続・月に吠える(2022.11.30)
・体重69.3kg
・禁酒136日
大分は急に冷え込んで、突然冬がやってきた感じだ。
昨日なんかはTシャツで外を歩けるくらい暖かったのに、今日はジャンバーが必要なくらい寒かった。
と、普通にジャンバーという言葉を使ったが、使ったあとで、「あ、『ジャンバー』は公にはあまり使わない言葉かも」と思った。家の中や気心の知れた人との間では普通に使ってるが、この「ジャンバー」にはいつも半笑いのニュアンスが添付されている気がする。
そんなジャンバー(半笑)が必要なくらい寒い夕方、幼稚園のお迎えに行く頃にはもうとっくにあたりは真っ暗だった。8時かよ!ってくらいの濃い夕闇の中に幼稚園の園舎が煌々と浮かび上がっている。
迎えに行くと、すぐに子供たちが駆けてきた。短い、出来損ないの大根みたいな足を一生懸命動かして。そして顔には満面の笑みを浮かべている。何がそんなに嬉しいんだろうと毎回思うが、子供たちにとっての幼稚園で親と別々に過ごした時間というのは私たちのそれと比べてずっと長いんだろうと思う。体感として。
次男(1歳)を抱っこして、長女(3歳)は歩いて車まで向かう。真っ暗な空に今日は月がないのに気づいた長女は月がないことを寂しいと言った。
車に乗り込み、しばらくすると長女の寂しさは極まって、ついに泣き出した。
以前、長女は同じく家へ帰る際に、月が出ていることに対して怒っていた。月が遅い時間に空に浮かんで、家へ帰っていない事に憤慨していた。月は長女にとって、同い年くらいの幼児として捉えられているみたいだった。
それが今日は逆に月がいないことを寂しいと言う。なんじゃそらと思ったが、よく考えてみると、その「寂しい」という感情は多分「お腹が空いた」という生理的な要求と微妙に結びついているんじゃないかと考えた。寂しいと言いながら、同時に空腹を訴えてもいたからだ。
3歳くらいの年端も行かない幼児であると、自分の感情と言葉が整合性を持って結びついていないし、それ故に自分の気持ちや状況を言葉でうまく伝えることができないのだろうと思う。
確かに月が浮かんでなくて寂しいという感情はあるのかもしれないが、そこに来て空腹であるという事実も重なり、負の相乗効果が生まれた結果、泣き出すような事態になったのではないかと考えたのだ。
と、そのように勝手に腑に落ちて、私は車を走らせていた。しかしやがて長女はおやつを要求してきた。そしてその横で次男が唸り声を上げているのは間違いなく長女と同じ類の要求によるものだった。しかしおやつをあげるわけにはいかない。何故ならおやつをここであげてしまうと晩御飯をあまり食べないからだ。
私は二人を宥めすかし、ようやく家へ到着すると、なだれ込むように全員を食卓につけた。そして私の思惑通り、腹を空かせた二人は晩御飯をよく食べた。子供が晩御飯をよく食べると妻の機嫌が少し上向く。今日も日中に色々あってイライラを募らせていた妻だったが、お椀に顔を突っ込むようにしてうどんを食らう子供らを見て、顔が少しほころんでいた。
長女が再び月に対して何かの感情を覚える日はいつだろうかと思う。
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