Nスぺ 科学(NHKオンデマンド) 臨死体験 立花 隆 思索ドキュメント を見る

アマゾンのPrime VideoにNHKのオンデマンドでNHKの過去の番組が見られるサービスがあります。その中で興味のありそうなものを見てみました。それの感想を書きたいと思います。

 この番組の主人公ともいえる人は立花隆です。立花隆は1940年生まれ、2021年に死んでいます。80歳でした。この番組が放映されたのが2014年です。立花隆は2007年に膀胱がんにかかり手術を受けています。その後検査を定期的に受けていたのですが、2014年にまたがんが見つかります。そのがんも手術で摘出し2021年まで生きました。この番組の中で立花隆は70歳を過ぎると死を考えると言っています。私はまだそれまでに15年ほどありますがやはり迫りくる老いと死を考える時が来るのかもしれません。立花隆は死を考えるうえで臨死体験について取材しようと考えます。彼は1994年に「臨死体験」という本を出しています。変わったアプローチだと思います。

 臨死体験とは死に直面するような危篤状態になったときに人が体験する不思議な体験です。今は医療技術の発展により危篤状態から帰ってくる人が増えているため臨死体験をする人も増えているそうです。その体験にはパターンがあり、特徴的な体験としては体外離脱状態があげられます。まるで魂が体を離脱し、視点が身体外の場所から自らの身体や場所を見ているような体験です。もう一つが神秘体験です。光のトンネルを抜け、かつてない幸福に包まれるそういう体験をするそうです。

このような体験を脳科学的な視点で探っていこうというのがこの番組です。その中では脳が心を生み出すと考えられていることや、そうであるなら脳が活動を停止すれば心も消えるはずと語られています。

 臨死体験が天国の描写に似ていることから、それは人間が作ってしまったものではないかとも考えられます。しかし番組では子供の例が挙げられています。赤ん坊のころに死にかけ九死に一生を得た子供が二歳になったときに、その時の体験を語りだしたそうです。その話のなけで描写されることは確かに事実であり、両親も驚いたと言っています。これは人が勝手に作り出した話だという反証であり、どう説明すべきなのか。

 人間は今までは心停止した時には脳波が止まって、脳の活動は停止していると考えられていたのですが微弱ながら脳波は出ていて脳の活動が完全には停止していないことを示しています。

 人間の脳の研究でフォールスメモリーというものが出てきます。端的に言えばウソの記憶です。例えば合成で写真に両親と一緒に気球に乗っている写真と作り出し、それを写真がいくつも入っているアルバムの中に入れてその旅行について語ってむらうのを何日かしていると、はじめは覚えていと語っていた被験者がだんだんとその場面を語りだしてしますのです。これは虐待を受けていなかったはずにもかかわらず、セラピーを受けている間に虐待の記憶が作られてしまうという事例を思い出させます。人間は想像力の生き物であり、いろんなものを想像し作り出します。時には何度も考えているうちに映画と自分の記憶があいまいになり本当に自分の体験したものとまじりあってしまう。そんな体験でしょうか。偉大な力でもありますが、真なる知識とは何かということを考えるときには障害にもなります。

 次に意識はどのようなものかということに迫っていきます。脳科学者たちは脳の中に意識を作り出す部位があるのではないかと長年研究してきました。しかしそういう部位は発見できませんでした。意識というのは感情や感覚、思考、などを総合するものです。哲学的には統覚といわれるものだと思います。では脳のどこにあるのでしょう。統合情報理論というものが出てきます。統合情報理論とは意識とは特定の部分にあるのではなく脳の情報のネットワークとして考えられるというものです。脳細胞やその神経細胞のネットワークが全体として意識を生み出すという理論です。

 神秘体験はどこから来るのか。脳の古い部分である辺縁系に関係がある。その部分は夢を見るときにも作用する部分であり、その部分が作り出す死の瞬間で見させる夢のようなものだというのです。もしかしたら死の苦しみを逃れさせるための脳の働きなのかもしれません。

 最後に立花隆は、かつて臨死体験の本を書くきっかけになった人物を尋ねていきます。彼は科学者だったのですが、今では死後の世界を信じるようになったと語ります。死んだあと人はどうなるのか。魂は不滅であり死後も魂は残るのか、それとも人は死ねば跡形もなくなくなってしまうのか、答えがあるようでない問いが語られます。

 この番組の面白いところは死というものを考えるのに臨死体験を探っていくことで迫っていることです。臨死体験を探るうちに、脳の問題にいき、脳と心の関係を探り、記憶と人生という歴史を語る危うさを語り、意味や価値と科学の関係を語ります。脳は科学の対象になります。しかし意識が情報のネットワークだとしても、そのネットワークは個人によりさまざまであります。感じ方、考え方、見え方は大きな部分では同じであるにしても多様でありえます。それがゆえに相互理解を難しくします。なぜわかってくれないのか。だからこそつながったと思えた時、人は喜びを感じるのです。それは奇跡の瞬間です。その瞬間を求めて人は言葉を重ねるのです。この番組の最後のほうで人生とは理解できないものですと語られます。人生とは偶然と必然、意思と行為、意味と科学、力と相互理解がまじりあったそんなものなのでしょう。そして死ぬとき解放される。そんな気がします。


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