67歳◇私のバレンタイン
私が中学生の頃ですから、今から50年以上前のお話です。
当時からバレンタインデーは特別の日でしたが、今ほど騒がれてはいませんでした。でも女性から愛の告白が出来る日として、心ときめいていた人も多かったと思います。
私もその一人でした。板チョコを憧れていた男子生徒に贈った思い出があります。
その頃のバレンタインのチョコレートは人気の男子に一点集中だったように思います。スポーツ万能の男子やイケメン君が、女子から板チョコを大量に貰って帰っていました。
日本では、1930年頃にある洋菓子店の提唱でバレンタインにチョコレートを贈る習慣が始まったとか。その後、業界の広告戦略やメディアの情報、女性の社会進出によって、いつの間にかバレンタインデーは日本の文化として定着して、心ときめく年中行事になりました。
バレンタイン商戦は加熱していて、デパートやスーパーにはこの時期チョコレートコーナーが誕生して、一人がいくつも買う姿が当たり前になりました。今年は店頭への電話注文も多いとか。
本命チョコから始まって、義理チョコ、友チョコ、ご褒美チョコと、だんだんチョコの意味合いも変わってきています。
私は、バレンタインデーがとても楽しみです。
本命がいてもいなくても、渡す人がいてもいなくても、毎年ワクワクするのです。
デパートなどに特設コーナーが出来ると私の心は踊ります。
67歳の私だってテンションが上がるのがバレンタイン。
マスコミで仕事をしていた私は、バレンタインデー前にデパートにチョコレートのコーナーが開設されたらすぐさま取材に行っていました。
売る側と買う側の両方の心理を探りつつ、取材をしたものです。
売る側は消費者の心をくすぐるコピーをつけて、品ぞろえも充実させていました。
私は取材でその年のトレンドを押さえた後、自分目線で買いたいものを見つけていました。
バイヤーが必死で探してきたのでしょう。売場には普段なかなかお目にかからない輝きも彩りも一際美しい海外のチョコレートが並んでいました。
ベルギーやフランス、スイスからやってきた有名ショコラティエのチョコに目を奪われながら、私は20個余り買っていました。
現役時代は、義理チョコをたくさん買っていたのです。
現役を退いてからは、自分の為のご褒美チョコがメインになりました。
自分用にとっておきのチョコレートを何個か買って、一人で幸せを噛みしめながら食べています。
小さな宝石箱のようなケースに上品に納まっているチョコを一個一個食べながら、中学生の頃の板チョコとは全く違うバレンタインのチョコを味わう。それが67歳のバレンタインの贅沢です。
だから私は愛の告白が無くてもバレンタインデーが楽しみなのです。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《お父さんにはウイスキーボンボンをお供えしよるよ》
「お父さんは毎年両手に下げて持って帰りよった、子どもらからプレゼントされよったんよね、私は開けるんが楽しみじゃった、今でもそれでチョコレートが好きなんかも知れん」
「お父さん、教え子から貰いよったもんね」
「私は今は孫とお婿さんとあんたに買うだけよ、お父さんには仏壇にウイスキーボンボンを上げよるんよ、私はあんまりバレンタインは関係ないけどとっておきのチョコレートを見るんは好きよ」
私にとってのバレンタイン、母にとってのバレンタイン、同じ女性でも捉え方は微妙に違います。でもバレンタインデーが小さな幸せを届けてくれるのは確かです。
独り身のバレンタインの気楽さよ
母は私のバレンタインチョコの話を聞いて楽しい句を詠んでイラストとコラボさせてくれました。
まさにこんな感じです。1年に一度とっておきのチョコレートを吟味して買ってきてゆっくりじっくり味わう私。
その贅沢なご褒美チョコの味は最高です。
本当に美味しい時間になっています。
今年は嬉しい事に、妹から食べるのがもったいないようなお洒落なチョコが届きました。
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また明日お会いしましょう。💗
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