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「どの口が言うてんねん」

ストックはある。
しかしまぁまぁ消費していってる。

記事のネタの話。

そして消費していった結果、スッと書けるやつは少なくなってくる。
そこからが僕のnoteの本当の闘いだと思う。

ストックにより
1から1.5にしていっていたものを、
ストックが枯渇することで
0.5から1 もしくは 0から1にしていかないといけない作業になってくる。

文字どおり、生み出さないといけなくなってくる。
創り出す。
クリエイター。

ここからそろそろクリエイターへの道が始まってくる。
やばい。
かっこいい。

レベルは置いておいて、
お題さえあればある程度は書ける。
ストック枯渇しても、たぶん
こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくれる。

日々の生活の中からお題を拾っていく。

多くは他愛のないこと。
それはできる。



しかし
というべきか
そして
というべきか。

僕がちょっと気になっているのは、

クリエイトを続けていくと
「どの口が言うてんねん」
という発信もおのずからすることになってくるということ。

自分の得意なこと、書きやすいことには限りがあり、
門外漢の内容を、
メインテーマでなくともいち話題として挟みこんだりする。
そんな必要に駆られる場面も出てくるだろうと思ってる。

すると
「どの口が言うてんねん」と
言いたくなると思う。

もちろん
居丈高いたけだかに発信するつもりはない。
仮に自分の専門であっても、他人の学術活動の結果を拝借して発信するので、あくまでフラットな立場で書くことを自分の是としている。

そうはいっても
「どの口が言うてんねん」。
堂々と発信続けるってやっぱ気恥ずかしいよね。

これからもずっと、気恥ずかしい気持ちは持ち続けるのかな?

それともどっかで一線を越えられる時が来るのかな?
「どの口が言うてんねん」の向こう側へ。

…いや、向こう側に行き過ぎても良くないな。
やっぱそこはメタ認知が必要だろう。

何でもバランスだ。

まさに
鳥の目、虫の目、魚の目。

「どの口が言うてんねん」の向こう側へ越えていく少しの勇気と
自分を振り返るメタ認知のスキルとを
同時に養い、磨き、持ち続けたいなと思う。


"あ、言い過ぎた…"
そう思ったときは叫んでみよう。

「どの口が言うてんねん」と。

きっと冷静で熱い自分を保ち続けられるはず。


今日もありがとうございました。
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