有名になる」とかはありがちだが実現可能性が低すぎる。
「1000人規模のIT企業で社長になる」とかは別にやりたくもないし、正直管理職ですら喜びを感じるタイプではない。(実際にやってみてそう思う)
日々自分のITスキルはアップデートしつつ、そのスキルをしっかりと仕事で発揮し、目の前のクライアントや仲間に感謝され、正当な報酬がもらえれば十分である。というかそれが一番楽しい。

逆にちゃんと感謝してもらえなかったり評価してもらえないというのにはストレスを感じる。なのでお互いにリスペクトできる人に囲まれて仕事をしたい。これだったら自分が一つ一つの選択肢をきちんと選んでいくことで実現できそうである。

②自分の幸せの代わりに誰かを不幸にしないこと

今誰かを不幸にしているつもりはないのだが、それでも意識はしておきたい。
極端な話、私が携わったシステム化により誰かの仕事が奪われることがあれば、誰かを不幸にしていると言えなくもないが、そこはシステム屋の原罪のようなものだろう。システムによる効率化を進めることで社会全体としては良い方向に向かっていると信じるしかない。

犯罪に使われるようなシステムは論外として、それ以外でも社会正義に照らした時に公正とは言えないような会社の案件にはできる限り携わりたくないし、炎上プロジェクトで関与者が軒並み不幸になるような案件も避けたい。
炎上してもやらないといけない時はあるだろうが、その時にも最低限人の尊厳を踏みにじるようなことはしたくないと思っている。

また、ブラックな働き方をしていると家族にしわ寄せがいくわけで、結果的に家族を不幸にしているともいえる。
かつて私が終電まで働いていた時、家では妻がワンオペで回していたわけで、やはりそういう状況はよろしくないと今にして改めて思う。

自分の周囲はもちろん、社会全体としても誰かの幸せの陰で不幸になる人がいるような状況は持続可能ではないだろう。最近のいわゆる「無敵の人」が起こす重大事件を目にするたびにそう思う。

"それなりの幸せ"を体現する意味

ここまで書いてきたのは、スーパーマンでも何でもない、それでも20年程業界で飯を食えている、"いちシステム屋"の目指す"それなりの幸せ"である。
私がこれを実現したとして、個人的な物語に過ぎないかもしれない。
ただ、こうやって考えをまとめて記録し、実際に体現できたとすれば、それは一つの事例として再現可能な形で次世代のシステム屋を目指す人たちに伝えられるかもしれない。こういう"それなりの幸せ"を目指す方法があるよと。
そのためにもこのnoteで引き続き微力ながら"いちシステム屋の戯れ言"を発信していきたいと思う。


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