独身最後の買い物
独身の頃、割と貯金はする方だったのでお財布にかなり余裕があった。車は結婚するときに男性が持っていたら売る運命になるので買わないし、自炊もしていて、趣味は編み物でそうお金のかかるものでもなく、服は少数精鋭・シンプルな物を長く使いたいタイプなので、大きな出費が少なかったのだ。あるとすれば会社の飲み代くらい。
さて、独身を捨て結婚する流れになったとき、私はこの貯金をある程度私のために使おうと決心した。そして大きな買い物の代表を一通り考えた結果、色石のついた指輪にしようと決めた。
高級な指輪といえば、まず思い浮かべるのはダイヤモンドの指輪が一般的だろうと思う。しかし私はダイヤモンドにはこれといって興味がなかった。一方で色石にはとても興味があった。
光っているのかいないのか、一見すると地味な見栄えしない石でも、近くでじっと眺めてみると、石の奥底の方で閉じ込められた輝きがキラリと瞬く。そういう石が好きだった。ダイヤモンドのようにベカベカと明るく輝くよりは、黒に近いような濃い色でありながら静かに輝きを灯しているような、そんな石がいいなと思った。
そして、街中を探し回ることになる。現代は非常に便利で、ネットで検索すれば宝飾店はいくらでも出てきた。そして片っ端から宝飾店を練り歩いていった。
しかしどこに行っても明るい石が輝きを放って私を出迎える。暗い光の石もあるにはあるが、大抵は頼まなければ出てこなかったり、出てきても全て私には明るいと思える石しかないような店もあった。今考えれば、私の理想とする石はそんなにすぐに出会える物でないとわかる。王道ではないし。でも探して得ることに意味があったろうと、今になって思う。
そんなこんなで、結局、某デパートの宝飾店に辿り着いた。どの店よりも感じが良く、若輩者で大したカネも持っていなさそうな私の希望を聞いてくれた。そして本当に希望に叶った石をいくつか見せてくれた。
中でも、1円玉に収まるくらいの長方形で、その石以外にはなんの装飾もない暗い色味のエメラルドは私の思う石そのものだった。飾りっ気のないところもまた好ましかった(当時はまだゴテゴテした装飾やキラキラ輝くダイヤモンドをあしらったりしたデザインが多かった。それ故に私の希望するような石は実質3つくらいしかなかった)。
うーんうーんと悩んでいると、最初からずっと、初めて宝石の世界に入り込む私に寄り添うように接客してくれていた飾り気がないのに妙に上品な女性スタッフが「他の店舗に訪ねて取り寄せましょうか?そうすればもう少し希望に沿うものが見つかるかもしれません」と提案してきた。
この返事にすら大変悩んだ。今ここにあるエメラルドもすごく魅力的だ。取り寄せなんかしてもらったら気持ちがブレそうな気がした。しばらくうんうん唸りながら悩んだ。女性スタッフはこれも、あーだこーだと悩んでいる私に優しい相槌を入れながらゆっくりと待ってくれた。結局、取り寄せをお願いした。当時の自分にとっての大金をかけるには、選択肢3つの中から選ぶことがもったいなく思えたからだった。1ヶ月後、またくるようにと言われ、私はまっすぐに帰宅した。
1ヶ月後、取り寄せられた指輪が十数点、トレイの中で煌めいていた。希望に沿わない物ももちろんあった。その中で、直径5ミリ程度の大丸いサファイアを小さなダイヤモンドがぐるっと取り囲んでいるデザインの物が一際私の目をひいた。ダイヤモンドがギラギラしておらず上品にサファイアを煌めかせているのに、中央に座ったサファイア自身はほとんど輝いておらず、じっと眺めていると水滴のようにぷくんと見えて、その奥に深く淡いブルーの輝きを湛えている。
その若干派手さのあるサファイアと、一度目に見たエメラルドで、これまたグダグダと悩んだ。どちらもとても素敵な指輪だ。一方は全く飾り気なく身一つでどっしりしていてかっこいい。もう一方は上品な光でサポートされて、その深い色が引き立てられた小さくて可愛げのある物だ。似ていないから二つの比較では甲乙が付け難く、おそらく30分は悩んでいたと思う。この二点でこの値段ならなんの文句もなく支払えると判断してからは金額のことはまったく気にせず、ただただどちらが好きか、この先の人生にどちらを連れていくかで考えていた。
最終的に、私はサファイアの方を選んだ。決め手は最初の希望の通り、石の奥底の方でキラリと輝くその加減が、サファイアの方が好みだったから。また、サファイアの石の形が丸く、朝露のようにぷっくり膨らんでいるように見えて、その滴が深い青を湛えているという、詩的な美しさも気に入った。
今もサファイアは私の手元にあって、大きなイベントでは必ずつけるようにしている。いつ見てもとても美しい。濃い青の奥底にゆらめく輝きは褪せることなく、飽きることもない。独身の最後に色石の指輪を買おうと思った当時の自分は本当に天才だと思う。