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今年の立春は2月3日だった。梶井基次郎の「桜の樹の下には」によせて 春は怖い

今年も早いもので2月も中旬になってきた。今年は1月は比較的暖かかった。でも2月になって寒さが厳しく、日本海側では大雪のようだ。昨日は住んでいるところも雪が2センチくらい積もった。今シーズンでは一番の積雪だ。庭の雪も雪かきでかいておいた、日が昇ればとけるだろう。

2月3日は立春だった。立春の前の日が節分なので今年は2月2日が節分だった。今年も恵方巻を食べてしまった。スーパーで、いつもは刺身がでているところにつまれた恵方巻を見ると、風習というよりも商業主義に踊らされている感じは強い。でも小売業は薄利多売で利益率の低い業態で文句はいえない。太巻きを食べる習慣はないからこういうときでもないと食べられない。切らないでかぶりつくのが本当のようだけど、母は歯が悪いので切らないと食べられない。切ったついでに私の分も切って、おいしくいただいた。

立春というのは立春とは、二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、春の始まりを意味する。二十四節気とは、古代中国で生まれた季節の区分で、太陽の動きを基にして1年を24等分したもの。立春は、そのうちの最初の節気にあたり、冬至と春分の中間に位置する。

春夏秋冬と書くけれど中国では春が1年の始まりとされたらしい。農業が重要な産業だったからわかる気がする。春に農作業がはじまり1年が始まったのだろう。そう考えれば、日本の年度という考え方もそこから来てるのかもしれない。新年が真冬に始まるのもいい感じがする。完全防寒で朝早くに初詣をするのもいい。しかし、木の芽が出てくる時期を年の始まりとするのも悪くない。

立春とは春の先駆けであり、1年の始まりともいえそう。まだまだ寒い時期で、今年は特に寒い。でも始まりは来ている。

春といえば生命の始まりであり、冬の終わりでもある。だから喜びを感じるのが普通なのかもしれない。梶井基次郎は「桜の樹の下には」の冒頭の部分で、

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、ここ二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

梶井基次郎  「桜の樹の下には」

生命の美しさと屍体という不気味なものと結びつけた。生命の輪廻と書けば味気なさすぎる。桜は屍体から養分を吸って美しく咲く。吸血鬼が生きた人間から血を吸って生きながらえるように、桜もまた、生きるために屍体から透明な液体を吸収して美しく咲く。おどろおどろしいホラー映画の世界だ。不気味なものだ。この文章が日本に現れてから、桜は美しいと同時に不気味なものとなった。

春は怖い。美しくもあり、それゆえ怖くもある。力であふれながら恐怖の対象でもある。春は真昼のまぶしさを持ちながら、暗い闇と怖さに隣り合っている。地下に眠る屍体が地上に出てくるのだ。

立春とは地下に眠るものが出てくる始まりの時期だ。水仙もやがて出てくるだろう。クロッカスも出てくるだろう。それらも怖さとともにあるのだ。

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