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【第82回】教育を受ける権利① #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


1. 不可解な社会科の教科書

憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定め、2項で、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と定めています。

教育を受ける権利というのは、国家に対して合理的な教育制度・施設を通じて適切な教育の場を提供することを要求する権利ですから、国家に対して作為を請求する社会権としての性質を持ちます。

ところで、不思議なことに中学生、高校生には、1項の「教育を受ける権利」よりも、2項の「子女に普通教育を受けさせる義務」のほうが有名なようです。なぜなら、社会科(公民とか、政治経済のたぐいの教科)の教科書に、基本的人権とともに、子女に教育を受けさせる義務、勤労の義務と納税の義務が規定されている、という叙述があり、定期試験などでも出題されることもあるらしいからです(明治憲法時代と同じように「三大義務」と紹介しているテキストもあります)。

私には社会科の教科書の執筆者がどのような意図でこのようなことを記述しているのか理解ができません。のみならず、戦前の社会科の教科書の蒙古斑のようにも感じられます。

2. 第三章「国民の権利及び義務」規定の意味

明治憲法には、教育の義務とともに兵役の義務と納税の義務の規定があり、臣民の三大義務とされていました。明治憲法時代には、個人は国家のために奉仕すべき存在だったといっても言い過ぎではないでしょうし(「滅私奉公」の時代)、「人権」も、お上から与えられたものだったのだとすると、義務の規定があることも当然だったのかもしれません。

しかし、憲法の歴史で見てきたように、天賦人権思想や、自然法思想に影響を受けた近代憲法における人権の保障のあり方というのは、自由や権利が国家以前に、人が人であることに基づいて存在しているという考え方(人権の前国家性前)ですから、国民の国家に対する前国家的義務ということはありえないはずです。その意味で、「人権規定の中に義務を定めることは、近代憲法の本質にそぐわない」といえます★。

★伊藤正己著『憲法〔第3版〕』408頁(弘文堂・平成7年)

日本国憲法第3章の規定は、人権宣言の歴史を継受しているものです。

人権宣言は、人としての尊厳が侵害されたから、そうした侵害を否定するためにそのような行為を国家か行ってはいけないと「宣言」されたものです。

このように権利を宣言することに関連して、義務の「性質」をもつように見受けられる規定が置かれることもありました。たとえば、1789年のフランス人権宣言は、国の武力を保持するため、および行政の諸費用のために、租税が不可欠であるとし、いわば納税の義務を定めました。

フランス革命で自由を獲得した市民が、義務の規定を高らかに宣言する必要があったのでしょうか。そうではなくて、租税がすべての市民のあいだで能力に応じて平等に割りあてられるべきこと(13条)、租税については、市民が自身でまたはその代表者によりその必要性を確認する権利があること(14条)が重要だったのです。「アンシャン・レジームの庶民たちによって、納税の義務をこと新しく宣言する必要は、どこにもなかったのである」★。

少しわき道にそれますが、日本国憲法の納税の義務についても「法律の定めるところにより」納税の義務を負うのだ、という文言と、憲法84条の、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」という規定を併せて読めば、「義務」を宣言したのではなく、政府の都合で勝手に税金を徴取してはいけないという(「代表なければ課税なし」)租税法律主義にアクセントがあることが理解できると思います。

このように、人権が「獲得」されてきた過程で、義務についても、人権と理論的に関係があるという理由で規定されるようになり、「各国の人権宣言は、しだいに『権利及び義務』という表題をもつようになり、今日では、むしろそれが通例になっている」とか★、「伝統的に諸国の人権規定中、一定の義務規定がおかれることがある。その規定は、国民に倫理的指示を与えたり、法律によって具体化されることを予定するといった意味をもつにすぎず、それ自身としては法的意味はほとんどもたない」★とされています。

★ 伊藤正己著『憲法〔第3版〕』408頁(弘文堂・平成7年)
★ 宮沢俊儀『憲法Ⅱ〔新版〕』103頁(有斐閣・1971年)
★ 宮沢・前掲
★ 伊藤・前掲

日本国憲法の第3章が「国民の権利及び義務」となっているのは、こうした歴史的背景があり、あくまでも権利の保障に主眼があります。このような背景を理解していれば、戦前の三大義務を彷彿とさせるような社会科の教科書の叙述にはならないと思います。

また、以前公表された、自民党憲法改正草案には、家族に助け合いの義務を規定しよう、というものがありましたが、憲法上「義務」と表現されていることの意味が理解できていないように思われます。

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