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迎えられ、見送られた窪川駅の記憶

今朝、涼しくなった秋の田んぼ道を愛犬・サンと散歩をしていて、ふと思い出したのは幼少期の窪川駅での1シーンだった。

毎日のように歩く散歩道を三分の一ほど行ったところで、田んぼの頭上にある有井川駅へ列車が西からホームへと入ってきた。

少し手前のトンネルを抜けたところで段々とスピードが落とされ、私とサンの視界に入ってきた頃には「ガタン・・ゴトン・・ガタン・・・・」と、すでにいつでも停車できるほどのスピードになっていた。

澄んだ風が気持ち良い朝、土の香りと湿気を含んだ草の匂い、ゆっくりと近づいてくる列車。心地よい気候のせいか、なんだか過去の記憶が呼び戻されていく。

「あぁ、あの頃を思い出すなぁ」

半袖では肌寒い秋の朝の散歩道

幼少期から親戚家族の中でも特に高知が大好きな子どもだった私は、中学生の頃だったか、神奈川から一人で長時間の鉄道旅で祖父母の家を訪ねるようになった。

まだ旅に慣れていない頃は、小田原駅から新幹線に乗り、名古屋駅や大阪駅で乗り換えながら、岡山駅までを3時間半ほどかけて行くだけでもドキドキ。その反対に、忘れっぽい今よりも子どもの頃の私はしっかりしていて、どこへ行くにもしっかり下調べをして、時間や場所、道順を頭の中に全てインプットさせてから行動する子どもだったので、新幹線の乗り換えもスムーズに、ほとんどを予定通りにこなしていた。

岡山駅から土讃線の「南風」に乗り換え、いよいよ祖父母の家の最寄駅・窪川駅まで向かう時には、「もうあとはこれに乗っているだけ」という感じで、少しずつ身体の緊張が解けていった。

私が思い出すのは、窪川駅のホームをいよいよ降りると、駅の待合所と駅構内の間に設置されたフェンスから身を乗り出して、「おーい」と満面の笑みでこちらへ向かって手を降る祖父母の姿だ。

幼少期から、家族と鉄道で高知へやって来る時には、いつも窪川駅までを祖父の運転で2人が迎えに来てくれて、私が乗っている南風が着く前には必ず駅に到着し、汽車がホームに入って来た瞬間から私が降りてくるのを今か今かと待ってくれていた。

もちろん、私が列車を降りて祖父母の姿を確認するまでは、それより前の彼らの姿は想像でしかないのだけれど、私にはその光景が簡単に想像できた。大好きな祖父母のことだから、当たり前のように。

私が小学3年生の頃に祖父が亡くなってからは、車の運転ができない祖母はバスで迎えに来てくれて、駅から私とタクシーで祖母の家まで帰ったり、祖父に代わって、祖母の妹夫婦が車を出して迎えに来てくれたりもした。出迎えてくれるメンバーはいつも少しずつ入れ替えがありながら、それでも、私が学生の頃は毎回祖母と誰かが待合所からひょっこりとホームの方へ向かって顔を出し、一生懸命「こっちこっち」「待ってたよ」「よう来たねぇ」と手を振ってくれたものだった。


高知へ移住してからは、その光景とはしばらく疎遠だった。その光景を思い出したのは、今年の5月、神奈川に住む母が鉄道で祖母や私を訪ねて来てくれた時のことだった。

私が鉄道旅が好きなのは、母の影響だと思う。母は青春時代から鉄道旅が好きだったそうで、青春18切符を利用したり夜行列車に乗ったりしながら旅を楽しんだという話を聞いたことがある。まだ私が学生だった頃も、母とともに祖父母の家を訪ねる時には、飛行機よりも鉄道が多かったように記憶しているし、母は時刻表を見るのが好きで、得意で、高知だけではない別の地へ旅をともにする時にもいつも彼女がいれば私は安心だった。

話は少し逸れたが、そういうわけで、私が高知へ移住してからというもの、母は一人で高知を訪れる時には、必ずと言っていいほど7~8時間の鉄道旅を楽しみながらやってくる。飛行機で飛べば、1時間少しのフライトですむところを・・・。

5月、母は私と会うより前に、母の姉や祖母の家を訪ね、その後、私と再会した。母とは3月に東京で中島みゆきのコンサートへ行った以来だった。

5月15日に母の姉の運転で祖母と3人、私の住む町へ来てくれてから約1週間、母は私の家に滞在しながら、私が仕事の時には家のことやサンの面倒を見てくれた。

一緒に家の畑にハーブを植えたり、サンと散歩に出かけたり、隣町へコーヒーを飲みに行ったりもした。いつもの私の日常を母と共有することができたし、隣にいる母に延々と喋りかけて、満ち溢れた一週間だった。

母と一緒にハーブを植えた
サンと母と散歩へ出かけた
母と2人、隣町の中村にあるshade tree coffeeへ行った

5月21日、母が神奈川へ帰っていくということで、私の自宅がある黒潮町から窪川駅まで車で送ることになった。駅に到着し、車を駐車場に停め、母が駅で切符を買い、少しだけ待合所で一緒に時間を潰し、乗車する予定の列車がやってくる5分ほど前に母は駅構内へと入場していった。私は母がホームへと続く階段を上り、下り、列車が来て乗車して、発車していくまでを見送った。

現在は南風は高知駅から西は走っていないそう。
「特急あしずり」に乗って帰っていく母を見送る。

「あぁ、立場が変わったなぁ」と思った。

いつもは私がこの地へやってきて、迎えられて、見送られていた。それなのに、今、祖父母が待ってくれていたあの場所にいるのは私で、フェンスに手をかけ、母が去っていく姿を見えなくなるまで見送っている。なんだか不思議な感覚だった。

「孫ターン」という言葉を時々聞く。自身が生まれ育った地に帰り移り住むのではなく、両親が生まれ育った地、祖父母が住む町に移り住むという移住の仕方。私が高知へ来た時、私にそんな感覚はなかったけれど、世間的に言えば私はきっと「孫ターン」なのだろう。

母が生まれ育った町の駅の待合所から母を送り出し、私はこの地でまた日々を送っていくというこのできごとは、なんとも言えない感情を私に抱かせた。

祖父母が立っていたあの場所に、今、私がいる

秋の朝。鈍行の列車しか停まらない有井川の駅へゆっくりと入ってきた列車には、誰も乗らない。下りてくる誰かを待つ人もいない。私と祖父母や母との思い出が詰まった駅でもない、ただの最寄駅でしかない有井川駅での朝の一コマ。それでも、田舎の風景の中にゆっくりと入り込んでくる鉄道の風景は、私に小さな頃の記憶と、5月に母を見送った日のことを思い出させる。

きっとまた、私が母を「久しぶり」と窪川駅で迎える日がやってくる。そして、私が祖母や誰かに窪川駅で迎えられる日は、もうきっと、やってこない。記憶に残っている好きだった景色は、もう二度と繰り返されないかもしれないけれど、今度は母の記憶にどんな形で私の姿が残っていくのだろう。そんなことを考える、秋の清々しい朝だった。


-あとがき-
私が小さな頃に高知と関わった記憶は、いつも「良いもの」でしかない。あの頃の日々に、家族に、やさしかった高知に、いつもありがとうと思う。

秋の朝のこの日は撮影を忘れたので、夏の景色ですが・・・
有井川に広がる田んぼと駅と列車の風景。
思い出どうこうではなく、有井川に越して来てから大好きな風景の一つです。

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