6月の川には気をつけろ
次女が行きたいと言ったので川に連れて行った。毎年夏に泳ぎに来る近場の川だが、子どもにまつわる夏というのは無論、夏休みを指す。今はまだ6月だ。確かに暑い日だったし、水浴びしたい気持ちは理解したけど、次女にはもう一つ理由がある。次女は水泳が苦手だ。スイミングは習ってないし、ここ3年間の学校授業での水泳時間は、コロナにより激減した。次女は圧倒的に水泳を習得する絶対量が、いろいろやってきた子に比べて少ない。次女は悩んでいる。「練習したい」。
今は何月だって?6月か?夏休みじゃないけど十分夏だ。オヤジは次女を川に連れて行くに決まっているだろう。公営プールの開業は7月からだ。プールの開業を待って練習に行く子たちよりも一足先に、誰もいない6月下旬の川で練習だ。次女の成長を目の前で見届けよう。
冷たいな。
先日の雨から数日経ち、水深こそ落ち着いているものの、水温はしっかり冷たい。いいじゃないか。開店直後の居酒屋で一杯目を頼むとたまに、まだ冷え切っていないビールに出くわすことがあるが、6月下旬の川は僕ら親子を待ってくれてたかのようにしっかり冷えている。ありがとう、川。
(うぅぅぅぅーーー)腰骨の位置まで浸かり、先へ進めない。歩みを止めないのがここ最近の僕のモットーだったはずだが、6月下旬のしっかり冷え切った川では歩みを止める。自らの揺るぎない決意と自然界の物理的法則との狭間で、僕は二の足を踏んでいる。そして覚悟を決めた。(ヤァー!)腰骨の水深から軽くその場でジャンプし、蹴伸びのポーズを取って水面に再突入した。再突入というのはご存じの通り、あらゆる宇宙船が大気圏内に帰還するにあたり最も緊張感を伴う場面だ。僕は首尾良く水面への再突入を決めたと同時に、急激に水温に順応した。(フぅぅぅぅぅぅーーー)勢いよく水面から顔を出し、川の水とも唾液とも取れぬ水気を、尖らせた口から吹き出す。口形自体は今にもメロディを奏でそうな趣きがあるが、僕は口笛が吹けない。そんなオヤジの隣で、次女も頑張って全身を冷水に慣らし終えた。
クロールの練習をする。フォームは良さそうだ。あとは息継ぎが上手くできれば次女の当面の望みが叶う。時折川岸に上がり、動画で息継ぎ練習法を確認する。日差しはしっかり照っていたので、岸に上がるだけで暖炉に包まれているような心地を覚えた。しかしまた入水しなければいけない。次女は自分の練習に集中しているので、水温というノイズを完全に遮断できている。次女、尊い。僕は再入水(再突入)の衝撃をできるだけ軽減させるため、できるだけ太ももまでの水深で次女に声を掛ける。
頭にはカンカンの日差し、足元はキンキンの冷水。
おや…?あたまが?いたい…?
めまいか頭痛か、よく分からない症状が僕を襲う。尊い次女は遮断の状態で動画に忠実に息継ぎ練習を続ける。次女が満足するまでこのまま粘ろう。僕は納豆が好きだからまだ粘れる。そんなテキトーなコメントも、よく分からない症状の1つだ。
そのうち次女が満足した。僕は目の前で次女の息継ぎの上達を見届けた。
帰宅した。車に酔ったような症状が続く。冷水からの回復で、冷たいのか暑いのか、体が、臓器が、いや、細胞が混乱しているようだ。僕は細胞に教えてあげた、「水がすこぶる冷たかったんだよ」って。
僕は車酔いを呈したままお昼ご飯を掻きこみ、うつ伏せで顔は左に向けて2時間半の昼寝(気絶)をした。「食後すぐに寝たら牛になるよ」に関しては今は受け付けないことにした。
気だるさと、なぜか気持ち良さとで目覚めた。小学校の時の夏の自由プールで3時間遊んだ後のあれと同じだ。気だるいのに気持ちいい。車酔いは消えたけど、僕は冷えていたのかも知れない。冷えた体の回復に、ヒトは大量のエネルギーを消費する。体温を上げるため、通常以上に代謝が活発になったのだ。
筋肉痛だ。僕が川でした運動は、蹴伸びのポーズと口を尖らせたことぐらいだ。にもかかわらず、前身が筋肉痛で気だるい。冷水に浸かって代謝がバカみたいになったことが原因だ。冷水はおそろしい。
6月の川には気を付けろ、だ。