パラリンピックをきっかけに
私たち親子は東京パラリンピックから挑戦する心と勇気をもらいました。91歳の母はスポーツに疎いのに懸命に観戦し、たくさんのパワーを貰っていました。
私はテレビ局で仕事をしていた頃、ニュースの企画で毎週、障がいのある人たちを1年間取材させていただいたことがありました。
その年が国際障害者年だったからです。今から40年前、1981年は障がいのある人にもそうでない人にも大きなきっかけになった年でした。
その時の取材をきっかけに私は朗読奉仕をしている方たちに読むテクニックを教えるボランティアをしました。
障がいのある人たちの活動や人生を取材し、放送することは大切だけれど、一人の人間として私は一体何ができているんだろうと考えたのです。
朗読ボランティアの人たちに、言葉で伝える技術を教えることで、私自身も声を使って心を伝えることの大切さを学びました。伝えたいと言う思いがテクニックを越えることを知ったのです。
当時20代だった私は障がい者やそのご家族に話を聞くことさえ、躊躇していたと思います。
言葉を選び過ぎて、本音を聞けないでいたかもしれません。勇気を持って壁を越えないと相手の心には響かない事を学びました。
障がい児と健常児を合同保育している保育園の取材では、障がいのある子どものご家族から「子どもの顔を絶対に映さないでください、後ろ姿が出るのも困ります」と厳しく言われ、映像がお蔵入りになったことがありました。それだけ周囲の偏見や差別が大きかったのです。
「国際障害者年」の時は車いすで街に出ようと呼びかけていました。アピールしなければいけない程、公共交通機関を使って車いすで移動している人たちは少なかったのです。
40年前は物理的にも意識の面でもバリアフリーはとても難しい時代でした。
あれから40年、環境は少しずつ変わってきています。
東京パラリンピックで自分の持てる力を車いすや装具、ボランティアの方たちの力を借りながら記録に挑戦しているパラアスリートの皆さんの姿は見る人にたくさんの事を教えてくれました。
これから何年か先に、東京パラリンピックがあった2021年は「心と社会のバリアフリー」を深く考えるきっかけになり、様々な事が変わるきっかけになった年だったと言われるようになればいいなと思います。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《バリアを取り除くことは大切よ》
お昼ご飯を食べた後のばあばとの会話です。
「障害は誰にも起こりうることで、私も高齢になって杖をつくようになった、私は今になってほんの少し気持ちがわかるので、パラリンピックの選手の皆さんからは勇気をもらったんよね」
「様々なバリアを取り除くことは人が生きていく上でとても大切な事だと思うけど、一気には難しねー」
「建築でも何でもバリアフリーは必要よ」
国際障害者年から40年、私はその節目の年にまた新しい気づきがありました。誰もが住みやすい社会を目指すことは絶対に必要です。
【ばあばの俳句】
ふとよぎる母の面影栗の飯
秋の味覚の一つ栗を見かけるようになりました。母は栗が大好きで、特に茹栗や栗ご飯が大好物です。幼い頃にお母さんに炊いてもらった栗ご飯を懐かしく思い出すようです。
私も栗ご飯が大好きです。親子の味覚は似るものだなーとつくづく思います。ホクホクの栗ご飯好きな方、多いですよね。
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