
2023年9月書評王(書評筆者:高野あき) 『ハンチバック』 市川紗央著
鈍感な奴らに思いっきりアッパーカットを喰らわせた! 市川紗央の『ハンチバック』はそんな爽快な問題作だ。障害者女性であるという“弱者”の生と性をメインテーマにした小説ながら、読み手からの同情や憐憫を一蹴する。世の中は多様性の尊重を標榜する優しい社会、優しくあろうとする人たちに溢れている、とされている。果たして、現実はどうか。人々の特権性に対する無意識を、市川が容赦なく露出させてゆく。しかしその毒舌はユーモアを帯びていとおしい。
冒頭には、ネット用のタグが並んでいる。いかがわしい言葉の羅列に眉を顰めながら読み進めると、これは主人公井沢釈華が、お金を稼ぐためにネット上の情報を切り貼りして書き上げた三文記事だということがわかる。釈華は裕福な親が残したグループホームに暮らす重度障害者。中学生の時に遺伝性の筋疾患を発症し、三十年来車椅子生活だ。喉にはカニューレが装着され、人工呼吸器が欠かせない。「右肺を押しつぶす形で極度に湾曲したS字の背骨」のせいで、長時間姿勢を保つことができず、息苦しさに耐えながら、軽量のiPad miniを使って記事を書いている。こうして命を削るようにして書いたいかがわしい記事の報酬は、子どもシェルターやフードバンクに寄付するのだ。釈華は、これを「小銭が回るエコシステム」なのだといい、さらに、釈華のように相続する身寄りのない障害者の財産は、死後すべて国のものになる、というくだりでは「生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に食わない人々もそれを知れば多少なりと溜飲を下げてくれるのではないか」と、強烈な皮肉を随所に繰り出す。これほどもの申していても、自虐表現のうまさと、テンポの良い展開のためだろう、最後まで読み手の共感を失うことがない。
胸をえぐられるのは、釈華が吐露するツイートの内容だ。「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です」
理不尽から湧き出るつぶやきを、すぐにはツイッターに投稿せず、下書き保存して、冷却期間を置くという釈華は、外の世界から孤立して生きていても、過激な発言の行方を想像する冷静さも常識も備えている。そして、このとんでもない願いを抱くに足る正当性を繰り返し語ってゆく。読み手は、嫌悪を覚え、反感を抱き、反論し、非難しようと試みるだろう。だが、ついに気づいてしまうのだ。これこそが、優位主義に呆けた人間たちが行ってきた罪深い行為への糾弾の声なのだと。出生前診断を可能にした技術の進歩は、障害者に優しくなるどころか、ますます優位主義を助長しているではないか。障害を持つ胎児は、親の選択的中絶の権利により、社会から排除され続けている。小さな命に寄せる哀惜の念の深さを作者が文字にすることはないが――。
釈華の願いは、ある時ふいに現実化する可能性を帯びてくる。つぶやきの投稿先は、誰も見ていないアカウントのはずだったが、「同じ弱者」を自認する若い男性の介護職員が、釈華のツイートを読んでいることを仄めかす。釈華は動揺するものの、願望を果たすべく、彼と契約を交わし、行動に出る……。
『ハンチバック』では、作者自身が釈華と同じ疾患を抱える当事者であることが、創作であるこの小説に見事なリアリティと独特な視点を与えている。この作品が障害者に対する理解を求める作品か、と問われれば、答えはおそらく、否。作家の精神ははるかにその次元を超え、倫理観を揺すぶり、読み手をいやおうなく自身に対峙させる荒々しいいかずちだ。“弱者”の力技に、参りました、と一旦脱帽するほかあるまい。暴かれた欺瞞を、これからどうしたものか。
この作品は市川の初めての純文学作品でありながら、第一二八回文學界新人賞、続いて第一六九回芥川賞を受賞した。今後いよいよその化学反応を社会に広げていくことだろう。
想定掲載媒体 :新聞書評欄
(書評王)高野あきさんのコメント
書評王に選んでいただきありがとうございます。「メッタ斬り!」を覚悟の上で臨む緊張感いっぱいの豊崎社長の書評講座。より良いものを書けるようになりたいと願う人間にとって、豊崎社長は「藁にもすがる……」の藁です!いや、藁では申し訳なさすぎです。膨大な知識の海に漂うぶ厚い年輪を秘めた大木、でしょうか。著者の意図や仕掛けの数々を細やかに読み解く技術、文章を綴るための具体的な手法をこんなにも惜しみなく与えてくださる豊崎社長、この機会を提供してくださる山形小説家・ライター講座の事務局の皆さん、インスパイアしてくださる受講生の皆さんに感謝です。