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このまま死にたくないもん

私は「このまま死にたくないもん」が口癖です。
68歳を迎えた私ですが、このまま死ぬわけにはいかないのです。

三年前に定年退職してからずっとそう思いながら生きています
仕事人生を終えて、のんびりと過ごすのではなく、リタイアしてもなお生きている証を残し続けたい、生涯現役でいたいと思っているのです。

私は欲張りなのかも知れませんが、同じように命つきるまで存在証明を残し続けたいと考えている人も、きっとたくさんいるはずです。

折角この世に生まれてきたのだから、何かを残したいと思うのです。

私の身近にも同じように「このまま死にたくないもん」と毎日、懸命に生きている人がいます。

それは93歳の私の母です

彼女はずっと日記をつけることが習慣でした。
日記にその日のトピックスを書いて、俳句を詠み、イラストを添えて、日記帳の中に自分の存在証明を残していました。

そんな母の日常が、私がリタイアした三年前から、がらりと変わりました。今はとても刺激的で、楽しい日々を送っています。
彼女は今、毎日SNSを使ってブログを書き、世界に向けて自分の創作作品を発信しています。

ここ三年の母の変化は私の想定を大きく越えるものでした。

【定年からのブログ発信】


私たち親子は毎朝、8時過ぎに親子のブログ会議をしています。

「あんた、私は今日は、何を描いたらええんぞね」
「お母さん、ちょっと待ってよ、投稿する文章を読むけんね、それからどんなイラストがええか、発想してみてや」
そう言って私は次の日にブログに投稿する文章を母に読んで聞かせます。

「あんたその文章の、何処がポイントになるん、ヘッダー画面にはどんなイラストを描いて欲しいんかなー」
「お母さんのセンスに任せるけんね、ええ感じで描いてくれたらええよ、お母さんらしく分かりやすくね」
「ほしたら、私なりに考えてみよわい」

そんな風にブログを投稿するための会議をするのが私たちの朝のルーティンになりました。

私たち親子は、私の定年退職をきっかけにSNSでブログを始めたのです
このブログ発信が「このまま死にたくないもん」と思っていた私が見つけ出した、人生の記方しるしかたです。

私が見つけた場所に、母も誘いました。
ブログに自分らしいエッセイや文章を書くのと同時に、母の俳句も掲載しようと考えたのです。

俳句王国と言われている愛媛県松山市に住む親子が、二人三脚でエッセイと俳句のブログを発信するなんてとても面白いんじゃないかなと思ったのです。きっと珍しい挑戦になると言う確信がありました。


私の「このまま死にたくないもん」の想いから生まれた親子のブログ創作がたちまち親子の日常に大きな変化を生むことになります。
私たち親子はこの上なく刺激的な毎日を手に入れました


親子のブログの名前は「やまだのよもだ」です。
ブログを発信するようになって三年、今「やまだのよもだ」は私たち親子の生きがいになっています。


私が母をブログに誘った時、母は乗り気ではありませんでした。

「あんた、SNSに詳しないのに、怖いことない、私はやりたないなー」
「お母さん、俳句を全国や海外にいる人にも見てもらえるよ、物凄くええ機会じゃと思うけど」と伝えると

「ほうじゃねー、それはええかも知れんね、ほしたら協力しょうか
いい返事が返ってきたので、私はすかさず言いました。

「お母さんには、イラストも描いて欲しいんよ」と言うと
私のイラストなんかSNSで通用するわけがない、私は絶対に嫌じゃけんね」と拒否されてしまいました。
そこで私は考えました。

「お母さん、イラストと俳句のコラボ作品として出したら、俳句が物凄く親しみやすいものになるけん、絶対にええと思うよ」と、何度も何度も説得して、母がやっとイラストを描く気になってくれました。

この時、母は今のようにイラストにのめり込む自分自身は想定していなかったと思います


【ブログで母が変わった】

母は、ブログ発信を始めてから本格的にイラストを描くようになり、生活スタイルがガラリと変わりました

それまでは毎日ベッドにいる時間が長く、ベッドに横になって韓流ドラマを観るのが大好きだった母が、今は一日の大半をリビングに座って過ごしています
彼女は時間を忘れてイラストをひたすら描いているのです。

最近の母の言葉です。
「あら、もう夕方になったがね、まだ3時くらいかと思いよった、もう5時じゃがね、時間が経つんは早いねー、ほんとイラストを描きよったら一日があっという間じゃ」
母は、そのくらいイラスト制作に夢中なっているのです。


自分が納得するものがなかなか描けない時は、何度も何度も書き直しています。同じものを4、5回書き直すこともあります。

「さっき描いたん、気に入らんけん、こっちにしてくれる
「そんなに変わらんと思うけど」
この線が、今一つなんよ
「そんなに一生懸命にならんでもええのに」と私が呆れたように言うと
「私は自分が納得できんと嫌なんよ、もっとええんが描けるはずじゃけんね」と真剣なまなざしで私に訴えるのです。

母はイラストをより良く描くために必要な情報を得ようと、身の回りの様々なものから情報をキャッチするようになってきました。情報の狩人かりうどになったのです


テレビの見方も新聞の読み方も、これまでとは大きく変わり、チラシさえも隅々にまで目を通して見るようになりました。

本来ならコロナ禍の三年間は母にとって苦痛な日々だったはずです。
日常生活は家の中が中心で、人との会話もほとんど無く、閉塞的なものになっていました。
しかし、ちょうどその時期に、ブログを始めたことで、ネットの中で繋がっている皆さんから「ばあばは、頑張っていますね、これからもお元気で描き続けてください」「私は、ばあばのイラストがほのぼのとしていて大好きです」などと全国からたくさんのメッセージをいただき、元気をもらって頑張ってこられました。

私はブログを始めた時期がとても良かったと思っています
私にとっても、母にとってもこの間、二人でブログを毎日休まず発信し続けたことはお互いの生きる励みになりました

私は「このまま死にたくないもん」と言いながらブログ発信にたどり着いたのが本当に良かったと自分を褒めたい気分です。


【私の生きがい】

私はマスコミで定年まで働いてアナウンサーやディレクターの仕事を長く勤めてきました。ゼロから何かを作っていく創作活動がとても好きで、それが生きがいだったのです。

定年を向かえて、ある日突然もう何もしなくてもいいんだよと言われても私の中に燃えるマグマがじっとしていませんでした

その熱く込み上げてくるものがブログの発信によって、自分なりに発散出来てそれまでの仕事人生と変わらない日常を送ることが出来ています。それは本当に幸せな事です。

日々生きる証を残せるのですから、不満が湧き出ることもありません。
ブログの発信は、私にとってもこの上なくいい選択でした。

毎日の発信活動が私の中の個性や喋り、構成力、表現力を磨く時間にもなりました。

私は正直、ブログを始めてからの3年間で、これまでよりも制作者として、レベルアップしたと思っています

もちろん日々の発信が私の生きがいになっていることは間違いありません。

SNSは様々なマイナス要素もありますが、私と母にとっては、この上なくいい活動の場所になっています



【変わった親子の関係】

ブログ発信を毎日続けることで親子の関係性が随分変わりました。
母と私は親子であると同時に、ブログを共に創作している同志になりました。創作仲間なのです。

「あんた、私が描いたイラストに、どんな俳句がええと思う」
「お母さん、俳句よりもイラストが先に生まれたんかね」
「ほーよ、どうしても今の時期に、このイラストが描きたかったんよ」
「お母さん、ほしたらこの季語がぴったりなんじゃない」
「ほーじゃねー、その季語で詠んでみよか」

などと言う会話はいつもの事です。

「あんた、私の俳句の解説を上手に書いてくれてありがとう」
「お母さんのイラストが凄く良かったけんね」
「この藤棚の緑と紫の色合いがよかろがね、私も気に入っとんよ」
などと創作者同士の会話も生まれています。

ある日の母のイラストと俳句のコラボ作品の投稿です。

「藤房のさゆれ追憶蘇る」


私は本当にいいコラボ作品だなと感じ、「お母さん、この作品ええねー」
と言うと母は「ありがとう、画面いっぱいに描くんは難しかったわい、ほじゃけどそう言われて嬉しいわい」
と笑顔を、返していました。

私と母はお互いに刺激し合って創作者としていい意味で戦っているのかも知れません。

「私らはええねー、親子二人三脚でやりよるけん、お互いが助け合って、ええとこどりで」と母がよく言っています。
私も母親の事をこんな風に感じるとは思ってもいませんでした。

ブログを始めて私たち親子は、よく似ているなと思います。
母も私も途中で音を上げない、決めたことは最後までやり抜く、だからこそ3年近くの間、途中で途絶えることなく発信し続けているんだと思います。

もちろん二人の関係がぎくしゃくしたり、創作者同士ならではの小さな喧嘩もありますが、毎日送り出す作業の中でいつの間にか仲直りしているのです。

一番の発見は毎日録音して発信している母とのフリートークです。ぶっつけ本番でその日のトピックスやおうちごはんのことを話をしています。
気取らないで日常的な自然な会話を5分くらいしていますが、そのトークの中で私はそれまで気付かなかった母の想いを知る事がよくあります

母の日にお母さんの思い出を聞いた時に、母はこう答えていました。
「私はねー、小さい頃にお母さんが早く亡くなったから、母親の事はほとんど覚えて無いんよ
「お母さん、全然覚えて無いん」
お父さんが色々してくれたんは覚えとる、ほじゃけどお母さんの好物がなんじゃったんかも知らんわい
さりげないやり取りから、母の幼い頃の寂しさをふと感じとったのです。


「お母さん、今日のおうちごはんはどうじゃった」
「私は卵焼きはフワフワで、甘辛いんが好きなんよ、今日のはもうちょっとお醤油を入れとったらよかったのに」

「空豆ごはんは、美味しかったろ」
「あんた、空豆は外側をよう見て買わんとね、それにハシリの頃は中身が小さいんよ、何でも旬が美味しいんよ、言うとってあげる」

何気ない会話の中に母の本音が垣間見られるのです
投稿のための母とのおしゃべりの中で、母の本音をどれだけ聞いたことか分かりません。

知らない母の心の内を知ることが出来きるので、私はこの録音をいつも楽しみにしています




【ブログから広がる新しい世界】

私たちがブログを始めたことで、二人に新しい夢が生まれました。
ブログのために母が描き貯めたイラストが4000枚を超えたので思い切って、母のイラスト展を開催することにしたのです

それは母の生きがい作りであり、私の生きがいでもあります。


90歳を過ぎて見つけた新しい趣味で、母が毎日生き生きと生活し、夢を持って好きなイラストを描き続けているのです。
そんな母のイラストを見て、たくさんの人たちが元気と勇気を持ってもらえたらこんな素晴らしいことは無いと思っています

私は生まれて初めてイラスト展を開催するので、場所を探すことから始って、作品の展示をどんな形でするのか、ポスターやチラシはどうするのかで試行錯誤の毎日です。
分からないことだらけで手探りで始めて、少しずつ形が見えてきました

一度きりの自分の人生をより楽しくするために、諦めないで前を向いて進むことで、様々な事が開けていくことを実感しています


私はリタイアを節目にブログを始めたことで、母と一緒にまた新しい刺激的な毎日を送っています

「あんた、私のイラストを見てもらえる機会が持てるなんて夢みたいじゃね、長生きした甲斐があるわ」
「お母さん、イラスト展が決まってから、イラストに磨きがかかっとるよ」
「それはそうよ、のんびりしよったらいかんけん、頑張るんよ、あんたにはお世話になります」
母の心はイラスト展の事でいっぱいです

「ブログに出会ってイラストに目覚めた母の事を多くの人に伝えたい」それが今の私の目標です。

「このまま死にたくないもん」私は今もそう思いながら、母と一緒に新しいチャレンジをしています



最後までお読みいただきありがとうございました。💗


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