「コモンズ思考」を発酵させる・2      D.グレーバーの到達点---カンディオロンクの視点と「3つの自由

1. 『負債論』から”The Dawn of Everything”へ

  D.グレーバーが注目を集めるようになったきっけかは、『負債論』の原書の出版のすぐ後でウォール街占拠運動が起きたためだという。グレーバーはこの運動の中心にいて、広場に集まった人々の中には、学資ローンの負担にあえぐ学生や若者が多数いた。広場では、現代社会のさまざまな課題について議論する集まりが延々と重ねられたが、とうぜん負債が重要なテーマの一つになった。『負債論』は、5千年という大きな視野で、貨幣と負債、暴力、奴隷制について考察した著作なので、グレーバーは、この著作の主題について、集会でしばしば語ることになった。

 この運動に参加した若者たちの中から、その後、米国でのさまざまな分野の草の根的運動の担い手となる人が多数生まれてきた。こうした流れとともに『負債論』は、広く読まれる本になっていった。グレーバー自身も、アクティブな若者たちに大きな影響力をもつ存在となった。

 グレーバーはアカデミックな世界では異端児で、型通りの講義は嫌いで、学生たちと自由に議論するスタイルを好んだらしい。さまざまな場所に出かけて行って、議論を交わした。相手を言いまかそうとするディベート的な議論ではなく、やりとりの過程で良い視点や問題を発見するのを楽しむ、対話的精神の持ち主だった。Youtubeに公開されている多数の動画を見ると、早口でユーモラスで、複数の文脈の間を行ったり来たりする重層的な話し方をしている。

 『負債論』の文体にも、集会での討議の際のグレーバーの語り口が反映されていて、きわめて専門的なテーマを扱っているにもかかわらず、さまざまなエピソードが織り込まれ、意表をつく鋭い洞察がたくさん出てくるので、読者を引き込む力をもつ本になっている。

 グレーバーの遺作となった”The Dawn of Everything”は、考古学者D.ヴェングローとの共著で、『負債論』よりさらに古い時代の歴史をテーマにしている。

『負債論』と同様に、きわめて専門的な素材を扱いながら、従来の権威を批判し、新しい大胆なシナリオによって解釈し直そうとしているので、刺激に富んだ書物だ。

『負債論』はユーラシア大陸の歴史であるのに対して、”The Dawn”は農耕が始まる前後の旧大陸の歴史と新大陸の歴史および民族誌とを対比する形で考察している。『負債論』も”The Dawn”も従来の歴史観を批判し、「歴史の新しい語り方」を提示しようとしているのは同様だ。しかし、「歴史の新しい語り方」を踏まえて危機を打開できる新しい社会編成の探究への指針を読みとろうとすると、”The Dawn”の方がヒントに富んでいる。

 『負債論』の場合には、信用取引の時代と金属鋳貨-戦争-奴隷制の時代が周期的に交互にやってくるという捉え方に基づき、1971年の金本位制からの離脱以降の時代を同時代として扱っている。この同時代は大きな転換期なのは明らかだが、どういう転換が起きつつあるのかは、理解するのが難しい。この点について理解する手かがりを得るために、5千年という長期の歴史の考察を企てたとグレーバーは書いている。

 ”The Dawn”でも、今後の社会について、グレーバーたちは何も語っていないのだが、人類史の夜明けの時代についての「新しい語り方」は、おのずから今後の社会への想像力を大きく変化させる。

 太古の時代の史料や民族誌を解読する際に、遡りうるもっとも古い時代から、人々は「政治的自己意識(political self-consciousness)」をもち、周囲のコミュニティと自分たちのコミュニティを比較し、どんな社会編成を試すのがいいかをコミュニティの構成員で討議し、合意形成をしていたと、グレーバーたちは想定している。そうした想定に基づいて、歴史のさまざまな局面で、どのような社会編成の工夫と実験が行われたかを、史料から読みとる作業を執拗に重ねてくれている。
 これが、環境危機に直面する私たちにとって、この危機を克服できる社会編成の組み替えを模索するために、きわめて重要なヒントとなることは間違いない。

 拙著『コモンズ思考をマッピングする』では、補論「D.グレーバー&D.ヴェングロー”The Dawn of Everything”を読む」を設けて、この著作の詳しい紹介を行なった。日本でも、環境危機を克服できる社会編成の組み替えについての議論を急いで行うことが不可欠になっていて、その触媒として、この著作の意義は大きいと判断したからだ。
 気候危機への対応が急がれる状況のもと、この著作の日本語訳が出るのを待ってから、議論をはじめるというのでは遅すぎるのではないかと気を揉んでいたのだが、PARC自由学校の「武藤一羊の英文精読」のように、この著作をグループで読む作業も、一部ではじまっているようだ。

 この稿は、『コモンズ思考』の「補論」の続編であり、”Toward An Anthropological Theory of Value”(2001),『負債論』(原書、2011)、”The Dawn”(2021)をグレーバーの連作と見なして、”The Dawn”に描かれた彼の「到達点」を、一連の作品におけるモチーフの継承、発展という奥ゆきのある構図のもとに位置づける作業を行う。その結果、「到達点」の意味をより深く理解できるようになるだろう。

2. ”The Dawn”の構成の特徴

 『コモンズ思考』の「補論」ですでに、”The Dawn”の特徴的な構成について紹介したが、新たな視点を加えて、もういちど整理し直すことにする。

 D.グレーバーの遺作、D.ヴェングローとの共著 ”The Dawn of Everything” は、『負債論』と同様に文化人類学者の視点から歴史を語り直す試みだが、構成の面では、『負債論』にはなかった際立った特徴をもっている。
  ”The Dawn”の主題は、近年の考古学的研究の成果を活かす「歴史の語り直し」だ。ここ30年くらいの間の考古学的な発掘調査が成果はめざましく、メソポタミア地方を中心とする「農業革命(新石器革命)」についての従来の定説は根本的に覆されるようになっている。しかし、こうした事態を踏まえた従来の定説と異なる大胆な「歴史の新しい語り方」の提案は、歴史学者から出てきていない。

 文化人類学者のグレーバーと比較考古学者のヴェングローは、この課題に挑戦しようということで意気投合した。この二人の共同作業は、アカデミックな研究者たちに対してきわめて挑発的とはいえ、学術的な挑戦といえる。
 しかし、共同作業をまとめた著作”The Dawn”の構成の仕方は、従来の歴史学の土俵の中でそれに対する批判を重ねていくというものではなく、歴史の新たな語り方をするために従来とは異なる新たな土俵を設定してしまうというやり方をとっている。

近年の考古学的研究の成果を踏まえて、人類史の夜明けの時代についての「歴史の新しい語り方」をする際に、ヨーロッパの啓蒙思想家たちと17世紀後半の北アメリカ先住民カンディオロンク(1649-1701)の視点をガイドとする、という大胆な方法をとっている。
 端的にいうと、「歴史の従来の語り方」の原点はフランス革命前後の啓蒙思想家たちにあるのに対して、彼らより少し前に生きてヨーロッパ社会に対する明晰な批判をおこなった北アメリカ先住民のカンディオロンクたちを「歴史の新しい語り方」の原点に据えるという方法をグレーバーたちはとっているのだ。

これはどういうことなのかを整理してみよう。

3. カンディオンクのヨーロッパ社会批判と啓蒙思想家

 17世紀後半の北アメリカでは、先住民とビーバーなどの毛皮を求めてやってきたヨーロッパ人の商人や宣教師などの接触が活発になっていた。フランス人、オランダ人、イギリス人が毛皮を求めて争い、先住民の各部族もそれぞれのヨーロッパ人と手を結んで対立し、激しい戦闘が繰り返えされた。
  軍事的に優位に立ったのは、イロコイ系の5部族連盟で、オランダ人と連携しビーバーの狩猟の要となる場所を支配下におさめた。カンディオロンクは、Wendatの卓越した能力をもつ酋長で、5部族連盟と対立し、軍事的に劣勢にあった。Wendatは5部族連盟と同じイロコイ系だったが、フランスと友好的な関係をもった。

カンディオロンクはカナダに駐在したフランス人の軍人Lahontanと親しくなり、さまざまなことを自由に議論する関係になった。彼は、ヨーロッパ人と接触して、ヨーロッパ人の考え方や社会についてよく理解するようになり、その上で、ヨーロッパ人の社会と北アメリカ先住民社会とを比較して、後者がずっと優れていると主張した。とくに、ヨーロッパ社会では、富を蓄えた者が貧しい者たちを服従させ、支配することを批判した。当時の北アメリカ先住民は商業経済と接触しても富の蓄積を目的にする経済に転ずることはなく、豊かなものが貧しい者を援助する相互扶助は当然の義務とみなした。
 また、先住民社会では、異なるコミュニティ間では暴力的な対立はしばしば起きたものの、コミュニティ内では互いに自立性を尊重し合い、じっくり話し合って意思決定する習慣が根づいているのに対して、ヨーロッパ社会では家庭の中でもコミュニティ内でも暴力によって服従を強いることが当たり前になっていることも、先住民の視点からは倫理的に許容できないことだった。

Lahontanはフランスに帰国した後、カナダでの経験についての本を出版し、その中で、カンディオロンク(偽名に変えられている)との対話について詳しく紹介した。この本はヨーロッパの知識人の間でよく読まれるようになり、カンディオロンクのヨーロッパ社会批判は、J.J.ルソーをはじめとする絶対王政の専制的支配を批判する啓蒙思想家の議論に大きな影響を与えたという。
 
 他方で、先住民にヨーロッパ人が批判されることを居心地の悪さを感じる人も多くなり、先住民社会が自由でいられるのは、彼らの社会が未発達で遅れていて単純だからだという発展段階論がテュルゴーによって唱えられるようになる。
 人類社会は、テクノロジーの進化とともに、狩猟民、牧畜民、農民、都市的商業文明という発展段階をたどっていくというストーリーだ。社会が複雑化するとともに、階層化し、不平等が生まれるのは不可避だという考え方だ。

啓蒙思想家の間では、こうした発展段階論が共有されるようになり、カンディオロンクたちの批判は次第に忘れさられていくことになる。

4.「歴史の従来の語り方」と「啓蒙」

 グレーバーたちがカンディオロンクに着目したのは、彼らのヨーロッパ社会批判を復権させようというだけでなく、彼らと啓蒙思想家たちの緊張関係を浮き彫りにするためだった。
 つまり、アメリカ革命とフランス革命を経て、啓蒙思想家たちの視点が歴史を語る上での原点となっていくわけで、こうして形成された「歴史の従来の語り方」に対抗する「歴史の新しい語り方」を開拓する上で、啓蒙思想家たちと緊張関係にあったカンディオロンクたちをその原点にすることで視点を鮮明にできるとグレーバーたちは考えた。

「歴史の従来の語り方」は、産業革命を通じて産業資本主義を確立し国民国家を形成した欧米の近代化をサクセス・ストリーと見なし、近代化のコースに乗り損った社会は脱落者として扱う。

そして、「歴史の従来の語り方」では、「啓蒙(Enlightenment)」が歴史の決定的な分岐点となっていると考え、「分岐」の結果がアメリカ革命とフランス革命だと見なされる。「啓蒙」とは、合理的な理想に合致するように社会を改革する自覚的な企て、だということができる(“The Dawn”p.495)。
 この分岐点より前の「啓蒙以前」の伝統的社会は、習慣の奴隷であり、人々は、自覚的に行動することはなく、コミュニティや国の権威や聖なるものの支配から逃れられないとみなされける。

5. “The Dawn”における「歴史の新しい語り方」

“The Dawn”における「歴史の新しい語り方」への挑戦の狙いは近年の考古学的な発掘の成果を踏まえて、定説だった「農業革命論(新石器革命論)」を書き換え、人々の想像力を刺激する大胆な新しい歴史像を提案することだった。

「農業革命論」のシナリオは、メソポタミア地方で穀物農耕がはじまるとその文化が急速に拡散し、遊動生活をしていた狩猟採集民が定住し、穀物農耕によって余剰生産力が生まれ、都市・文明・国家の成立が同時に進行したというものだ。
 しかし、ここ30年ほどの考古学的発掘を通じて、こうしたシナリオを覆す事実がつぎづきに明らかになってきた。そもそも穀物栽培がはじまってから、食料生産に適する品種になるまで約3千年という時間がかかっていて、その間に長い過渡的な期間があり、資源利用と社会編成についての多様な試みが現れた。

「歴史の従来の語り方」は、啓蒙思想家のテュルゴー以来の発展段階論の強い影響を受けて、テクノロジーが高度化し社会が複雑化するととともに人々が政府に統治の権限を移譲するようになるのは避けられないことだ、という考え方を前提にしている。

 それに対して、グレーバーたちは、穀物農耕が徐々に浸透していき都市の形成が進む時期の遺跡や史料の分析にもとづいて、こうした先入観を覆す発見が多いことを明らかにしている。例えば、もっとも初期の都市として知られるメソポタミア地方のウルクやインドのモエンジョ・ダロより古い時期のウクライナの都市的遺跡であるメガサイト遺跡は、祭祀センターと見られる複数の遺跡が近接していて、定住民は少数派で、多くの人は周囲の地域に分散するコミュニティで暮らし、祭りの季節にセンターに集まってきたと見られている。メガサイトに住む人たちの間の貧富の差は小さく、ガバナンスの仕組みはボトム・アップ的で支配層の形成も起きていない。

「歴史の従来の語り方」では、「啓蒙」を通じて人類は「自由・平等・博愛」という理想をもつようになり、「啓蒙以前」の人たちはコミュニティや国の支配者に権威に対して批判的な意識をもつことがなかったと考える。
 それとは逆に、グレーバーたちの「歴史の新しい語り方」では、人類史の遡りうるもっとも古い時代から、人々は「三つの自由」をもっていたが、どこかで袋小路に入ってしまい、「三つの自由」が疎遠なものになっていったのではないかと想定する。

「三つの自由」とは、所属するコミュニティから離脱して「(a)移り住む自由」、気に入らないリーダーに「(b)服従しない自由」、今までと違った「(c)新しい社会を形づくる自由」だ。(a)が充たされると(b)は充たされやすくなり、さらに(a)(b)が充たされると(c)が充たされやすくなる、という関係にある。

 グレーバーたちがこうした考え方をとる根拠として、旧石器時代についての考古学的研究と遊動型の狩猟採集民の民族誌がある。遊動型の狩猟採集民では、個人や家族が広域に移動していて、共に行動するグループの中で血縁関係のある人はごく一部であることが多いことが知られている(p.122)。こうしたことから、時代を遡るほど、個人・家族が広域に移動し、「(a)移り住む自由」をもっていたという想定が導かれている。

  また、穀物栽培が浸透しつつある時期のメソポタミア地方の考古学的歴史的研究と北アメリカ先住民の民族誌的研究の比較などを踏まえて、人類史の夜明けの時代から、人々は「政治的自己意識(political self-consciousness)」をもっていたという考え方をグレーバーたちは提唱する。
 つまり、あるコミュニティの周囲には異なる社会編成をもつコミュニティが併存していて、つねに自分たちのコミュニティと他のコミュニティを比較し、自分たちのコミュニティは何を重んじるのかを討議を通じて確認し、その価値を維持しようとするのが「政治的自己意識」だ。「(c)新しい社会を形づくる自由」のベースになるのがそれぞれのコミュニティの「政治的自己意識」だということができるだろう。

こうしたグレーバーたちの想定が的確かどうかは、今後の考古学的、文化人類学的な研究の深化とともに、検証が重ねられることになるだろう。

「歴史の新しい語り方」はこのような特徴をもっているが、カンディオロンクの視点がなぜこうした語り方の原点としてふさわしいのかというと、彼らがかなりの程度「三つの自由」をもっていたと考えられるからだ。

北アメリカ先住民は言語や文化の異なるきわめて多様なグループに分かれているが、親族制度のクランのシステムの基本は共通しているのだという(p.457)。そのため、先住民の個人や家族はどこに行っても、言葉や文化が違っても自分たちを歓待してくれるクランに出逢えるので、広域に移動することが可能だった。ということで「(a)移り住む自由」をもっていた。

北アメリカ先住民は(とくにイロコイ系)個々人の自立性を尊重するので、リーダーは共同の企てを行う時には、メンバーに参加するように説得はしても命令することはしない。「(b)服従しない自由」が尊重されていることになる。

カンディオロンクたちイロコイ系の先住民は、コミュニティにおける自由な討議を通じての合意を重視する文化をもつが、こうした考え方は、先住民の過去に専制的支配の帝国を経験したことがあり、その忌まわしい経験への反省をもとに、自由な討議を重視するようになったことが”The Dawn”の最後に近い章で明らかにされている。つまり、「政治的自己意識」を通じて、コミュニティがそうしたガハナンスを選んでいるわけだ。

6.三著作のモチーフの継承・発展のパースペクティブ(奥行きのある構図)

 冒頭に述べたように、”Theory of Value”,『負債論』、”The Dawn”を一連の著作と見なして、”The Dawn”におけるグレーバーの到達点(「カンディオロンクの視点」と「三つの自由」に要約される)を3作の間のモチーフの継承・発展という奥行きのある構図の中に位置づける作業をすることが、この稿の課題だ。

 “The Dawn”から遡って、前の2著作を読んでいくと、”Theory of Value”では、たくさんの民族誌をとりあげて威信財の循環や価値についての比較がおこなれているが、その中でイロコイ系の社会の民族誌がとくに意義をもつ社会として別格の扱いがされていることがわかる。しかし”Theory of Value”で焦点が合わせられているのはイロコイ5部族連盟で、カンディオロンクが酋長だったWendatはこの連盟とは敵対関係にあった。とはいえ、どちらもイロコイ系の人たちなので、大まかに見ると共通の文化をもっていた。

 また、“The Dawn”では、啓蒙思想家たちが「歴史の従来の語り方」の原点とみなされるのに対して、カンディオロンクたちが「歴史の新しい語り方」の原点として位置づけられる、というように、両者の緊張関係が構成上の要になっている。他方、”Theory of Value”では、イロコイ5部族連盟の平和構築の文化と啓蒙思想家のうちホッブスの社会契約説が対置されていて、類似した構図になっていることがわかる。

 つまり、“The Dawn”における「カンディオロンク⇔啓蒙思想家」と”Theory of Value”における「イロコイ5部族連盟⇔ホッブス」が対応する関係になっている。

『負債論』では、モースが『贈与論』で描いた、貴重な威信財の循環によってコミュニティが結びつけられる社会を、後述するように「人間経済」と「社会的通貨」というキーワードを使って考察している。そして資本主義的な商業経済に巻き込まれるとき、「人間経済」にどのような変質が起きるのかという問題が主要なテーマの一つになっている。
 こうした『負債論』のテーマとの関連で見ると、“The Dawn”におけるかカンディオロンクたち北アメリカ先住民は、商業経済と遭遇して変質しつつある「人間経済」の事例でもある。

 という意味では、“The Dawn”における「カンディオロンク⇔啓蒙思想家」は、『負債論』における「人間経済⇔商業経済」に対応すると見なすことができる。

  そして、『負債論』における「人間経済」と「社会的通貨」という概念は、”Theory of Value”においてグレーバーが文化人類学の多数の文献の解読を通じて試みた、商業経済の影響の小さい社会での経済的、政治的、儀礼的、美的な「価値」についての理論的研究の作業の成果を要約するものといえる。

  さらに、”Theory of Value”と『負債論』の構成のベースとなっているのは、モースの『贈与論』なので、モチーフの継承・発展の構図を描く上でもこの著作が重要だ。

 一連の著作におけるモチーフの継承・発展のパースペクティブを描くには、以上のような視点が基本になる。

 まず、モースの『贈与論』についての検討からはじめて、『負債論』における「人間経済↔︎商業経済」をとりあげ、つぎに、”Theory of Value”の「イロコイ5部族連盟↔︎ホッブス」の意義を考え、それらを踏まえた時に、“The Dawn”における「カンディオロンク↔︎啓蒙思想家」の関係がどのように見えてくるかを探っさていくことにしよう。

7.モース『贈与論』の構図

” Theory of Value”,『負債論』の2作における啓蒙思想や近代の社会理論と国家なき社会の人々の思考の対比のベースになっているのは、マルセル・モース『贈与論』の論述だ。
 グレーバーが” Theory of Value”、『負債論』の探究を進める上で社会科学の先達としてモースにもっとも信頼を寄せた。

 モースは社会主義者として、資本主義社会の経済的な動機だけを重視するホモ・エコノミカス的人間観を批判し、来るべき社会主義の社会におけるモラルの役割に強い関心をもった。そして、利己心を人間の本性だと見なす近代の社会理論を批判するものの、来るべき社会のモラルとして極端な利己主義を裏返しにした極端な利他主義を期待することも不適切だと考えた。
 人々がさまざまな社会集団、コミュニティに参加することを通じて人々の協力関係や相互扶助が生まれてくるので、個々人の利己的な動機とさまざまな社会集団・コミュニティの一員としての動機がうまく組み合わせられる社会を模索していく必要があると、モースは考えた。
   こうした多元的なモラルからなる社会が健全だというモースの考え方に対して、グレーバーは強い共感をもったようだ。

 ホッブスとアダム・スミスに代表される近代の社会理論は、「自然状態」などの架空の状態から出発し、社会契約や市場経済を導き出す。両者とも、人間の本性は自己利益の追求だという認識を前提にしている。

それに対して、モースの『贈与論』では、マリノフスキー、F.ボアズなどの民族誌を利用して、国家なき社会の贈与や交換は、近代社会の利己的な動機という概念ではまったく説明できず、さまざまな非経済的な動機にもとづいていることを明らかにした。こうした作業を通じて、近代の社会理論が前提にしている架空の物語と人間の本性についての認識が事実に反することを示すことができた。

 こうした『贈与論』を踏まえてモースが批判したのは、功利主義とホモ・エコノミカスという近代の一元的な人間観だ。国家なき社会の贈与などの考察で明らかになったのは、個々人のモティベーションのうちコミュニティの一員として他のメンバーにどう評価されるかがもっとも重要だということだ。
 実際には、近代社会においても、個々人は利己的な動機だけで行動するわけではなく、さまざまなコミュニティに属しコミュニティへの貢献が大きな動機になっている。ところが、近代の社会理論は、利己的な個人という前提に執着する傾向がきわめて強い。そうした歪みを批判し、バランスの回復をはかっていくことをモースはめざした。

 グレーバーの” Theory of Value”から『負債論』にいたる探究は、こうしたモースの枠組みを踏まえる形で進められている。

8. ” Theory of Value”

 ” Theory of Value”は、文化人類学における価値についての研究を整理し直し、世界変革に対する知識人のペシミステックな姿勢から脱却する手がかりを提供しようとする試みだ。
 経済学的な価値、言語学的な価値と文化人類学が扱う政治、儀礼、美などの価値の関係をどう考えればいいかという問題についての理論的な研究だ。マルクスの経済学、ソシュールの言語学の価値の概念が議論の柱の一つになっている。

 この著作では、そうした理論的な関心と、モース『贈与論』再考というテーマが重ね合わせられている。つまり、モースが『贈与論』で利用したトロブリアンド諸島やポリネシア、北アメリカ北西海岸などの民族誌については、その後の研究成果が集積され、それらを活用して、モースの洞察が的確だったのはどのような点か、仮説の修正が必要なのはどのような点かを検討することが必要になっている。” Theory of Value” でグレーバーはそうした作業を行なっている。

  そして、この著作の結論部分は、マルクスとモースを対比する考察になっている。マルクスは、資本主義社会に対する経済学な視点からの批判の作業に集中し、社会主義社会を支えるモラルはどのようなものになるべきかという点については、口を閉ざした。他方、モースの比較民族学的研究は、社会主義社会を支えるモラルを探ろうとする関心に根ざしていると、グレーバーは考えている。

9. 『負債論』の構成

『負債論』の構成は、グレーバーのそれまでの文化人類学研究の再考と言える部分が 5,6章にあり、その後の8-12章で相対的に平和な信用取引の時代と金属鋳貨-戦争-奴隷制の時代の周期的な交替という視点からの5千年の歴史が考察される、という形になっている。
  6章は、” Theory of Value”の考察の要点を整理し直したものと言える。

 モースが『贈与論』でとりあげたトロブリアンド諸島のクラ交易のような、国家なき社会における貨幣に似て非なるものの循環を通じて維持されているシステムに、6章で「社会的通貨(social currencies)」と「人間経済(human economies)」という新たな名前を与えている。「社会的通貨」という言葉は、従来使われてきた誤解を招く「原始貨幣(primitive money)」という用語を置き換えたものだ。

 例えばクラ交易では珍しい貝の腕輪や首飾りなどの貴重な財がコミュニティからコミュニティへと循環し、一見、貨幣に似ているように見えるが、その役割はコミュニティ間の信頼関係を維持することにある。

 商業経済における貨幣は、あらゆる取引を媒介する「一般的等価物」という抽象化された価値をもつようになるのに対して、「社会的通貨」にはそれを元々持って人物やコミュニティの物語や記憶などが付着しているなど、特種な価値を帯びている。
 商業経済の貨幣はその流通によって経済的な取引を媒介し、貨幣による決済の後には売り手と買い手の関係は消去されるのに対して、「社会的通貨」はコミュニティの内部やコミュニティ間を循環して、社会的な結びつきを補強する。「社会的通貨」によって結ばれるシステムをグレーバーは「人間経済」と呼んでいる。

 商業経済の関心は「富の蓄積」であるのに対して、「人間経済」の主要な関心は「富の蓄積ではなく、人間存在の創造と破壊、再編成である」(『負債論』p.199)という言い方をグレーバーはしている。「人間経済」では、さまざまな儀礼などを通じて、世代間、コミュニティ間で価値や美をめぐるコミュニケーションを重ね、人間存在を再創造し、社会を再編成していくことが主題となる、ということだろう。

 しかし、「人間経済」という用語は、「これらの社会がそれ以外の社会よりも必然的に人間的である」ということを意味するわけではないと、グレーバーは断っている。「人間的な社会」もあれば、「すさまじく暴力的な社会」もある。

 「人間経済」における「社会的通貨」は対価の支払いの手段ではなく、あるメッセージを伝える媒体という役割を担うことが多いようだ。

 「社会的通貨」についてのそうした解釈のよい例となるのが、「人間経済」における「花嫁代価(bride-price)」あるいは「婚資(bride-wealth)」についての人類学者フィリップ・ロスパベの考え方だ。
  例えば、求婚者の家族が女性側の家族に、犬の歯、タカラガイなど通用している社会的通貨を贈り、贈られた側は娘を花嫁としてさしだす。こうしたやりとりが、女性の売買として解釈されやすいのは当然だ。実際、20世紀はじめのアフリカやオセアニアの植民地官吏はそうみなし、国際連盟で、奴隷制の一形態として禁止すべきかどうかが議論されているという。

こうした誤解は、商業経済における貨幣と「人間経済」における「社会的通貨」を同一視してしまうことから起きる。ロスパベはナイジェリアのティブ族の婚資の研究を通じて、「社会的通貨」は花嫁への代価という機能をもつことはなく、「通貨によっては清算不可能な負債の存在を承認する」メッセージだと解釈している。

「ロスパベによると、ティブ族はあらゆる花嫁代償の横行の基底に伏在する論理をはっきりさせただけである。求婚者が花嫁代償を贈るにしても、当該女性に対する支払いでは決してないし、彼女の子供に対する権利の支払いでもない。このことが示唆しているのは、人間経済の論理において、真鍮棒や鯨の歯やタカラガイはもとより、牛さえも人間の等価物とみなすのは不条理であるということである。ある人間の等価物であるとみなしうるのは、もうひとりの人間のみである。------通貨は負債を清算するためではなく、通貨によっては清算不可能である負債の存在を承認するために贈られる。」(p.203)

 つまり、奴隷商人たちは、アフリカの人間経済に、大量の債務者を生み出す仕組みを組み込んでいった。

「注目すべきは、こうしたこといっさいが、すなわち、身体の抽出や切り離しが、人間経済の諸機構を通しておこなわれた、ということである。人間の生命こそが比類なき究極の価値であるという原理にもとづいている人間経済の諸機構を通してである。すべてのおなじ制度—通過儀礼の報償も、罪とその賠償の計算法も、社会的通貨も、負債による人質も—が、対立物へと反転したのである。あたかも機械が逆方向な作動しはじめたかのように。ティブ族が感知していたように、人間存在を創造するために考案された歯車と装置が、おのれにむかって衝突し、人間存在を破壊する手段と化したのだ。」(p.235-236)

10.イロコイ社会の「人間経済」と「社会的通貨」 

 大づかみには、”Theory of Value”と『負債論』の構図は、モースの『贈与論』の構図を引き継いだもので、その俎上での議論の素材の更新を、モースの時代以降の民族誌研究の成果を踏まえて行なっている、ということができる。

 近代の社会理論が自然状態のような架空の前提から功利主義的な経済学や社会契約説を導くことに対してモースは批判を試み、民族誌の解読をその拠り所とした。民族誌を解読すると、国家なき社会の人々の行動は、近代の社会の理論が人間の本性と考える自己利益の追求からは遠く隔たっていることを明らかにできる。

 『負債論』では、『贈与論』で考察された貴重な財のやりとりを通じて形成される社会的な関係が「社会的通貨」と「人間経済」という用語で整理され直されている。そして、『負債論』では、商業経済に巻き込まるとき「人間経済」がどのような変質をこうむるかという例の一つとして、ヨーロッパの奴隷商人と出逢ったときのアフリカの「人間経済」が奴隷を送り出すシステムに転じてしまったことが指摘されている。

 それに対して、カンディオロンクの時代の北アメリカ東岸の先住民の場合は、ヨーロッパ人の商人と接触し商業経済に巻き込まれたものの、コミュニティの内部では「人間経済」のモラルが維持され続けていた。毛皮交易によって、イロコイ社会にヨーロッパ人が生産した財がたくさん流入したが、それらが個人や家族の富の蓄積という形をとることはなく、コミュニティの富として蓄えられ、祭りなどの機会のコミュニティ間の盛大な贈り物に使われた。

 カンディオロンクと同じイロコイ系の先住民ではウォムパムという「社会的通貨」が重視され、その話は『負債論』でもとりあげられている。しかし、ウォムパムについてのより詳細な考察が、”Theory of Value”の第5章”Wampum and Social Creativity among the Iroquois”にある。つまり、”The Dawn”におけるカンディオロンクの視点の背景となる、イロコイ系先住民の「人間経済」と「社会的通貨」についての検討が20年前に発表された著作で行われていたわけだ(「人間経済」と「社会通貨」という用語はまだ使われていなかったが)。

 ウォムパムとは、珍しい石や貝殻、ガラス玉などで作った首輪やベルトだ。ヨーロッパ人が北米大陸の東海岸にやってきてから、先住民からビーバーなどの毛皮を購入する交易が活発に行われた際に、ウォムパムは通貨として使われた。ヨーロッパ人の植民者の間でも、ウォムパムが通貨として流通した。ウォムパムはヨーロッパ人との交易では商業経済の貨幣として機能したのに対して、イロコイ系などのコミュニティの内部では「社会的通貨」として機能した。
 ウォムパムは「社会的通貨」として多面的な役割をもっていたが、なかでも、紛争を抑止し平和を維持するためにコミュニティ間で協約を結ぶ際にメッセージを記す媒体として重要な役割をはたした。というのも、当時の東海岸の先住民の間では、グループ間でたえず激しい戦闘がくりかえされていたので、それだけに平和を維持する仕組みをつくることが重要だった。

 フランス人、オランダ人、イギリス人などヨーロッパ人の商人がやってきて先住民からビーバーなどの毛皮を入手すべく競い合い、先住民の各部族もそれぞれ異なるヨーロッパ人と提携し、狩猟と交易の有利な地点を確保すべく争った。1641-49年のビーバー戦争では、オランダ人と連携し銃を入手したイロコイの5部族連盟(Onondaga, Oneida, Seneca, Mohawk, Cayuga )がフランスと組んだHuronの町を破壊して、交易の独占的な地位を確保するようになった。
 カンデォロンクは、戦闘に敗れたHuronの酋長だった。5部族連盟とは敵対していたが、同じイロコイ系に属していた。

  5部族連盟は好戦的な人たちとして周囲から恐れられていたが、反面で、平和な関係の構築を重視する文化をつくっていた。その媒体としてウォムパムが重要な機能を果たした。といっても、ウォムパムには、戦闘を促す機能と平和を促す機能という矛盾する両面性をもっていた。

 まず、ウォムパムが戦闘を促すのは、ある個人の人格とウォムパムが密接に結びついていて、その人物が亡くなったとき、跡を継ぐ人物はウォムバムとともに、その人格を引き継ぐという考え方があるためだ。亡くなった人物が他のグループによって殺された場合、跡を継ぐ人物は復讐を企てなくてはならないという気持ちになりやすい。

 イロコイ系の社会では、個人のアイデンティティを支える要素として名前とウォムパムが重要な機能をもっていた。コミュニティは名前の一定の数のストックをもっていて、コミュニティに生まれた者や加わる者に、その中からある名前が割り当てられる。他方、ウォムパムはコミュニティにおけるさまざまな役職、地位を示す徽章という役割をもつ。
 あるコミュニティの勇敢な酋長がAという名前と酋長を示すウォムパムをもっているとする。彼が殺されて、別の男が後を継ぐとすると、Aという名前と酋長のウォムパムを引き継ぐ。それとともに、元の酋長の人格が復活すると考えられるので、殺された酋長の恨みも引き継がれ、後継者が前任者の復讐をしようという気持ちも強くなるわけだ。

 ウォムパムの形はベルトや布のような細長い長方形だ。織物の経糸にあたる糸を張っておいて、緯糸を左右に往復させる時に穴をあけた貝や石を織り込んでいく。貝や石は白い色のものと黒っぽい色のものがあり、後者の配列の仕方によって、ウォムパムにメッセージを組み込むことができる。イロコイ系の社会では、ウォムパムのこうしたメッセージを伝える媒体となりうる側面を活かして、紛争の拡大の抑制と平和構築の機能が発達した。

 C部族の男とD部族の男の間に諍いがおき、前者が後者を殺してしまったとす。放っておくと、D部族が相手に対して復讐の襲撃を起こすことになってしまう。そうなる前に、両方の部族の評議会が和解のための調停に動く。丸くおさまるためには、加害者の男が罪を償う意思を示し、その一族が謝罪のメッセージを込めたウォムパムを被害者側の一族に贈り、被害者側がそれを受けとることが必要だ。
 婚資が花嫁の代価の支払いではないのと同様に、ウォムパムは決して被害コミュニティに対する賠償金の支払いではない。償うことが不可能な人命を奪ったことを真摯に詫びるメッセージを伝えるためにウォムパムが贈られる。

 さらに、イロコイ系社会では、コミュニティ間で戦闘を防ぎ、平和な関係を維持するための協約を結び、そのメッセージを記したウォムパムを交換して、それを保管するという文化が発達している。5部族連盟を結成し、それを長く維持することができたのは、そうした文化に支えられたからのようだ。

「連盟(league)のイコロイ語は「平和」を意味する。創造者たちによって、全体としての政治機関は殺人をともなう争いを解決する手立てとみなされた。Leagueは、政府でも連盟でもなく、復讐を防ぎ、5つのクニ(nation)の間の調和を維持することを可能にする一連の条約に他ならない。イロコイは、侵略的な戦士という評判にもかかわらず、政治的行為の本質は平和構築にあると考えていた。」p.125

11.イロコイ社会のガバナンス

 このように、イロコイ系の社会では、5部族連盟という形のかなり規模の大きい政体が生み出されたわけだが、そのガバナンスの特徴に触れておこう。

イロコイ系社会は、母系制で妻方居住(結婚すると夫が妻の家に住む)だ。意思決定機関である評議会が多層的になっていて、ロングハウス、村、クニ(nation)、連盟の各レベルに評議会がある。

 重要な特徴の一つは女性の果たす役割がきわめて大きいことだ。ロングハウスの評議会は女性たちに委ねられている。食料について女性たちが全面的に管理し、婚入してきた男性のうち身勝手な奴を追い出すこともできる。村のレベルでは、男性と女性の評議会がある。連盟のレベルになると女性たちの権限は拒否権という形になる。各レベルの評議会では、時間をかけた討議による合意形成が重視される。役職者は構成員から選出され、物質的な報酬はなく自分の意思を他のメンバーに強いる強制力を持っていない。きわめて平等主義的なガバナンスといえる。

このように、3著作を通じてのモティーフの継承・発展という奥行きのある構図の中にカンディオロンクとイロコイ系の社会をおくと、商業経済に遭遇しながら「人間経済」と「社会的通貨」の機能を創造的に発展させた典型的な例となることがわかる。

12. イロコイ社会の平和構築とホッブスの社会契約説

つぎに、“The Dawn”の「カンディオロンク⇔啓蒙思想家」に対応する ”Theory of Value”における「5部族連盟⇔ホッブス」をとりあげることにする。

”Theory of Value”でイロコイ系による5部族連盟の創成が啓蒙思想家のうちホッブスの社会契約説に対するきわめて効果的な批判となっているということをグレーバーは強調している(”Theory of Value” chap.7)。

上述のように、モースは『贈与論』で、民族誌の解読を拠り所にして、ホッブスやアダム・スミスに代表される近代の社会理論の論法(自然状態のような架空の前提から出発して集権的国家の不可避性や市場経済を導く)の批判を試みた。国家が形成される前は、ホッブスのいうように利己的な個人どうしの果てしない争いがあったわけではなく、国家が出てくるずっと前から、人々の間には「アルカイックな形の社会契約(archaic form of social contract)」があったとモースは考えた。つまり、交渉と合意を通じて社会秩序をつくる能力を人々はずっと保有してきた、という考え方だ。

 イロコイ系の平和構築の文化と5部族連盟は、モースのめざしたホッブス批判の良い拠り所となると、グレーバーはいう。カンディオロンクの時代の東海岸の北アメリカ先住民は、毛皮交易が絡んで、グループ間で復讐が復讐をよぶ激しい戦闘をくり返していた。これは一見、ホッブスの果てしない戦いに似ているようにも見える。しかし、ホッブスの自然状態とは重要な違いがある。
 北アメリカ先住民の戦闘は、ホッブスの場合のように利己的な個人どうしの戦いではなく、コミュニティ間の戦いだという点だ。そして、コミュニティ内部では、暴力によって服従を強いることは倫理に反する行いであり、許されない。

さらに、イロコイ系の社会は上述のように平和構築を重視する文化をもち、5部族連盟のようなかなり大きな政体をつくり出し、それを長く維持することができた。北アメリカ先住民の社会では、部分的ではあれ、コミュニティ間の果てしない争いを克服し、上位のコミュニティをつくっていくことができたのだ。
 この政体は下部のコミュニティの自治をベースにし、上位の階層は意思調整機能をもつが、決定を構成員に強いる強制力はもたない。ホッブスの社会契約説のような国家ではない。

 つまり、小規模で単純な社会ではカンディオロンクのいうような自由が可能かもしれないが、複雑で規模の大きい社会になると、強制力をもつ国家に権限を委ねることが不可欠だと、啓蒙思想家たちは主張したが、イロコイの5部族連盟の経験は、こうした議論に対する事実に基づく反論となっている。

 ”The Dawn”では、「複雑で規模の大きい社会では集権的な国家が不可避になる」という主張は、テュルゴーの「発展段階論」の論旨として扱われている。しかし、ホッブスの社会契約説も、こうした主張を支える重要な論拠になっていると思われる。そのためカンディオロンクの視点から「複雑で規模の大きい社会では---」という議論に反論しようとする場合、”Theory of Value”で考察されている5部族連盟の平和構築の文化を踏まえたホッブスの社会契約説への批判は、きわめて効果的な反論の一つになることがわかる。

 「歴史の従来の語り方」では穀物栽培の浸透と「複雑で規模の大きい社会では集権的な国家が不可避になる」という認識を短絡されてきたが、グレーバーたちの「歴史の新しい語り方」では、穀物栽培が浸透する過渡期には、さまざまな社会編成の実験が出現したことを強調し、それを示すたくさんの事例についての考察を重ねている。こうした議論が”The Dawn”の幹となっている。

 こうした点からも「複雑で規模の大きい社会では---」という啓蒙思想家たちの主張に対するカンディオロンクの視点からの批判は、グレーバーたちにとってきわめて重要だったと考えられる。”The Dawn”では、”Theory of Value”に書いた5部族連盟の視点からのホッブス批判に言及していないのだが、これを想い起こしておくことによって、カンディオロンク側の議論をずっと説得的にできると考えられる。

13. グレーバーが深く関わった政治運動とカンディオロンクの視点 

 カンディオロンクの視点を原点にした「歴史の新しい語り方」を踏まえると、未来の社会の可能性についても、当然これまでと違った光景が拓けてくるが、この点については“The Dawn”では何も触れられていない。著作の役割は、読者の政治的想像力を刺激することにあるとグレーバーたちは考えていたので、「歴史の新しい語り方」を未来の社会についてのインスピレーションにつなげるプロセスについては、読者に委ねているのだろう。

 他方で、グレーバーが“The Dawn”を通じて語りかけている読者の中で、活動家としての彼が深く関わってきた政治運動、社会運動の渦中にいる人たちが重要な位置を占めることも確かなのではないだろうか。そうした人たちにとっては、原点としてカンディオロンクの視点を選んだことによって、“The Dawn”の「歴史の新しい語り方」が心に強く訴えるものになったと思われる。

 グレーバーが深く関わった人たちの中には、例えばメキシコのサパティスタ運動への参加者やシリア北部ロジャヴァの活動家たちがいる。こうした現代の先住民や少数民族の人たちにとって、カンディオロンクはいわば先輩のように見えるだろう。啓蒙思想家たちを原点とする「歴史の従来の語り方」を批判する「歴史の新しい語り方」が先輩の視点を原点にして提示されると、強いインパクトがあるに違いない。

 グレーバーが中心にいたウォール街占拠の運動には多数の若者たちが参加したが、この運動を、サパティスタやロジャヴァのような活動と国家の枠を超えてつなけて行きたいと彼は考えていただろう。
 つまり、サパティスタは自分たちの勢力圏に解放区をつくっているが、国家とは交渉せず、政党とも関わりを持たず、国民国家の枠組みの外に出て、同様の考え方を持つ運動体との横の連携をめざしている。ロジャヴァの活動に強い影響力をもつPKKのオジャランも、自分たちが掲げてきたクルド人国家の建設という目標を撤回し、自治的コミュニティをベースとした民主的連合主義をめざすようになっている。
 ウォール街占拠も、政府や政党への要求を掲げて実現を迫るという考え方をとらず、そこに集まった人たちが自由な討議を重ねて直接民主主義的な意思決定ができる実験的な解放区をつくる企てだった。実際、この運動に参加した人たちの中から、その後のさまざまな草の根的な運動の担い手がたくさん育っている。

『コモンズ思考』の中で述べたように、国民国家や資本主義的企業のガバナンスをD-O(支配と服従)ガバナンスと呼ぶとすると、サパティスタ、ロジャヴァ、ウォール街占拠運動に共通するガバナンスの考え方はP2P(同等者間)ガバナンスと呼ぶことができる。P2Pガバナンスは、自治的コミュニティと自主管理事業体をベースにして上位の評議会のような意思調整機関をつくっていくが、上位の機関と末端のコミュニティ、事業体の間の関係が支配と服従に転じるのを防ぐために、さまざまな工夫を重ねていく。

 ウォール街占拠運動とサパティスタ、ロジャヴァの活動にはこうした共通項があるが、高所得国の若者たちにとって、カンディオロンクの視点からの「歴史の新しい語り方」を受け容れるには、かなりの葛藤をともなう場合が多いだろう。というのも、カンディオロンクの視点は、啓蒙思想家たちと対峙しているが、右であれ左であれ欧米のさまざまな思想的な潮流のほとんどは啓蒙思想家の思考とアメリカ革命、フランス革命の経験を原点としているからだ。

  しかし、カンディオロンクの側から見ると、「啓蒙以前」の人たちは、批判的な思考や「political self-consciousness(政治的自己意識)」をもっていないという啓蒙思想家たちの認識は馬鹿げている。
「歴史の従来の語り方」と不可分なヨーロッパ中心主義から脱却するには、近代社会の原点となっている啓蒙思想に対する根本的な批判が不可欠だと、グレーバーたちは考えるようになったのだろう。そのために、カンディオロンクの視点が強調されることになった。

14. P2Pガバナンスと「三つの自由」

 ”The Dawn”において「三つの自由」という用語が「歴史の新しい語り方」の要の一つとなっていて、啓蒙思想家たちが「啓蒙以前」の人たちは無知蒙昧で、とうぜん自由ももたないと考えるのに対して、グレーバーたちは歴史を遡るほど、人々は広域に移動し「移り住む自由」をもち、それだけでなく、太古の人たちはかなりの程度、「三つの自由」をもっていたと考える。しかし、人類史のどこかの段階で、行き詰まり袋小路に入ってしまい、「三つの自由」と疎遠になってしまう場合が多くなったとする。

 今後の社会と「三つの自由」の関係についても、”The Dawn”にはとくに言及がないが、グレーバーたちは、今後の社会のあり方を探っていく上で、「三つの自由」が基本的な指針になると考えていただろうと推測できる。

 グレーバーが深く関わった社会運動、政治運動は、上述のように、D-Oガバナンスが支配的な海の中にP2Pガバナンスが支配的な島々を増やして、徐々に大陸をつくっていこうとする試みだということができる。
 そして、『コモンズ思考』でとりあげたP2Pガバナンスをめざす運動の多くでは、参加するメンバーたちがP2Pガバナンスの領域とD-Oガバナンスの領域の両方を跨ぐ形で暮らしている。例えば、スペインのCIC(Catalan Integral Cooperation )のメンバーは、CICの地域通貨を使って最低限の暮らしに必要な資源を入手できるが、それに加えて景況次第でユーロを稼げる仕事もする、というように、人々は異なるシステムの両側を行き来している。
 P2Pガバナンスを支持する人たちは、こうした異質なシステムの併存を是認しながら、徐々に、P2Pガバナンス優位の方向にバランスを変えていくことをめざしている。

 P2Pガバナンスをめざす運動と「三つの自由」の関係を考えると、コミュニティにおいては、「(b)服従しない自由」と「(c)新しい社会を形づくる自由」は尊重される。しかし、運動体を維持するためにメンバーが苦しい生活に耐えなくてはならないような状況下では、脱落者を防ぐためにD-Oガバナンスが発生することになりがちだ。そうした事態を防ぐには、メンバーたちが多様な選択肢をもち、自発的な選択によって運動に加わっているといえる条件を保障する必要がある。その意味で「(a)移り住む自由」が重要になる。

 そうした文脈から、グレーバーが深く関わった運動うちで、周囲のD-Oガバナンスの領域との間に壁があるように見えるサパティスタ運動の場合、「(a)移り住む自由」がどのように扱われているのかについて、検討してみよう。

 サパティスタ運動が、米国に出稼ぎに行くことを希望する人たちにどう対処しているか、という問題を論じたAlejandra Aquino Moreschiの論考の要点を紹介しておく(“Between the Zapatista and American Dreams : Zapatista Communal Perspectives on Migration to the United State”)。

2000年頃から、メキシコから米国への移住や出稼ぎが盛んになり、サパティスタの解放区があるチアパスでは特に多数の人が米国との接触をもつようになった。サパティスタの影響力の強い地域でも、サパテイスタ傘下ではない村の人々が多数、米国に移住したり、出稼ぎに行ったりするようになり、米国の製品やファッション、映画、音楽などがどんどん持ち込まれようになった。また、米国に移住したメキシコ人のネットワークがしっかりできあがって、入国しやすくなっていった。

 それとともに、サパティスタ運動に加わっている村でも、米国に行ってみたいという憧れをもつ若者が増えてきた。「子供を米国に移住させて仕送りをさせて家を建てたい」と集会で発言する親が出てきたりした。

 こうした動きについて、当初、サパティスタ運動の中心的な担い手たちは、運動に対する大きな脅威だと感じ、米国への移住を希望する若者は運動からの逃亡だと主張した。解放区の村では、メンバーたちの共同作業によって行われる事業が多く、若者が減ってしまうと、そうした事業が維持できなくなってしまう危険があるからだ。

 他方、移住を希望する人たちにとっても、移住の結果、コミュニティの構成員から除外されてしまうのは避けたいことだった。米国で働いて、さまざまな経験をしてみたいという望みを充たすとともに、コミュニティとのつながりを保ち、コミュニティへの貢献もしたい、と考える人が多かった。

 時間の経過とともに、米国に行ってみたいという若者たちの気持ちが強まっていくのは、押しとどめようがない流れだと、運動の中心的な担い手たちも判断するようになっていった。若者のたちの希望を充たすとともに、運動への悪影響を防ぐような妥協策が模索されるようになった。一つは、1-5年というように、期間を区切って若者たちが米国に働きに行けるようにすることだった。もう一つは、若者が米国に行っている間、コミュニティでの共同作業に参加できないことへの埋め合わせとして、コミュニティに一定額の送金をさせることだった。こうした妥協策によって、若者たちが一定期間、米国に行って働き、さまざまな経験をできると同時に、コミュニティの一員としての資格を維持できるようになっている。

サパティスタ運動では、このように限定された形で、「(a)移り住む自由」が認められているようだ。これが、今後、サパティスタのP2Pガバナンスの発展にどのような影響をもつか、注目に値するだろう。

参照文献

David Graeber “Toward An Anthropological Theory of Value” Palgrave Macmillan 2001

David Graeber “Debt: The first 5,000 years” Melville House, 2011(邦訳、酒井隆史監訳『負債論』以文社)

David Graeber & David Wengrow “The Dawn of Everything---A New History of Humanity” Allen Lane, 2021

Marcel Mauss “The Gift : The form and reason for exchange in arcahaic societies”

Alejandra Aquino Moreschi “Between the Zapatista and American Dreams: Zapatista Communal Perspective on Migration to the United State”2009a




 


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