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「とは言えテレビやで?」

「テレビはオワコン」

そうかもしれない。
中高大、圧倒的にテレビっ子だった僕も、
圧倒的にテレビを見なくなっている。

オワコンとまでは言わないまでも、
テレビとネットの広告費の配分が逆転したと聞き、
テレビが下火であることは確かなのかと感慨深く。

ネットのコンテンツで選択的に観たいもの・必要なものを見る。


とは言え、だ。


テレビを習慣的に見なくなった上に地方紙も子どもの小学生新聞さえも切り捨てて読まなくなった僕は、自動的に流れてくるニュースや天気予報の有り難みを大いに感じつつある。

ネットは自分で検索して取りに行かないといけない。TikTokは自動的に流れてくるアルゴリズムだそうだけど、基本は能動的姿勢が求められる。

テレビはちょっと違う。
チャンネルはある程度能動的に変えるけど、
流しておけば、
求めてなくても通りいっぺんのニュースと天気予報は知れる。
図らずとも知れる。

これは僕の価値観だが、
政治・経済・社会・世界情勢・スポーツ・気象・ローカル…
あらゆるニュースは興味の有無によらず満遍なく知っておきたい。
テレビ流しとくだけでいいって、
その一点においてはやっぱり便利だ。

ただ、
ニュース、天気予報とか、
スマートな側面ばかりで語ってきたけど、
僕のテレビっ子たる所以はバラエティ。

華やかな世界に憧れて思春期プラスαを過ごした。
今テレビを主戦場にしている芸人さんが、90年代から00年代のテレビに憧れて育ったという話には、我が事のようにふるふると鳥肌を立てながら共鳴する。

すごい世界だ。夢のある世界。
夢は今も健在だと思う。

一方で。

振り出しに戻る。
「テレビはオワコン」。

テレビという今なお僕の中ではキラキラした世界と並んで、YouTubeなどを始めとする巨大なネットのマーケットがうごめいている。

テレビが主戦場の芸人さんもYouTubeで走っている芸人さんも大好きだ。

キラキラしたテレビが主戦場の芸人さんたちが、
気付いたときにはテレビという遺跡の一部になっている、そんな事にはならないことを切に願う。
ゆでガエルになるのは御免だ。

「とは言えテレビやで?」
の感覚にすがっていては足元すくわれそう。
変化を捉えてしぶとく生きてほしい。
僕もしぶとく生きるから。


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