見出し画像

ブルースと目玉焼き(2024.11.15)

冷蔵庫にでかいピザがあるのを思い出した。

私はそのピザを冷蔵庫の一番上の段から取り出した。ピザは1枚で色んな味が楽しめるお得なピザで、直径が50センチ程ある。それをそろ~り慎重に取り出していると、チーズがとろ~り伸びているのが分かる。

「ピザがあるのを思い出して良かった。ピザでも食べながら長い晩酌でもするか」と思った。

が、それは夢だった。目が覚めると薄暗い部屋。子供らが布団を引っ剝いだまま雑魚寝している。私は次男(3歳)のパンツをオムツに替えて、それから子供らに布団をかけた。

リビングのソファには寝落ちした妻。テレビでは妻が好きな千鳥だかかまいたちだかの番組が流れている。私がそのボリュームを下げようとすると「見ています・・」と、妻が言う。蚊の鳴くような声で。

時刻はもう2時。まともな時間から晩酌しようと思っていたのに、随分眠ってしまった。だけどせっかくなので、冷凍庫に入れたままだった缶チューハイを取り出すけど、あらかた凍ってしまっている。

自室に布団と枕を抱えて戻る。すっかり凍った缶チューハイを空ける。何かつまみが欲しくなった。目玉焼きを焼いて食べたいと思った。しかしキッチンと、妻が横たわっているソファは空間として繋がっているので、それは出来ない。

真夜中は何を食べてもだいたい美味い。特に目玉焼きは格別だ。

というのは、個人的な経験に基づいていて、あれは高校生の頃だったか、真夜中にふと目が覚めて、2階の自室から1階のリビングへ行くと、薄っすら灯りが点いていて、音楽がかかっている。私はその音楽を聴いて、父がそこにいる事に気づいた。

父はリビングのちょっと凝ったステレオ装置で、ブルースを聴いていた。マディ・ウォーターズとかジョン・リー・フッカーとかそういうの。私はそれらの音楽について露ほども知らなかったが、なんとなく耳に心地よいとは思っていた。

ソファに腰かけてウイスキーか何かを飲んでいる父。ちょっと離れたところに座って、一緒にそのブルースに耳を傾ける。その頃、普通にJ-POPばかり聴いていた私にとってブルースはよく分からない音楽だったが、薄暗い部屋の中で腰の下から小さく響いてくる低音や、少し歪んだギターの音、ブルースマンのしゃがれ声は、真夜中の雰囲気と相俟って、とても心地よいものだった。その音楽は「ここではないどこか」へ私を連れて行ってくれるような気がした。

そうして私が自室へ戻らずしばらく居座っていると、父が目玉焼きを焼いてくれた。母が焼くのと違ってとても不格好で、焦げ目が多い目玉焼きだった。

その、薄暗い部屋で父と一緒に食べた目玉焼きはとても美味しかった。白身の端っこがカリッと焦げていて、黄身が程よく固まっていた。部屋の中に目玉焼きを焼いた良い匂いが漂っていて、薄闇の中にブルースが静かに響いていた。

父が目玉焼きを焼いてくれたのは、ただあの一度きりだった。父はそれなりに料理する事が好きで、夕飯を当番してくれる事も多かったが、真夜中に何かをご馳走になったのはその時だけだ。

考えてみればあの頃の父と今の私は、もうあまり変わらない年齢なのではないか。真夜中にブルース聴いて目玉焼きを焼いた父の気持ちが今なら分かる気がする。

今、目玉焼きを焼いて食べたいと思った。真夜中の目玉焼きは最高だから。だけどキッチンのすぐそばに妻が眠っているので、それは出来ない。

仕方ないので、朝が来たら目玉焼きを焼いて食べようと思う。ブルースは聴かないけど、そこにブルースはある。ブルースとは、どうにもならない困りごとの事を言うのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?