身体の奥から湧き立つもの 新月蒸留会
とも治療室さんのイラストを描いたら、自分の中からとても繊細な、細やかなものが出てきて驚いた。花に花びらが一枚一枚あって、そのすべてがわたしたちを勇気づけているような。そんな感じ。
とも治療室で開催される新月の蒸留会には、その人と関わりの深いお花や植物を持ち寄って、ポトリポトリと静かに花を蒸留し、植物の持つエネルギーを頂く。蒸留したお水は、その人自身にとってとても大切なもの。花の持つエネルギーがその人を救ってくれたりする。
蒸留の最中には「花酔い」と言って、まるでお酒に酔ったように語りだす人、泣き出す人、深く癒やされる人がいて、河合リコさんのサロンはそれをあるがままに受け止める場所である。
この不思議さは、一般の人には理解できないかもしれないな、と思う。私もリコさんのお花療法を初めて受けた時、「私には全然悩みがないから、お花療法とか受けても何も変わらないだろうな」と思っていた。
「もう、健康で健康ですみません!」という気分だったのだ。だからお花療法と言われても、これ以上健康にはなりようがないと思っていたのに、届いたお花水(フラワー・レメディ)とオンラインで繋がれた画面越しのリコさんと話をしていると、「それ」は急に訪れた。
「いや~。私は何も身体の具合とか悪くないんですけど、ダンナがねえ。いくら私が料理頑張っても、カップ麺とか食べちゃうからしょうがないんですよ~」
普通に雑談をしていると、リコさんは少し喋る。私の言ったことを丁寧に読み取り、少し喋る。お花療法を開始して、数分も立たない頃だった。急に涙が出て、自分の喉の奥からものすごく重い、泥みたいなものがこみ上げて来て驚いた。目には見えないゲロが出たのだ。
「お花水を飲んでください」と言われ、言われるままにフラワー・レメディが入ったお水を飲んだ。
自分の中に、ものすごく重いわだかまった泥がある。「それ」を気にしていたら、暮らしていけないから、放置してきた暗くて重い泥の存在に気がついた。
「ああ、こういうことが前にもあった」と思った。
それはもう20年近く前のこと。弘前に住んでいた私は、森のイスキアを主宰されてた佐藤初女さんに、会いに行っていた。
年下の友人がいじめに遭い、摂食障害を起こしていた。初女さんなら、何か素晴らしい言葉で助けてくれるんじゃないか? と思い、その子を連れて出かけたのだ。
訪れてすぐ、初女さんは喋らない。おむすびも特に出てこない。(この当時のイスキアは本当に多忙で、初女さんに会えること自体が稀有なことだった。)
ただ黙って、身動き一つせずに、岩のように押し黙って聴く初女さんを前に、崖の上に立たされているような錯覚を覚えた。
30分ほどの沈黙の後、自分の身体の底から、急にことばが湧いてくるのを感じた。
「初女さんには、悩むということはないのですか?」と、私は勇気を振り絞って聞いた。すると初女さんは言った。
「悩みは、あります。こんな仕事をしているのですから。でも、それを乗り越えた者しか、本物でないと私は思います」と。
私はだあだあ泣いていた。年下の友人も泣いていた。そして、非常に安心していた。初女さんでも、悩むのだと。
そしていつの間にか私は、「悩める友人を助けられない自分」に、苦しんでいたのだと気がついた。
答えは自分の底にいつでもあるのに、そこに気がつくためには、他人のエネルギーが入ってはいけないのだと思った。初女さんは、完全に「無」になっていた。
「助けたい」と思うと人は、「助けたい自分」が出てきしまう。だけど、苦しんでいる相手はその存在が既に完璧で、答えもその人の中にしかない。
助けたい人は、時にはがんばっても報われない「助けたさが叶わない自分」に腹を立て、時には助けたかった人を心の中で攻撃すらする。そこに気づいている治療者は稀だ。
リコさんは、「余計なエネルギーを入れないように」とよく言う。
植物の力を引き出すためのことは丁寧に、真剣にやる。だけど、彼女自身の思いが入らないように、細心の注意を払っている。
本当の答えはその人の中にしかない。植物の天真爛漫な力はとても穏やかで、目には見えない。なのに、新月の蒸留会に出た人は、身体の底から湧き上がってくる思いに涙を流したり、急に眠くなったり、思いのままに語りだすのだ。自分の底から湧き上がってくるエネルギーのままに。
それを受け入れる場所があるというのが、奇跡だなと思う。
東京の方には、ぜひ訪れてみてほしい場所。本当に自分にも、「花酔い」は訪れるのだろうか? 確かめてみて。
女性専門プライベートサロン とも治療室
東洋医学と植物療法でホリスティックトリートメントをしています。
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