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千と千尋の世界観の夜に

「目がかゆい、かゆい」と言いながら「千と千尋」を観ている。

「トトロ」や「ホームアローン」ほどの回数は観てはいないものの、「千と千尋」もそこそこ観ている。

そこそこの回数観ているにもかかわらず、世界観がわからない。「世界観がわからない」という点も、ひとつの世界観として売りにしている側面はあると思う。「あぁ、駿さんの世界観だなぁ」って。何度も観る度に解釈を深め、さらに異なる解釈を上書きしていく。昨年公開の「君たちはどう生きるか」の時も思ったが、やっぱりどうして、「世界観がわからない」という点が世界観になっている。

つまるところ、駿さんだって「誰にも俺の世界観がわかられてたまるものか」って思ってるかもしれない。人の心の中なんて普通は誰にもわからないものだ。それを、産みの苦しみの末に生み出して形にしてみたら、こういった奇天烈でエキセントリックな大スペクタクル作品になるのだろう。


「千と千尋」は最後までしっかり見届けたら家族や生や死やエトセトラが含まれているんだろうなぁと想像できる。でも仮に物語中盤あたりがショート動画に切り抜かれたら、ただの「強欲くそばばあ」の話である。

「強欲くそばばあ」に胸やけがしつつも、目のかゆさも相まって、よく分からないゾーンに入る。何だかむしろ没入できる、今なら没入できる、世界観が分かったような気がしてくるのだった。



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