奪われた自由(2024.03.23)
先日点検に出した我が家のフィット君(走行距離17万キロ。そろそろ10年目)。昨日、エンジンがかかりにくい原因はどうやらバッテリーの不具合によるものだという事が判明したと、担当のおっちゃん(車が好きすぎていつも話が長い)が自身満々に電話口で伝えてきた。
バッテリーの交換が必要だと言うので、即座にそれをお願いして、今日土曜日には交換が完了するはずだった。そしてそれを受け取りに行くついでに私は束の間の(オフィシャルな)自由時間を満喫出来ると目論んでいた。久しぶりに美味いカレーでも食べにいくかとか、どこの温泉に入ろうかとか、わくわくが止まらなかった。
しかし今朝、先述したおっちゃんとは違う営業さん(優しそう)から再び電話があって「どうもバッテリーが原因じゃなかったみたいです。どこが原因であるか診断が出来る人間が今日はお休みなので、もう少し車をお預かりさせて頂きます。申し訳ありません」と言う。
「診断ができる人間」という、通常の整備士とはまた別のスキルを持った人間がいるというのに少し驚いた。そして原因ではなかったバッテリーは既に交換してしまったのだが、それは元に戻してくれるのだろうかなどという素朴な疑問を営業さんにぶつけたところ、「整備士の方からまた連絡させます」とおっしゃった。
果たしてフィット君は無事に修理できるのか、妻はすでに別の車を検討している。しかしその問題とは別に私はすぐそこに手が届きそうだった自由時間を奪われた事が何よりがっかりだった。あれやこれやと夢を膨らませていたのに、その全てが叶わなくなった。ちくしょう!
午後には妻の姉がやってきて、サンドウィッチとかドーナッツなどを囲みながらの昼食となった。楽しそうな妻と子供たちを他所に、私は窓の外に垂れ込める低い雲を漫然と眺めていた。
頭のちょっとななめ上らへんに現れる、食べる事の出来たはずの空想上のカレーをその度に搔き消しながら、だらだらと空虚な時間が過ぎていった。テレビからはキテレツ大百科の「お料理行進曲」が流れていた。