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【『断片的なものの社会学』】勝手な意味付け、勝手な解釈

本の紹介
岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版,2015

路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ……
人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。
社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。

朝日出版社HP 
https://www.asahipress.com/bookdetail_digital/9784255008516/

社会学者である著者が、フィールドワークとして市井しせいの人々に聞き取りを重ねる。学術的に分類可能なエピソードは一部に過ぎず、多くの調査は意図したようにデザインできなかったり解釈困難なものとなる。「ヤラセ」ではないリアルな世界を切り取ったものの寄せ集めの中にこそ「普通」がある、というのが本書の趣旨。


リハビリ室でのリハビリ場面、
ある認知症のAさん(以下A)との会話

A:今日は人少ないね。
―そうですかね?少ないかな?今日は少ないですかね。
A:前はもっと多かったけどね。
―前は多かったんですね。今日はもう夕方やから皆さん部屋に戻ったんでしょうね。
A:そうやね、夕方やしね。ほら、風が今日は吹いてないね。
―そうですね、木が揺れてないですね。海も穏やかですね。
A:そうやね。波ないね。私のとこは海のはたやから風はしょっちゅう。もう慣れたもんや。
―おうちの周りは風強いんですね。
A:生垣で家囲ってね。
―あぁ、そうやって皆さん工夫されてるんですね。
A:そう。ほいで今日は人多いね。
―そうですね、増えてきましたね。
A:夕方やからね。
―そうですかね。夕方なったら増えるんですかね。
A:夕方なったら皆帰って来るからね。暗なってきたら仕事できんさかね。
―そうですね。
A:今日は人少ないね。
―少ないですか?
A:少ないね。晴れてるからね。皆外で仕事せんならんからね。
―晴れの日はここ来る人少ないんですね。
A:そうやね。今日は風強いね。
―そうですね、ちょっと木ぃ揺れてますね。
A:今日は人少ないね。
―そうですかね。
A:天気悪なってきやるさかね。
―天気悪なったら少なくなるんですね。
A:皆出てくるのかなんさかね。
―なるほどね。今日は皆さん部屋にいるんですね。
A:ほいでちょっと曇ってきたね。
―そうですね。夕方やし余計暗いですね。
A:夕方やさかね。今日は雨やさかね。
―曇ってる感じですけど雨はやんだかな?
A:ほんまやね。ほいで天気悪いからね。皆仕事できんさかね。
―あぁ、天気悪いから皆家にいるんですね。
A:そうやね。天気悪いから人多いね

・・・



Aさんとの会話は楽しかった。永遠に続けられる。
認知症のかたゆえに特徴が際立ってはいるが、
僕ら人は誰も皆、現象に対する意味付けなんかいい加減なもんだ。

「雨やから人多いね」「晴れやから多いね」「もう夕方やから少ないね」

前提条件は関係ないんだと思い知った。
人によっては「雨やから人が多」くなるし、場面によっては「夕方やから少な」くなる。

文脈に関係なく起こるものは起こるし、言うことは言うし、世界の誰も目撃しない重大なこともあるし、自分一人だけが見たもう二度と起こらないこともあるし、自分だけが知らないこともある。

あるいくつかの出来事の必然性を勝手に見出すのは人であって、自然はただそこにあるだけだ。
全く関連性のない「不自然さ」の方がむしろ「自然」なんじゃないか。


物事にいいも悪いもない。幸せも不幸せもない。
解釈して勝手に意味付けしてるのは僕らだ。

「勝手に意味付けすな」
と、冒頭の著者は言っているのだと、僕は意味付けした。


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