「ミシガンからの手紙(3)」他(通常号 第33号・2002年11月15日発行)
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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第33号・2002年11月15日発行 ----
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☆今週は、6年生トラック
1982年度・富良野市立鳥沼小学校6年学年通信「つながり」より
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★ねずみとり
この一週間で三度も、私共の住宅の所でスピード違反の測定(そくてい)、通称「ねずみとり」をしていました。家の窓から見学?していると、おもしろいぐらいに次々と捕(つか)まり……“ひとり八千円平均として十三人だから”……なんて計算してみたり。
違反金(いはんきん)は、「道路工事」に使われるという。道路が良くなれば、スピードも出る。スピードを出せば捕(つか)まる。益々(ますます)道路がよくなる!!
スピード違反も世の為(ため)人の為(ため)なのかなあ?
(1982年11月11日)
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★シャクシャインが哭く
学芸会の劇“シャクシャインが哭(な)く”は、その生涯を一貫して先住民族の「アイヌ問題」をテーマに、小説や随想で追求し続けた三好文夫先生の小説を、私が十年程前に脚本にしたものです。
三好先生は、「重い神々の下僕(しもべ)」という小説で、直木賞の最終候補の三篇にまで残るという、旭川が生んだ一流の作家でした。私は、幸い、三好先生と旭川向陵小学校で五年間 同僚としてすごすことができ 公私共 大きな影響を受けて教師として育ってきました。
夜を徹して、“愛”について “生”について “戦争と平和”について “教
育”について そして“差別”という歴史について、何十回語り合ったことでしょう。同じ仲間の児童詩の研究者M氏と三人なら ウイスキーのボトルは、いつも四本目が転がるまで語り合ったものでした。
先生がある日、“劇団‘河’で 俺(おれ)のシャクシャインを演(や)りたいと言ってきたので、‘脚色できたらやってみろ’と言ってやった”と話され、私が試作してみたのがこの作品でした。
さて経過は、ともあれ、今回の公演で、ほんとうにみんなの力で“演劇”って成功するんだなと思いました。原作は友人だった三好先生、脚本は私。衣装のアイヌの袖(そで)なしを米の袋(紙)で作ったらと教えて下さったのが 寮の館入睦子先生。着物の袖(そで)や裾(すそ)に文様をぬいこんでくれたのがお母さん方。わらで冠を編(あ)んだり、刀や弓矢を作ったのが子供達自身。そして、夏休みにしっかりと演技のこと、セリフのことを自分なりに自分の内に育て、たくわえてきたのも子供達自身でした。
本番で、積み上げてきたそうした力を十分に発揮して、発表できたのは、観に来ていただいたお客様の態度というか 姿勢のよさ。
劇を作(つく)るもの・演(や)るもの・観(み)るものの三者が有機的にからみ合い、思い出に残る作品として 出来上がったのだと信じてます。
(1982年11月13日)
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★入賞者
— 市内小中学生作品展 —(オ知ラセ
オクレマシタガ)
・公民館長賞・芳 博—絵画 ・秋の写生会
・ 〃 ・裕 治—デザイン・ロボット
・ 〃 ・ひとみ—彫刻 ・「顔」の浮き彫り
・教研会長賞・範 子—習字 ・夜空流星
(1982年11月18日)
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★ミシガンからの手紙(3)
「ムスコ」から、便りあり!! 要約すると—
・11月4日に雪が降り、いったんとけて、今、14日 又降っていること。
・クロスカントリーが終わってバスケットのシーズンになったこと。2月まで4ケ月間に20試合 他の高校7ティームとのリーグ戦があり、その為の練習が一日2回あること。
・前期の半分が終わり、まもなく成績表が送られてくること。日本の高校は、35点以下で落第だけど、こちらは59点以下なので…でも、僕の最低は、米国史の「67」点だから安心せよ。
・鈴木首相が辞(や)めたことなど、アメリカの新聞にはのらない!! 日本人はもっと目を開かねば…。
・もうアメリカには来ない!! こんどは社会主義国か発展途上国にするから——。
(1982年11月24日)
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★「書の教室」に来ませんか?
・墨原社<塩田慥州代表>会員
・北海道書道教育連盟旭川支部会員
・北・北海道学生書道展・審査員・鑑査員
・全道学生書道小品展・審査員
と肩書(かたが)きを並べてみたら、「12月7日」(火)の
家庭教育学級の学級生が すこしは集まる
かな? 教頭さんが、先日私に
“オイ、7日の「書」の「教室」、「ひとり」も「申込み」ないぞ”
“やっぱり!! 人格(じんかく)かなぁ”
6年生のお母さんだけでも「12人居る筈」なんだけどナァー。淋(さび)しい師走(しはす)になりそう!!
(1982年11月30日)
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☆来週は、山口“悟風”智の11月の俳句などを掲載します。
☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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◆編集後記「千鳥足」◆
今週も長くなってしまいました。読みにくくなって、すみません。それにしても、この年、悟風は、かなりペンがよく動いたようですね。
さて、最初に、間違いを指摘しておきましょう。悟風が「★ねずみとり」に書いた「『違反金』は、『道路工事』に使われる」という認識は、正確さを欠くようです。インターネットで分かりやすく書いてあるサイトはないかと調べたら、富山県警察本部のサイト「交通違反の反則金Q&A」がありました。
一部抜粋しますと、
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Q1 交通違反の反則金は、どのように使われますか?
A 交通違反で納められた反則金は、国庫金として国に集められます。
この国庫金は、交通人身事故の件数、人口、道路延長等により計算された交付割合に応じて、全国の都道府県及び市町村に、「交通安全対策特別交付金」として交付されます。
「交通安全対策特別交付金」は、信号、道路標識、歩道、道路反射鏡等の交通安全施設の設置や救急自動車の購入等にのみ使用され、交通安全の目的の外には使用できません。
交通違反で納められた反則金は、交通事故防止のために役立てられているのです。
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とのことです。
「交通違反の反則金」について、インターネットの検索エンジンで調べた限り、富山県警のように、分かりやすくまとめてあったサイトは、見当たりませんでした。ここは、富山県警を褒めておきたいと思います。行政の立場では「当たり前」であっても、市民には分かりにくいことを、理解しやすく紹介してくれると、「お役所」がもっと身近になるのではないでしょうか。そういう行政サービスを、私は期待します。
「★シャクシャインが哭く」は、通常号第3号、同じく第25号でも書いたように、脚本書きとしての父(大津哲太郎)の代表作です。この作品について、父自身が経緯を書いた文章は、他には見つかっていません。文中の「寮の館入睦子先生」の寮とは、第4号に出てくる児童養護施設「富良野国の子寮」です。
「★入賞者」と「★『書の教室』に来ませんか?」は、これまでの「おかあさんへの手紙」では、ほとんど出てきてないパターンかもしれません。これらは、いずれも「手紙」として、学年通信に載っていたのですが、普段は、似たようなものであっても「手紙」として書いてない場合が多いのです。特に、入賞者の紹介は、学年通信には載せても、「手紙」にしなかったことが多いようです。
他方、「★『書の教室』に来ませんか?」は、自ら講師になる講座に、保護者から参加申し込みがなく、焦って書いた文章だと思います。父は本当に多趣味・多芸でした。メールマガジン版では、教育エッセイや俳句、詩程度しか公開が難しそうですが、他にも、書、脚本、絵画、写真、その他(闘病記など)もあります。何らかの形で公開するか、紙の本を作る時に、使いたいと思っています。
最後に、タイトル作品の「★ミシガンからの手紙(3)」。私が滞在していた米国ミシガン州グランドラピッズ市で最も読まれていた新聞「グランドラピッズプレス」では、本当に鈴木善幸首相(当時)の辞任記事が見当たりませんでした。首相官邸のサイトで、鈴木首相(http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/70.html )を調べると、在職期間は1980年7月17日〜82年11月27日になっています。「★ミシガンからの手紙(3)」は11月24日付けで、日本に手紙が届くまでは航空便でも1週間ぐらいかかりました。ですから、手紙を書いたのは、鈴木首相が辞意を表明した段階だったのでしょう。だったら、記事になってなくても、仕方ないか。
ただ、本当に、日本のことは、新聞に載りませんでした。テレビでも、ニュースで見聞きしたことは、ほとんどありませんでした。「同盟国とおだてられながら、冷たい扱いされるものだな」と、当時高校生だったムスコ(私)は思ったものです。
(発行者・山口一朗)
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
※楽天広場内の「悟風の書斎」 http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/
は、「ホームページコンテストin ASAHIKAWA 2002」
http://venture.arc-net.co.jp/hpcon2/index.html に参加しています。
※インターネット投票は、本日(15日)が最終日です。
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※トップの画像は、「鳥沼公園」(c)Tomo.Yun
鳥沼小学校に近い公園で、この写真は「ゆんフリー写真素材集」http://www.yunphoto.net よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
原典で張ったリンクのうち、切れているものはリンクをはずし、変更になったものは変更後(現在)のリンク先に張り替えています。(編集者・悟風のムスコ)