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死にたい夜に想像する世界のこと

小さい頃から、つらい夜は宇宙を想像して、ちっぽけな自分を俯瞰して、ほっとしていた。途方もなく大きな存在に想いを馳せていると、ちっぽけな自分の存在が許される気がしたのだ。

今では宇宙だけじゃなくて、深海や地中、歴史や音や光にまで想像を膨らませる。

いろんな角度で、自分という人間の姿を俯瞰してみると、心がほっとするのだ。

まずは海と宇宙について

海は地球の約72%を覆っている。
なんと陸:海 = 3:7   なのである。
そんな広大な海について、分かっていることは5%程度で、95%は謎のままだとも言われている。
そして宇宙で人間が観測できるものも5%程度と言われており、残りの95%は暗黒流体、つまり人間の目には見えないものだと言われている。

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暗黒流体・・・何それかっこいい。
わからないことだらけの世界なんだなぁ。


標高と水深について

・人間の身長は約1〜2m
・陸地の平均標高840m
・日本の富士山は3,776m
・世界で一番高い山はエベレストの8,848m
・飛行機は高度10,000m付近を飛んでいる
・雲の変化は大体対流圏内(16,000m以下)で起こっている
・国際航空連盟は高度1,000,000m(100km)から上を宇宙としている
・人間が素潜りできる深さの世界記録の最長は122m
・深海とは一般的に水深200m以上の海域を指す
・海の平均水深は3800m
・世界で一番深いマリアナ海溝は約10,900m
・世界で一番深い人工地点は12,262m

図で表すとこんな感じ

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海の深さが平均して富士山くらいって、どんだけ海は深いんだ。
そして、人類はどんだけ深い穴(人工地点)を掘っているんだ。


地球について

地球の直径は12,700,000m(約1万2700km)。
地球があまりにもデカすぎる。デカすぎて、僕が頑張って作った、陸の標高と海の水深のグラフがあまりにもちっぽけな存在に。

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そんな地球も宇宙じゃ小さな小さな小さな星の一つなのである。

寿命と歴史について

人間の平均寿命が約80年。
200年生きたホッキョククジラや
400年生きたニシオンデンザメ
500年生きた貝もいるらしい。

138億年前にビッグバンが爆発して宇宙ができた(意味が分からない)。

宇宙の誕生138億年前
地球の誕生46億年前
生物の誕生38億年前
恐竜の誕生2億3000万年前
恐竜の滅亡6600万年前
アウストラロピテクス400万年前
ホモサピエンス30〜20万年前
縄文時代の始まり約1万2,3000年前
弥生時代約2300〜2400年前
イエスキリスト誕生2020年前
今に至る。

地球が46億年に誕生して、人間の誕生はつい最近なのだ。小学校の歴史の教科書でも習った。地球の誕生からのことを年表に表すと、人間が生まれたのって、23時59分くらいみたいなこと書かれていたのを思い出した。歴史浅っ。人類みんな、地球から見たら赤ちゃんだ。


音について

人間に聴こえる音が全てではない。
人間の可聴域は20Hz〜20kHz。

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上図 出典  HP 音空間 聴こえない音からの影響 から引用


見えるものについて

人間に見えるものが全てではない。
人間の目で見える領域の光は可視光線のみで、
γ線もx線も紫外線も赤外線もマイクロ波も電波も見えない。

小さすぎて見えなかったり、
暗すぎて見えなかったり、
明るすぎて見えなかったり、
速すぎて見えないものもあるし、
形がないから見えないものもある。
遠すぎるものも見えないし、
未来も見えない(つらい)。



無限に広がる宇宙、小さくて大きな地球、深い海、広大な地上、気が遠くなるほど長い歴史、分からないこと、知らないこと、聴こえないこと、見えないものだらけの世界。

そんな、とんでもなく大きな世界のことを考えると、底知れぬ恐怖とともに、僕はいつもほっとする。あるがままの自分を肯定してもいいかなと思える。いや、否定とか肯定とかじゃなくて、そうじゃなくて、なんていうんだろう。難しい。

とにかく、突然ビッグバンが爆発して、なんやかんやあったみたいで、気づいたら生まれていたのだ。
この世に生まれてきたのだから、ただ生きて、生きて、生きればいい。
最後は星もどんなに長生きする生物も、みんな死ぬ。
だから、その時までただ生きればいい。

生きる意味とか、何のためにとか、そんなかっこいいことは余裕ができたら考えればいい。
自ら死にたくなることもあるけど、死ぬことは怖いという厄介な本能が備わってるから、とりあえず生きる。
まずは、それだけ。

それだけ。

死にたい夜はそんなことを想像して、自分を励ましながら、眠りにつく。


追記1

文中に何度も出てくる「許される」というのはこういうことです。

小さい頃から「普通」といわれることが、自分にはうまくできなかった。
みんなが当たり前にこなす日常の何気ない動作が覚束なかった。

だから「自分なんか」と何度も思った。

「自分なんか」を何度も何度も心の中で繰り返すうちに、
「自分なんかにこんなことできるわけない」
「自分なんかがこんなことしちゃダメだ」と
自分を許せないことが増えた。

自分が自分に「自分なんか」のレッテルを貼って、いろんなことを諦めて、禁止して、許さなかったくせに、なぜか誰かに許されたかった。

誰かに許されたって、自分が自分を許せない限り、何の意味もないのに、そのことにはずっと気づかなくて、とにかく他者から許して欲しかった。肯定して欲しかった。良い評価が欲しかった。

だけど、良い評価だけをもらえることなんて絶対にありえないと知っていたから、誰からも何も評価して欲しくなかった。

そうして他人からの評価を避けるくせに、自分の中に他者の基準を置いて、他者と比べてたり、他者の目から見た自分を想像して、自分を貶めていた。

中学時代にそんな負のスパイラルを強固に作り上げ、息をするように無意識のうちに自分を貶める思考を繰り返し、強化し続けて生きてきた。

このnoteに書いたこと

あと、それから、どうやって自分を「許せるようになってきた」=「肯定できるようになってきた」かを書いたのがこちらのnote。

死にたい夜は、山小屋で働いていた頃に出会った人たちのことを思い出したりもしてる。楽しかった思い出っていうのは、「楽しかった」ただそれだけで、何にも変えられないほど大きな価値があると僕は思う。
(初アルバイト前夜に緊張のあまり体調を崩し、病院に運ばれた僕だけど、つらい記憶と同じくらい楽しかった記憶もあるのだ)

追記2

僕の大好きな映画「her/世界でひとつの彼女」(とある男と人工知能サマンサの恋の話)で、サマンサが人間である彼と自分の共通点を探した末にこう言う。

「2人とも宇宙の物質」「私たちは全員 130億歳」

僕も、何かに悩んだ時は、自分という存在を大きな大きな宇宙の流れの中で捉えたり、逆にクローズアップして、生物も無生物も全ての物体は原子という小さな粒子でできているという事実に思いを馳せたりする。
そういうあまりに大きなものや、小さなものに想いを馳せて、いろんな角度で自分という人間の姿を俯瞰してみると、心がほっとする。僕は宇宙の一物質で、138億歳なんだ!

以下のnoteからの抜粋。


追記・3

自粛期間に日記を読み返していた。
2017年某日、とある山頂で書いた日記に、「どうして自分が山にここまで惹かれるのか」という文章があった。

山と宇宙は似ている。
どちらもとてつもなく大きな世界という点で。
違うのは、自分の足で行けるかどうか。
そして、世界に自分一人きりだと錯覚するほど雄大な、山の世界に自分の足で歩いて行けるという事実が自分にもたらす影響は、宇宙をただ想像するよりも遥かに大きいものだった。

それをもとに書いたnoteがこちら。

これを書いた時は、なんでほっとするのかうまく文字にできなかったけど、こういう感じかな。文字にできた!よかった!!! 

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