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何とか必死にしてきたから結果的にそうなっただけだ

今日は入口がニッチな話。
リハビリテーションの話から一般論へ。


僕は介助には自信がある。
これは本当だ。うそじゃない。
僕が仕事の中で唯一自信があるのは、立って歩いてもらう介助の場面だ。

「何を大きなこと言って」

そう、大きなことを言っている。わかってる。
でもこう言って本当は自分を奮い立たせている。


リハビリテーション専門職、専ら、回復期リハビリテーション病棟の理学療法士は、介助こそが仕事だ。

病気やけがで入院した患者さんを寝たきりにさせない、
しっかり動かす、自分で動いてもらう、
そして家に帰ってもらう。
それが回復期リハビリテーション病棟の仕事。
医学的リハビリテーションの本質。
やるべきことはいたってシンプルだ。

でもそれが難しい。
病気やけがの初期は患者さん自身でそう簡単に動いてもらえないから
僕らが動かす。
そして介助が要る。

仕事をしてきた中でいくつか部署を周り、
今、結果的に回復期リハビリテーション病棟の勤務が一番長い。

だからだ。

もっとも介助場面の多い回復期リハビリテーション病棟の勤務が結果的に一番長くなっていて、何とか必死に動かそうとしてきたから、
結果的に介助が上達しただけだ。



新人の頃に患者さんに関わり始めてすぐ、立て続けに2度患者さんを転倒させた。

病院、ことリハビリ場面での転倒は一大事だ。子どもがこけて泣いて絆創膏で済んだ、というのと全く意味合いが違う。多くの患者さんには病気やけがの影響で立って歩くことの障害があり、だからこそのリハビリなんだけど。転倒するということは2次的な障害につながるリスクがあるので、関わる職員は常に細心の注意を払う。もし転倒が発生したら患者さんの状態を第一に把握した上でインシデントレポートを提出してチームで原因分析し再発防止に努める…とても重要なプロセスだけど、入職1か月足らずの新人には負荷が大きい。

2回目の転倒は1回目の翌日ぐらいだったかな…
前日に転倒させてしまったことについて完全に尾を引いていた。
「新人が初日に患者さんを転倒させた」。
完全に動揺し、浮足立ったまま翌日同じことを繰り返した。
トラウマになった。

その後も何度か転倒させている。

幸い、患者さんたちが大事に至るほどの転倒ではなかったけど、
自分が健常なメンタルを取り戻すには相当な期間を要した。なんなら、10年以上経った今も完全に取り戻してはいない。ずっとそのエピソードを抱えながら、僕のキャリアは続いてきた。

そしていつの頃からか患者さんに言うようになった。
「絶対こかしませんから、思いきってやってみてください」

我ながらよう言うた、こんなこと。
でも今も時々言う。こう言って自分も奮い立たせている。



何が言いたいかって

トラウマになったことを必死でリカバリーしようとして埋め合わせて、自分が選んだ仕事で生きていくために、これからって時に潰れる訳にはいかなくて、何とかしてきた結果、上達した。そして今も苦い体験を消化しきってはいないから、むしろ自信を持って、上達してきた部分を自信に変えて、自分を奮い立たせている。そしてまだ上達はし続ける。

「稼ぐ」とか「楽しむ」とか「極める」とか、仕事というものを他にも色々形容できるとして、それらどの表現にも頭に「結果的に」が付いてくるように思う。

「結果的に」稼ぐ
「結果的に」楽しむ
「結果的に」極める
「結果的に」…

何でも結果的に後からついてくる。
それが求めたものか、意図したものかどうかは分からないけど。

だから僕が思う仕事の本質は
「もがくこと」と「続けること」。

もがいて続けた結果、何かにたどり着く。

意図してできる人はかっこいいな。
戦略的にたどり着ける人はかっこいいな。

でも意図してできる事なんて、そう多くはないんと違うやろか。
少なくとも僕の場合は
何とか必死にしてきたら結果的にそうなっただけだった。


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