一瞬の選択で変わる人生
小学生の頃、近所の子どもたちと遊んでいて、ヒヤッとする出来事がありました。10人位で大きな輪になってくるくる走っている時、その中の一人が大きな石を真後ろに投げました。そこには妹がいたのです。
私はそれを、見ていて、一瞬息を呑みました。
石が妹を直撃すると思ったのです。あまりにも怖くて声が出ませんでした。
間一髪、数センチずれて、石は妹の後ろに落ちました。
子どもたちは何事もなかったように、楽しそうに遊びを続けていました。
私はその時のことがトラウマとなって、数年間、夢の中にそのシーンが何度も出てきました。
あの石が妹に直撃していたら・・・。
人生はほんの一瞬で変わるのものです。
中学生の頃、近所の家が数軒焼ける大きな火事がありました。雪が舞う寒い日でした。外に避難していた祖父がそれから体調を壊して、病状が悪化したことがありました。
「火事が無ければ、おじいさんはもっと長生きできたのに」と悔やんだこともありました。
「その時、そこに行かなければ」「その時、そうしていなければ」と思うとその一瞬一瞬の出来事や選択が人生を大きく変えるのです。
私は職場の前の道で、資料をたくさん持っていて、急に電話が入ったことで急ぐあまり転んでしまい、顔面をコンクリートで打って、頬に大きな絆創膏を貼って出勤していたことがありました。
仕事で顔出しをするのにどうしようと悩みながら、1か月以上も悶々としていたことを思い出します。あの一瞬に、その場所を通らなければ、急がずゆっくり歩いていたらと、暫くそんなことばかり考えていました。
先日、母と外出した時に、母が私の横でつまずいて転びました。
段差が無いと思っていたら、そこに数センチの段差があったのです。
私のすぐ横で母が一瞬ダイビングをしたように、斜め前につんのめりました。私はいったい何が起きたのか分かりませんでした。ほんの一瞬の出来事だったのです。転んだ後、母が暫く動けないので、どうしようかと真っ白になりました。
本当に運良く指にかすり傷を負ったくらいで、何事もなくすんだのですが、生きた心地がしませんでした。
私が手を離さなければ、その場所に行かなければ、そこを通らなければ、そう思っているとその一瞬の出来事が頭の中から離れなくなりました。
人生は一瞬、一瞬の選択です。
私はその日から、改めてその一瞬、何を選択するのかを懸命に考えるようになりました。
神様がメッセージをくれたのかも知れません。
「一瞬一瞬を大切に生きていこう」と思った出来事でした。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《冷静沈着に行こうと思う》
「昨日はそれでよかったけど、今日はそれではいかん時があるんよ、自分が気を付けていても失敗することがあるんよね、何をするにも焦らず考えんといかん、日頃から冷静沈着に行こうと思う」
「お母さん、ほんと何にも無くて良かったねー」
「歩くんひとつも、天気によっても気分によっても違うしね、どうするんかは本当に難しいわい」
母も一つの出来事で多くを学んだようです。何事もなかったことを再び神に感謝です。
振り返る弥生の空の雲はしき
ふと遠くの山を見て、雲の形まで愛おしく感じている親子を詠みました。春、弥生の空は穏やかで暖かく、人を優しく包み込むものがあります。心地いい季節を迎えて、何故かほっとしている親子の後姿です。
春に感じるやすらぎは、特別なものがありますね。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。
また明日お会いしましょう。💗
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