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ダメな小説が完成した話

長らく推敲していた小説が完成したのだが、これがまた出来がよろしくなくて辟易している。どうして手が届かないのか。自分が求める理想の高さに。
努力が足りないと云ってしまえばそれまでなのだけれども、とにかく思うようにいかない。頭の中にはしっかりとした形が存在しているにも拘らず、それを吐き出せないもどかしさ。

PCを使えば、脳内と指先は直結する。その感覚はある。だのに思うように書けない。私にとって小説を書くということは、電子楽器を使用してテクノを作ることに似ていて、要は文章のグルーヴ感を大切にしている。しかしながら、今回の作品ではその肝心要とも云うべきグルーヴをうまく生じさせることが叶わなかった。

否、今回ばかりではない。思い返せば前回も前々回も思い通り、狙い通りには書けていない。単純に云えば下手。成長がない。ずっと下手なままなのである。これには頭を抱えるしかない。そもそもぼくは全盛期の赤塚不二夫みたいなテイストで純文学を書きたいと常々思っているのだが、この発想自体がナンセンスなのかもしれない。カテゴリーエラーを恐れている節も確かにある。

しかし、そんな窮屈な枠を破壊するような刺激的な作品をものにしてみたいとも思う。これは切実に。痛切にそう思いながら、毎度執筆作業を繰り返している。今回もそうだった。紛れもなくそうだった。
だが出来上がったものは残念ながら理想のラインを遥かに下回っていた。要するに、つまらないのだ。

そういえば、以前、X(旧Twitter)で「くだらないものを書いていきたい」と呟いたら、「つまらないものを書くことが大事」と誤読されたことがあった。その誤読した人とは底辺の慰め合い、傷の舐め合いみたいな関係を築いてしまい、これはしまったと激しく後悔したのを今でも覚えている。その誤読の人とはのちに関係を絶つことになるのだが、それまでの間はリプライが飛んでくるたび、私は正直つらくてつらくて仕方がなかった。

「つまらないもの」を書いて満足していては、それこそ「成長」にはつながらない。でも私は「成長」したい。たとえ「くだらない」と外野から馬鹿にされたとしても、真摯に粛々とそれを書いていきたい。

と、まあ、云ってみるのは簡単である。
だから書くのも簡単だと思っていた。

けれども出来上がってくるのは駄作の山。いつになれば「これ」という作品が書けるようになるのか。いずれにしても、書くしかない。とりあえず今回もダメだったという要らぬ報告をここに綴ってしまうくらいにダメな小説だった。もちろんそれでも実は自分がそう思っているだけで、全然ダメな作品ではないんじゃないかという一縷の望みをかけて公募には応募する。またあっさり没になるやも知れないが。

皆様方よ、今に見ておれで御座いますよ。

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