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ありがとう、女子たちよ

女子って、すごい。楽しい。

高知県・黒潮町に来て9年。日々充実した生活を送り、毎年「今年が一番楽しい」、そう思える、そんな嬉しい気持ちを更新していく日々だった。そんな中で、強いて言えば足りていなかったもの。

「女友だち」

「女子トーク」

黒潮町へ来てからというもの、同世代の女子との会話がぐんと減っていった。最初の7年間は、役場の仕事で関わる人と言えば私より20も30も歳上の男性が多数。もちろん、そんな彼らとの会話や関わりの中で、教えてもらうことは多く、楽しいことがたくさんあった。

プライベートで言えば、役場職員時代はアパート暮らしで、田舎に引っ越してきたものの、田舎暮らし特有の「ご近所付き合い」は皆無だった。自宅付近で知り合う人も、挨拶を交わす人もほとんどいなくて、習い事もしていない、趣味を通じたグループのようなものにも属していない、子どももいないからママ友もいない。私の交友関係はほぼ仕事を通じて出会った人たちからの広がりばかりだった。(今思えば、仕事からの広がりがほとんどで、これだけ多くの人と知り合えたのは、逆にすごいんじゃないかと思うところでもある。)

私は「コミュニティ」とか「グループ」のようなものがあまり好きではない。好きな人たちとは好きなように集まりたいし、話したいし、関わりたい。

でも、コミュニティやグループに属してしまうと、「あの子はあの人たちと仲が良い子だよね」とか「あの界隈の人たちね」と見られることが多いような気がする。それって、なんだか少し損をしているような気がする。

神奈川から高知へ引っ越しをしてきた私は、「移住者」と括られ、生きてきた。生きている。いつも「移住者」というワードがどこへ行っても、誰と会ってもくっついてきて、私をカテゴライズしてきた。「役場職員」というワードだってそう。仕事を離れても、休日にも「役場で勤めている人」という意識が周囲にも、私の中にもあった。

私は私。

そうわかってはいるものの、いつだって、そのカテゴライズされた世界の中に生きている。だからこそ、移住者同士が集まったり、同じような見た目の人・同じような思想を持っていそうな人たちのコミュニティだったり、そんなものからは逃れるように暮らしてきた。

「あのグループに属している」

それだけで、他の誰かから敬遠されてしまったり、「仲良くなりたいけどちょっと声をかけづらいな」とか、そんなふうにしてチャンスを逃してしまうような気がする。「グループ」というだけで、そのグループの考え方、醸し出す雰囲気、交友関係、そこに統一されてしまうようで、なんだかなぁと思ってきた。

その生き方が合っているか、合っていたのか、答えを出すわけではなくて、その生き方で私は生きてきたし、楽しい生活を送れてきたという事実は今でも大切にしている。グループにとらわれることなく、いろんな人と関わり合いたかった、私なりのこの土地での暮らし方だった。

でも、2024年は、なんだかそこに新しいムーブメントが起こった。「女子」たちとの出会い。

2回目の開催となった11月の「こもれびBook Market」では、東京や香川、高知市内、高知東部などからの出店者の参加があり、私の小さな自宅に初めまして同士の女子たちが複数泊まってくれて、たった1日の出来事だったのに、女子たちのパワーを感じて、パッと明るく元気になった。

香川から来てくれたAちゃんは、合流するやいなや、移動の車内から見える黒潮町の海辺の景色に歓声をあげ、「わぁ、すごい!」「綺麗ですね!」と、終始私が住む町に驚き、感動してくれ、その感情全てを会う人会う人へ口にし、感謝を伝え、周囲を明るくしてくれた。

いつも一緒に物書きをしているAさんは、イベント主催の私の立場を察し、できるだけ負担がかからないようにと、数週間前からそっと静かに見守りながら、前日の懇親会では存分に一緒に楽しんでくれて、イベントが終わった後にはラブレターのようなSNSの投稿で静かに私を包んでくれた。

毎月はるばる高知の東部からやってきてくれていたHちゃんは、他のメンバーよりも私の自宅の勝手や黒潮町のことを知っていて、ささっと場に馴染み、慣れた手つきでサン(愛犬)へと手を差し伸べ、私が行き届かないメンバーの送迎など、そっとサポートしてくれた。

今回、一番一緒にいた期間が長かった東京から来たNちゃんは、なんと3泊も滞在してくれた。こんなに長い時間を共にするのは初めてのことで、だからこそ、お互いの過去の話、今の話を共有できたし、遠くに住んでいる同士だからこその話ができたし、私が「いいよね」と思う黒潮町の魅力全てを自ら発見してくれて、「最高です〜」と言ってキラキラと笑いながら帰っていった。

会った瞬間からハイテンションで再会トークのAちゃん
夏には黒潮町に遊びにきてくれて、海辺で語り合ったAさん
3日間、存分に黒潮町を楽しんでくれ、笑顔でお別れしたNちゃん
Nちゃん滞在中にはご近所のAちゃん・Cちゃんとも浜辺でチル

そして、何よりもありがたい出会いは、身近に住んでいる女子たちとの出会い。MちゃんやAちゃん。

去年からユニットを組んでいるMちゃん。私よりも5歳、年下だけれど、こんなに仲良くなるなんて、最初に出会った頃には思ってもみなかった。いつも私を肯定してくれて、思いやりで包んでくれる、もしかしたらどっちがお姉ちゃんなのかわからないような存在。同じ地域にいて、地域のことをわかって、一緒に向かっていったイベントを終えられてからはさらにグッと距離が縮んで、私の不甲斐なさも理解してもらえるように、披露できるように、披露したいと思えるようになった。貴重な存在だと思っている。

ご近所に同時期に越してきた、同世代のAちゃん家族。タイミングも、フィーリングも、奇跡のような出会いだと思っている。去年の夏に出会って、今年の夏から急接近して、近所の川や海で一緒に遊んだり、散歩したり。近所だからいつでも会えるのに、会えた度にとっても嬉しくなる。こんなに嬉しい人との出会いが、半径100mの中に転がっていたなんて。出会ってから、そして出会う度に「この子と仲良くなりたい」と、有井川というおじいちゃん・おばあちゃんだらけの地域に越してきて、こんな巡り合わせがあるなんて、もう一度言うけれど、奇跡だと思っている。

イベントを一緒に開催したり、イベントに一緒に出たり、
高知市内へ遠征したり、たくさん時間をともにしたMちゃん
夏には一緒に川で遊んで
散歩して、ヨガを教えてもらって。
有井川という地で出会えたかけがえのない存在、Aちゃん

あぁ、女子たちよ。そうそう、こうだった。これだよなぁ。

神奈川にいた頃は、幼稚園や小学校の頃からの幼なじみたちと頻繁に集まり、ファミレスや居酒屋で何時間も毎度同じことを喋り続け、私のくだらない冗談をいつも「はい、はい」と言いながら聞いてもらっていた。

短大や大学時代の友だちとは、しょっちゅう夜の街へ繰り出し飲み歩き、「ねぇ!ちょっと!聞いて〜!」と出会い頭から弾丸トークを果てしなく続け、「ぽんこつだねぇ、私たち」と、会ってはお互いのしょうもないところを分け合って、笑い飛ばしていた。

高知に来てから、思い返せばそんなことはほとんどなかった。同年代の女子が周りに圧倒的に少ないことは確かなのだけれど、今、ライターになって、本屋を始めてみると、思いの外、同年代の女子たちと出会うようになった。周りにいなかったのではなくて、出会えるような生き方をしていなかったのかもしれないし、出会えていたとしても、ちゃんと見ていなかったのかもしれない。もちろん、今までの私の人生は、それで良かったんだと思う。

でも、2024年の年の瀬を迎えた私は、この「女子たちとの再会」がとても嬉しい出来事に感じている。

会った瞬間からパッと明るくなって、「ねぇねぇ」と聞いてほしい事柄を話せて、同じテンションへと急上昇できて、話して満足して、解散。

男友だちにも、彼氏彼女の関係にも、仕事仲間にも、家族の中にも、無い関係。

そんなもの、そんなに無くても大丈夫だと思っていたものだし、無くても実際生きてはいける。でも、やっぱり、あれば最高に楽しく、嬉しい。

と、いうことは、やっぱり私の人生の中にも無いとだめなものなのかもしれない。

2024年に出会った柔らかく、朗らかで、笑い合える彼女たちのおかげで、私の黒潮町での一年はまた、今年も過去一番の充実した一年を更新した。

たくさん、しんどいこともあった一年だった。でも、今、遠く離れた旧友たちに、胸を張って言える。

「『ぽんこつだね、私たち』、そう言い合える友だちが、『話を聞いてほしい』と思う、聞いてくれる、そんな友だちができたよ」

今度久しぶりに神奈川へ帰ったら、高知でできた素晴らしい友だちたちのことをみんなに聞いてもらうんだ。そしてまた、旧友たちとの貴重な時間を満喫して、高知へ持ち帰ってくるんだ。

もちろん、時に友だちになり、娘になり、相棒でいてくれた彼女の存在は
私の2024年に欠かせない。ありがとう、サン。


*ここには書ききれていないですが、他にもたくさんのすてきな女子たちと出会わせてもらいました。全てのすてき女子たちに、感謝です!

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