見出し画像

「青葉茂れる桜井の」(桜井の訣別)

「ごりやくさん・湊川神社」を観る

先日、テレビ番組表を見ていてtvk(テレビ神奈川)放送の「ごりやくさん」という番組が目に入った。早速録画予約して視聴したところ、これがなかなか良かった。

御利益があると名高い全国の神社を紹介する番組で、最初に見たのが京都の上賀茂神社。翌週が湊川神社、次が芝大神宮だった。
実質20分ほどの中で、神社の由来、祭神、宝物、境内や社殿の解説、見どころのアピールなどがあり、最後に最寄りの土産物店やお食事処を紹介して終わる。
女優の余貴美子のナレーションも聞きやすく、耳に心地よい。
調べてみると、この番組はMX、tvk、KBSなどのローカル局とBS11の共同制作だそうで、KBS京都では2019年9月から20年11月まで50回放送された。以来、それぞれの放送局が繰り返し放送しているようだ。
NHKBS4K・8Kの看板番組「国宝へようこそ」で余貴美子がナレーションを担当しているのは、もしかすると「ごりやくさん」での仕事ぶりが評価されたからかもしれない。
私が見たのはtvkだが、BS11でも放送中と後で知った。

こちらは1月16日が奈良・橿原神宮だった。23日は京都・伏見稲荷大社の予定。

懐かしい「青葉茂れる桜井の(桜井の訣別)」の歌

さて、まだ見始めたばかりの番組だが、強く印象に残ったのが湊川神社だ。JR神戸駅から北へ徒歩わずか3分のところに鎮座すると知って驚いた。そんなに近い距離の街中にあるなら、神戸市民との関わりもさぞ深いことだろう。
湊川神社のご祭神は言わずと知れた楠木正成公。番組を見ているうちに、特に紹介はなかったが、楠木正成・正行(まさつら)親子の別れを歌った「桜井の訣別(わかれ)」が思い出され、急に聴きたくなった。
久しぶりに「青葉茂れる桜井の(桜井の訣別)」のCDを引っ張り出して懐かしく聴いた。

父子対面の場は、京から湊川に向かう途中の「桜井駅」

歌の背景を簡単にまとめておこう。
鎌倉幕府滅亡の立役者であった足利尊氏と楠木正成は、建武の新政を巡って決定的に対立する。
天皇親政に不満を持つ武士らを1つにまとめ、武士政権の創設を目指した足利尊氏に対し、楠木正成はあくまで後醍醐帝に忠義を尽くす道を選んだ。
京での戦いに敗れ、いったん九州へ落ち延びた尊氏は、そこで態勢を立て直し、味方を増やしつつ再び京へ攻め上ってきた。
そして延元元年(建武3年、1336年)5月、足利軍と新田義貞・楠木正成連合軍が激突したのが摂津国、今の兵庫県の神戸市和田岬付近、海と山の間の狭い平野部を流れる湊川一帯であった。
戦いが始まる前、足利の大軍勢を前に勝ち目はないと悟った楠木正成は、700騎余りの精鋭を率いて京から湊川に向かう。その途中、山陽道を山城国から摂津国へ抜けたあたりにあったのが桜井駅、歌にある「桜井」である。現在の地名では大阪府三島郡島本町だという。
ここで正成は、まだ若い嫡男正行を説いて、故郷の河内国へ帰したと伝わっている。

唱歌として作詞・作曲されたのではない

私が持っているCDは、宍倉正信&西六郷少年少女合唱団によるもの。上に挙げたYouTube動画は、これと同じ音源からとったと思われる。何度聴いても飽きない素晴らしい歌声だ。
動画の画面には「明治32年(1899年)唱歌」と書かれているが、「日本のうた こころの歌85」の解説によると、最初から唱歌として作詞・作曲されたわけではないらしい。

この曲の完成は明治20年と言われていますが、広く世に知られるようになったのは32年に「湊川」と題された楽譜が出版されてからのことです。最初の6連に「桜井訣別」という副題がついていて、歌うときはたいていここまでですが、詩のほうはまだまだ終わりません。

「日本のうた こころの歌85」

ウィキペディアの情報が正しければ、唱歌となったのは、明治44年~大正3年編纂の『尋常小学唱歌』に第4学年用として掲載されたのが最初である。
リアルな情景描写といい、涙を誘う父子のやり取りといい、また哀調を帯びつつどこか明るさを感じさせる曲といい、唱歌にふさわしい作品だと思う。

21日へ続く

いいなと思ったら応援しよう!