運命論を考えて遊ぶ
おはようドグ~!(*´ω`*)フジミドリさんがnoteに戻って来られたので、フジミドリさんのコメント欄で運命論について語り合っていたんだドグ。
そしたらふと、「起こることが決まっているということは、プログラムされているということ」というのが、腑に落ちたんだドグ。そしたら息子が、「もっとも小さいものの動きが決まっているからだよ」と言ったんだドグね。
それは素粒子の動きということドグ!?
ふおお。素粒子は振動しているとか、そういう話ドグ子、大好きドグ。
まあ、そんなこんなで。もしもこの世界で起こることがプログラムされているとしたら。そう仮定するとしたら、物事は必ず起こる舞台であって、そこで演じる我々は役者であり、配役が決められているという以前から聞いていたフジミドリ節が、
ようやく理解できたんだドグ。(*´Д`)
で、「んなことあるかいな、そんな与えられた役割、ぶっ壊してやる!」って
思ったりするじゃないドグか。でも、運命論者はそれすらも前々から決まっていたと思うんだドグね。(*´Д`)
運命論で生きて良いことは、起こった出来事に「なぜ?」とか言わなくなること。
起こったことは起こったこと。物事に対処するのみドグよ。(*´ω`*)
運命論で生きて悪いことは、割り切りすぎてしまうことドグかな。
誰もが運命論で生きているわけではないドグからして。
「あなた、離婚してほしいの」
「あ、はいはい。もうそういう時期? 了解です」
とかって、割り切り過ぎたら相手に悪いドグよね。(*´Д`)
受け入れがたい現実ってあるし。そういう現実の方が多いのかもしれない。ようは、「受け入れる」と決めて生きるか、「受け入れたくない」と思って生きるかだと、思うんだドグ。受け入れたからといって泣かなくなるわけでもないドグしね。(*´Д`)
「どんなことでも受け入れる派」の弱点は、食い下がることが少ないってことだとも思うドグ。(*´Д`)
食い下がるからこそ、前よりも大きくこだわって成長することもあるだろうし。食い下がるからこそ、その本気が相手に伝わることもあるだろうし。
だからどちらがいいとかじゃないんだドグね。
それでまた、運命論者の悪いところ(?)は、食い下がってうまくいくことも、食い下がってまずくいくことも
最初から決まっていたと思うところドグ。
なんでそう思うの? と言われたら…………
そこにたどり着いたから
としかいえないんだドグけども。(*´Д`)
でも、考え方なんて常に現在進行形で、道になってて、人生の選択の一つ一つによってたどり着くものドグよね。
あ。これが最も小さいものの動きが決まっていたからってことなの!? (*´Д`)息子よ!!
なんだかオチがついたドグ~☆
皆さん、今日も良い一日を!(*´ω`*)
記事の掲載に際して、おおらかにOKを下さったフジミドリ先生、ありがとうございました!\(^o^)/