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第22段 今日死ぬかも知れないと思いながら生きる

えらく物騒なタイトルを付けたものだ。

あなたの、「明日があるさ」という
常識(幻想)をぶち壊すので、
それがイヤだと思う人は離脱してもらって
構わない。

今生の別れ



実際、人間いつ死ぬかわからない。


心臓発作でも死ぬし、
自動車事故でも死ぬし、
崖から落ちても死ぬし、
通り魔に背中をブッ刺されても死ぬし、
大地震が起きても、
家事になっても、
津波が襲ってきても、
火山が噴火しても、
隕石が落ちてきても・・・。


仮にあなたが若く、健康だったとしても、
これだけ、いや、これ以外にも
死ぬ要因はいくらでもあるのだ。
いずれも可能性は低いとは思うが・・・。


とにかく、平均寿命が70年、80年ある、
というのは統計上の数字であり、
一種の幻想、思い込みに過ぎない。


あなたが平均寿命まで生きられる保証など
全くないのだ。


私の命というのは、今この瞬間にも
終わる可能性を秘めており、
今日死ぬ確率は低いだろうが
決して0%ではない。

そして今日死ぬ確率というのは
じわりじわりと上昇していき、
最終的には100%の確率で
全ての人の人生に終わりが来るのである。


とすれば、死を縁遠いものと
考えるのではなく、
身近なものとみる方がよい。


私は「今生の別れ」という言葉を、
出かける度につぶやくようにしている。


【こんじょうのわかれ:
 この世ではもう二度と会えないだろう
 という別れ】


私などは、もはや習慣化しているので、
玄関先に立つとこの言葉が
口をついて出てくる。


「これで今生の別れである。
 皆の者、さらばだ」


さすがに人に対してはこれを
言ったことはないが・・・


(°O°;)/人に向かって言ってたら
  かなりアブナイ人ですから・・・


例えばカメに向かって、
アロエベラに向かって、
キンギョに向かって、
今生の別れを告げるのだ。


(^^)/それはそれで変態ですねー


そして無事帰宅した時は、
「今日も五体満足で帰ってきた」
と安堵する。


だいたい今までは、無事に帰って
きたことしかないが、それも絶対ではない。

むしろ、歳を経るごと、日を追うごとに、
我々がその日に死亡する確率というのは
上がっていくものであろう。


今、生きていられるのが当たり前と思うと、
往々にして感謝の念を忘れるものだ。


(^-^)/生きてますが、何か?

・・・てなもんである。


しかも悪いことに、これがほぼ永久に
続くものとばかりに思っているのが
私をはじめとする凡人たちだ。


少なくとも、今日死ぬとは思っていまい。


そして、明日も多分、生きていられるだろう。

その次の日も、そのまた次の日も・・・。


こうしてみると、永遠に死なないつもりで
いるのと何ら変わりがないではないか。


死というものは、突然訪れる。
何の前触れもなく。


あなたが今、生きているのは、
当たり前でも何でもなく、
実にありがたく、
かけがえのないことなのだ。


感謝する




朝起きたら、寝ている間に死なずに
息が続いていたことに感謝する。

毎日食べるものがあることに感謝する。

常々呼吸できる空気があることに感謝する。

動き回れる体があることに、感謝する。

頭がはたらき、考えを巡らすことが
できることに感謝する。

夜寝る前に、今日も一日、
命が続いたことに感謝する。


当たり前ではない。

私が生きているのは、
私に生きる機会が与えられているから。

滅多にないことなのだ。
とてもありがたいことだ。
感謝することばかりなのだ。

今日死ぬかも知れない、と本気で思った時、
私はその日をどう過ごすのだろう。


もうそうなったら、
自分の欲望を満たすことになんか、
何の意味があるだろう。


そんなことより、今ある全てのものに、
感謝を捧げよう。

こう書いてみて、つくづく自分の日常とは、
ことごとく自分の手前勝手な欲求を
満たすためだけの行動ばかりだな、
と思われる。

とても、今日明日死ぬとなったら、
やらないようなことばかりだ。

そんなにあくせく生きて、何になる?

そんな一時の快楽を追い求めて、
虚しくはないか?

時たま、こうしたことに
想いを巡らせてみるのも悪くない。


願わくは、この文章を最後まで
読んでくれたあなたに、
深いご縁のあらんことを。

締めくくりがいつになく真面目で
スミマセン(^ ^)


210511初稿
210626付け足し
210718付け足し
210722付け足し最終校正

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山本 星海
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