「躁うつとケア、時々セラピー」の物語#0
いつだったか、『うつから躁うつへ、あと生活とか』という文章を投稿しました。読まれて100人くらいかなと投稿すると、殊の外読まれました。今日時点1689ものビューがついています。当時はびっくりしました。続きを書くとして文章を終えていますが、続きは書けませんでした。
これから、「躁うつとケア、時々セラピー」の物語を書いていきます。続きのようでいて、続きではないようです。
ダイレクトに「躁うつとケア、セラピー論」という題が真っ先に思い浮かんだのですが、「論」って概して堅苦しくて、実践としてのケアとは相性が悪うございます。そのため、「物語」、です。物語はやわらかい。論は堅く閉じていて、物語はやわらかく開いている。僕はやわらかい方、つまり「躁うつとケア、時々セラピー」の物語を描きたいのです。
思うに「精神疾患」とやらは、堅くて閉じていればいるほど具合が悪くなります。これも論ではなく物語です。「論より証拠」と言いますが、精神疾患の当事者にとっては「論より証拠より物語」です。論も証拠もわたしを良くしてくれません。「良くなったな」「良くなってきているな」の実感こそが、わたしたちにとっての本当の薬です。お医者さまに処方されたから薬なのではなく、わたしが治るから薬。この感覚を掴んできてから、だいぶ楽になってきたなァ。
論を考えすぎるのは、精神科医とセラピストだけで十分です。わたしたちは、論のプロに論の相談をしながら、物語的な治療に励むことです。わたしだけがわたしの物語のプロ。10,000時間の法則ってありますよね。10,000時間その領域をやり込めば一家言の人となるというアレ。1日24時間で割ると、たった14ヶ月弱ですよ。2歳になるころには、わたしはわたしの立派なプロです。でもわたし以外に、わたしを10,000時間生きられる人なんていません。
わたしを治すのは、わたしなんですね。医者も薬、家族も手助けはしてくれますよ。でも治すのはわたしです。寂しいですか?いいえ、希望ですよ。わたしが治すと、治ると決めると、治るんです。これはわたしも検証中です。治らなくていいという内は治らない。そして頭では治りたくても、身体や魂は治りたがらないことがある。だから論より物語です。
だんだん見えてきましたね。物語的な治療とは、「良くなってきているぞ」「だいぶ良くなったぞ」という実感そのものです。そう思えるような行動や考えを自分の中で育んでいくことです。自分の人生を「いろいろ大変なことがあるけれど、だんだん良くなっていく物語を歩んでいる」と捉えて生きることです。
繰り返しますが、「躁うつとケア、時々セラピー」の物語は、うんちゃらエビデンスに基づくほげほげみたいな話は極めて少なくなる予定です。それでも、ケアとセラピーに在野ながら思索を重ねてきた人間が突如として双極性障害Ⅱ型の当事者となり、思索に施策を重ねてきた物語を書いていこうとする企画でございます。症状が元々軽めとは言え、うまく行っているほうですよ✌️
そういえば丁度この前、密教のお坊さんにお話を伺いに行ったんですね。それもだいぶ尖ったというか、先進的な思想と取り組みをされているお坊さんでした。そこでわたしたちにできることの一つは、「足るを知る」ことだとおっしゃっていました。もちろん知っている言葉ではありましたが、今回は元々知っていた「足るを知る」と微妙にニュアンスが異なっていたんですね。節制とか倹約をある種強制するのではない。次のような意味合いと解釈しました。
①「今、ここ、のわたしは何をどれくらい必要としている?」に気づく
②それを満たしてあげる
③余剰が出れば、それを他者に分け与える
①足るを知るには、「足る感覚」に気づく必要があります。種々のバイオリズムや躁うつで言えば気分の波といった変化がわたしたちにはありますよね。「足るを知る」って、大衆一般人は食べていくのも大変な古い時代にフィットした言葉だと思っていたことに気づきました。でも違う。②うつろいゆくニーズをきちんと満たしてあげるわけです。
③そうすると、わたしというコップから溢れ出る余剰が発生します。いわく、昔は野菜や肉など保存がきかないものの物々交換であったために、余剰を分け与える文化があったそうです。「お互い様文化」とも言える分かち合いと循環がありました。現在は貨幣経済ですから、貯蓄できてしまう。膜による資源の囲い込みですよね。それでいてニーズは満たされていない、足るを知れていないので、余剰は循環しません。無限の欠乏です。
何が言いたいか。この文章はお裾分けなのです。躁うつや付随する不調の治療に取り組んでいたら、相当元気になってきた。足るも知ってきた。余剰に気づいてきた。躁うつ発症の時に文章を書いたら、たくさん読んでいただきました(冒頭のnote)。ありがたい限りです。でも、続きを書けなかった。足りてなかったんです。自分が治ることで精一杯。今なら少し余剰があります。さらっと2,000文字書くくらいには、足りています。
この余剰が誰かの余剰を少しだけ生む。その人の余剰が、また誰かの余剰に…そうすれば、僕にまたしんどい時期が来たら、誰かの余剰を分けてもらうつもりです。夢物語みたいですよね。でも夢物語を現実にして生きることが、一番治るって今は思っています。
それじゃあ今日の余剰が減ってきたので、今日はこれくらいにします。次回の余剰もとっても楽しみです!
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